<愛知川小学校付近を歩く>
歩いて巡る中山道六十九宿(第14回);第3日目(2);愛知川宿
(五十三次洛遊会)
2012年9月15日(土)~17日(月・敬老の日)
第3日目;2012年9月17日(月) (つづき)
<愛知川宿周辺地図>
<宇曽川から愛知川宿へ>
■宇曽川と歌詰橋
歌詰橋を渡ったところに,案内板が立っている.この案内板には,およそ次のようなことが書かれている.
宇曽川の水源は泰川山と押立山,琵琶湖に注いでいる.昔からこの川の水量は豊富だったので,舟運が盛んだった.人や物資だけでなく,重い石材,丸太のままの木材などの運搬にも利用されていた.このことから宇曽川は,もともと「運漕川」と呼ばれていたが,中世になって宇曽川となまって呼ばれるようになった.
昔の歌詰橋は10数本の長い丸太を土台にして,そのうえに土を盛り込めた土橋だった.天慶3年(940年),平将門は,東国で藤原秀郷に討ち取られた.その後,藤原秀郷は中山道を京に上る途中,宇曽川付近まで来たときに,目を開いた平将門の首が追いかけてきた.そこで平将門の首に「歌を一首」と言う.すると,平将門の首は,この土橋の上に落ちたという伝説がある.以来,村人は,子野橋のことを歌詰橋と呼ぶようになったという.
■平将門首塚を見落とす
歌詰橋周辺は,広々とした田園地帯である.進行方向左手2~300メートル先を東海道本線の線路が並行している.
私は絶えず地図を確かめながら歩いている.このとき,宇曽川を渡って直ぐに左折して200メートルばかりの所に平将門首塚があるのを確かめていた.
平将門といえば鎌倉とも縁のある歴史上の重要人物である.私はここだけは是非見学したいなと思っていた.
ところが先頭に立つ方が,歴史には全く興味がないらしく,私達より100メートル以上も先を速歩でどんどん通過してしまう.私を含めて平将門首塚を見学したい人が数名居られる.私は,大声で,
「一寸舞ってくれ~い・・・!」
と先頭に声を掛けるが,声が届かない.
仕方なく,後ろ髪を引かれる思いで,平将門首塚を見学するのを諦める.この時の口惜しさは今でもイライラするほど思い出す.
私は柄にもなく,先頭を追いかけて,
「あなたが後ろの人の様子を確かめもせずに,どんどん先へ行ってしまうので,平将門首塚を見ることができなかった・・・もっと注意をして歩いて下さい」
と語気荒くクレームする.後になって,ちょっと語気が荒すぎたかなと反省する.
このときグループ旅行の不自由さをつくづくと実感する.今,思い出してもこの首塚を見ずに通過したことが悔しくてならない.
■正光寺
10時02分,正光寺に到着する.この寺の由来などは手許の資料だけでは良く分からないが,資料5によると,どうやら浄土真宗本願寺派の寺のようである.
<正光寺>
■愛知川小学校
10時14分,進行方向右手にある愛知川小学校の前を通過する.
<愛知川小学校>
■河脇神社
10時16分,河脇神社参道に到着する.参道の奥に神社の社殿が見えている.参拝せずにそのまま通過する.
手許の資料では,この神社の由来は不明.
<河脇神社>
■河脇神社で休憩
何時の間にか上空は晴れ渡っている.日射しが強い.
神社境内で小休止.同行者3人が,地元の男性と何か頻りと話し合っている.私は話すのが面倒なので,お三方とは少し離れた位置で休憩を取る.
<河脇神社で休憩>
<愛知川宿>
■愛知川宿の概要
愛知川宿は江戸日本橋から65次の宿場である.無賃橋が架けられていた愛知川の東岸に位置している.
資料3(p.343)によれば,宿内人口929人.内,男471人,女456人.宿内惣家数195軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠181軒.
五個莊,近江八幡,日野とともに近江商人を輩出した土地である.
■愛知川宿のアーチ
10時26分,愛知川宿のアーチを潜る.頭上の横断板に黄色い字で「愛知川宿」と書いてある.
いよいよ愛知川宿である.
<愛知川宿のアーチ>
■延命地蔵尊
10時29分,延命地蔵尊の案内板がある.道路の奥に延命地蔵尊があるようだが,そのまま通過する.
<延命地蔵尊入口>
■書状集箱と案内杭
10時32分,復元された書状集箱を見る.これは明治4年(1871年)に設置されたものを復元したものだという.この書状集箱は,郵便ポストとして現在も使用しているという.
その直ぐ近くに愛知川宿の案内杭が立っている.
<書状集箱> <愛知川宿案内杭>
■宝満寺
近江商人屋敷跡の脇を通過する.大きな屋敷である.
10時34分,宝満寺の参道入口に到着する.参道の奥に本堂の屋根が見えている.
資料6によれば,宝満寺は「真宗大谷派の寺院である.江戸時代には25の末寺をもち,門内に等覚寺・乗船寺の2寺を塔頭とした.現在も,本堂,正門,経蔵,鐘楼,太鼓堂など残る.宝暦2年(1752年)から続く蓮如上人御影道中の御上洛(帰路)の定宿(毎年5月7日)」となっている.
このように由緒ある寺だったら,立ち寄るべきだったと後になって後悔する.
<宝満寺遠望>
■本陣跡
10時34分,本陣跡を通過する.ここが本陣跡だったことを示す立て看板があるだけで,本陣の面影を残すものは何もない.ただ,その脇に建つ小さな洋館が,大正か昭和初期か良く分からないが,一世代前の豪華さが漂っている魅力的な建物である.
<本陣跡>
■八幡神社
10時36分,八幡神社に到着する.立派な鳥居,立派な灯籠のある神社である.黙礼しただけで通過する.
手許の資料では,この神社の由来は不明.
<八幡神社>
■高札場跡
八幡神社の鳥居近くに,高札場と刻字された小さな石柱が立っている.
<高札場跡>
■再び愛知川宿のアーチ
10時40分,再び愛知川宿のアーチを潜る.
私達は,無事,愛知川宿を通過したことになる.
<愛知川宿のアーチを潜る>
<五個莊へ>
■一里塚跡
元旅籠竹の子屋がどこにあるのか見付けられないまま,信号不飲橋で自動車道を合流する.
合流点の直ぐ近くにある民家の庭の奥に「一里塚跡」を示す小さな杭が立っている.この一里塚は江戸日本橋から122里,京までは14里の位置にある.
周辺には一里塚の名残を留めるものは何もない.
<一里塚跡>
■祇園神社
10時48分,進行方向左手の低いところに祇園神社がある.先頭の数人が通過しようとするので呼び止めて,祇園神社を詣でる.立派な神社だが,比較的新しい社殿である.広い境内で立ち休憩を取る.
手許の資料では,この神社の由来は不明.
<祇園神社>
■愛知川を渡る
10時53分,愛知川に架かる御幸橋を渡る.
渇水期の愛知川は,このあたりでは伏流水だけになり,河川敷を徒歩渡りすることもできるようである(資料1,p.175).なるほど,長い橋を渡りきるまで川の水は全く見えなかった.
私達は橋を渡り終えて,いよいよ五個莊に入る.
<愛知川を渡る>
■コンビニで一休み
橋を渡り終えて直ぐの所にコンビニがある(11時00分着).
気温がどの位あるか良く分からないが蒸し暑い.私達はこのコンビニで一息入れることにする.
<コンビニで一休み>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1282436367
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E5%B7%9D%E5%AE%BF
「中山道六十九宿」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/31d245a0b8c5337a1862f951da597843
「中山道六十九宿」の次の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b05e443cd990da2d67fd5980e9c32431
「中山道六十九宿」第15回目(次回)の最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7d05729bf21e688aee67d1edb0fdab4e
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