<三条大橋は目の前だ>
歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第4日目(3);三条大橋に到着
(五十三次洛遊会)
2012年11月16日(金)~19日(月)
第4日目;2012年11月19日(月) (つづき)
<蹴上・三条大橋地図>
<都が近い>
■大乗寺
勾配はそれほどきつくはないが,丘陵の裾を回る長い登り坂が連続する.昨日の雨天と一転して,今日は少し汗ばむほどの陽気になっている.
11時23分,大乗寺入口に到着する.急な登り階段の先に本堂などがあるようだ.これまで長いこと歩いているので,かなり疲労気味の人も何人か居られるので,寺の前の空き地で暫く休憩をとる.
さすがに京都は都(みやこ),日本文化の中心地であることが肌で分かる.京都に近付くにつれて,とにかく社寺の数が極めて多くなる.一見(いちげん)の旅人である私は,とても,とてもフォローしきれなくなる.
傍らの案内板の説明によると,戒善比隆韶大和尚という人が,約300年前に七本松の内野(現在の上京区鳳瑞町)に開山.禅宗系の寺から法華の寺に改宗されたと伝えられている.その後,代々尼寺として受け継がれ,無本山の寺だったが,約200年目に法華宗の大本山本能寺の末寺になった.
境内には酔芙蓉が1500本ほど群生していることで有名だという.
<大乗寺入口で休憩>
■山裾を巡る閑静な小径
10分ほど休憩を取った後,大乗寺から歩き出す.引きつづき丘陵の裾を巡る閑静な道が続く.何だか随分と山奥のような印象を受けるが,道の両側には住宅が軒を並べている.
“静かで良いところだなあ・・・こんな所に住みたいな”
と歩きながら“フト”考える.
<閑静な小径を行く>
■国道に合流
11時36分,閑静な道は国道に合流する.残念.
引きつづき緩やかな上りが続くが,.この写真の先辺りで峠になる.そこから先は,ちょっと急な下り坂になる.
<国道に合流する>
<蹴上から三条へ>
■蹴上浄水場水質管理センター
11時46分,蹴上浄水場水質管理センターに到着する.煉瓦作りの古風は建物が印象的である.
余談になるが,今からかれこれ50年ほど前,私は京都で,暫くの間,学生時代を過ごしている.その頃,この辺りまでは,時々散歩で来ていたので,若い頃のことを沸々と思い出す.懐かしい.
<蹴上浄水場水質管理センター>
■ウエスチンミヤコホテル
11時53分,都ホテルの前を通過する.
でも,私はホテルの看板を見て,ショックを受ける.何とホテルの名称が"The Westin Miyako"に変わっているではないか.
「今頃,何を言っているんだ・・」
と嘲笑されそうだが,まさかウエスチンになっているとは知らなかった.本当にビックリする.
<ミヤコホテル>
■塔頭金蔵寺と史跡白川橋道標
途中,いくつかの社寺があるが,もうフォローしきれないので,あれこれ調べるのは止めにして通過するが,塔頭金蔵寺だけは気になる.
12時02分,白川橋の手前に「塔頭金蔵寺」という題の案内板が置かれている.
この案内板の記事によると,元治元年(1864年),坂本龍馬とお龍(鞆)は,ここにあった本堂で,内祝言つまり内々の結婚式を挙げたという.
金蔵寺の直ぐ近くに,史跡白川橋道標がある.疎水に架かる橋の道標である.道標には変体仮名らしい文字が刻字されているが,学識のない私は殆ど読めない.
<史跡白川橋道標>
■疎水を渡る
疎水を渡る.今日も綺麗な水がよどみなく流れている.
この辺りは,50年余り前の学生時代に,毎日のように散歩していたところである.水はあのときと同じように流れているが,周囲の風景は全く変わってしまったように思える.
<疎水を渡る>
■本山要法寺
12時09分,本山要法寺に到着する.
資料3には,「日蓮本宗(にちれんほんしゅう)は,日蓮を宗祖とし,富士門流の日尊を派祖とする日蓮門下の一派である.本山要法寺は興門派八本山の一つ.」という説明があるが,内容の奥が深いので,私ごときには,この説明では良く分からないし,これ以上詮索しても頭が混乱するだけである.
例によって,
“まあ,・・・いいか”
で済ますことにしよう.
ちなみに資料4には,
「士門流(ふじもんりゅう)は,日蓮宗・法華宗系諸門流のうち,日蓮の高弟「六老僧」の一人,日興(にっこう)の法脈を継承する諸本山とその末寺に対する総称の一つ.日興門流,富士派,興門派とも呼ばれる.本山としては上条大石寺(日蓮正宗),下条妙連寺(日蓮正宗),保田妙本寺(単立),京都要法寺(日蓮本宗),西山本門寺(単立・法華宗興門派).北山本門寺(重須本門寺)(日蓮宗),伊豆実成寺(日蓮宗),小泉久遠寺(日蓮宗)の八山 (興門八本山) があり,それ以外の本山として讃岐本門寺(日蓮正宗),日向定善寺(日蓮正宗)がある.現在,富士門流(日興門流)に属する各門流は,独立した宗派を形成しているもの(日蓮正宗・日蓮本宗),勝劣・一致の3宗派が対等合併して成立した日蓮宗に属するもの(興統法縁会),単立の宗教法人となっているもの(西山本門寺・保田妙本寺)などにわかれ,明治政府の仏教弾圧下の一時期を除き,単一の宗派として組織されたことはない.・・・」
という私ごとき素人にはややこしくて良く分からない説明が克明に記述されている.
<本山要法寺>
<いよいよ中山道完歩だ>
■高山彦九郎像
12時10分,高山彦九郎像に到着する.ここでトイレ休憩.
高山彦九郎は,戦争中,修身の授業で,楠木正成とともに,何度となく教えられた人物である.だから,ここでは,まあ・・・いろいろと触れることは控えておこう.
“今度,ご一緒した10人の方々で,高山彦九郎の話を知っている人は何人居るだろうか”
私は興味津々だが,敢えて聞き回ることはしない.
ちなみに資料5には,高山彦九郎について,次のような説明が掲載されている.
「高山彦九郎,延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日)は,江戸時代後期の尊皇思想家である.父は高山良左衛門正教、母はしげ.兄は高山正晴.妻はしも後にさき.子に高山義介ほか娘など.林子平・蒲生君平と共に,「寛政の三奇人」の1人.名は正之.」
<高山彦九郎像>
■まずは一呼吸
12時22分,私達は三条大橋のすぐ手前にいる.
まずは一呼吸を置いて,体制を整える.
“さあ,渡るぞ・・・!”
<三条大橋の手前で一呼吸>
■三条大橋を渡る
12時26分,私達は全員揃って三条大橋を渡し始める.
2009年9月19日(土)に日本橋から歩き始めて,足掛け3年,延べ34日(関ヶ原合戦跡を歩いた1日を除けば33日)掛けて,双六で言えば“上がり”の京三条大橋に到着した.
この橋を渡り終えれば.長かった中山道六十九宿の旅が完成する.
“さあ! みんなで一緒に渡ろう!”
<三条大橋>
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E6%9C%AC%E5%AE%97
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%96%80%E6%B5%81
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E
(つづく)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/87c195cb856f83aff1972e34bc294a4f
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※記事の正確さは全く保証しません.
この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.ご不快に感じられましたら,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
*************************
[編集後記]
ご同行頂いた皆様へ
謹賀新年
旧年中はお世話になりました.
本年もどうぞ宜しくお願い致します.
中山道六十九宿の旅の記録は旧年中に完了する予定でしたが,何かと手間取ってしまい,ついに今年度に持ち越してしまいました.
まあ,これも成り行きですので,気を取り直してノンビリと纏めます.
なお,中山道の旅の第1回から第6回辺りまでの記録は,まだ記述様式が確定していなかったことや,地図を挿入していないことなど,私自身,どうも気に入っていません.したがいまして,中山道の記録が完了した時点で,もう一度最初に戻って,不満足な箇所を訂正して,再度,当ブログに投稿したいなと思っています.
中山道の旅にご同行頂いた皆様には,不満足な箇所の訂正が終わり次第,当該資料をCDまたはDVDに記録してお渡しする予定にしています.お渡しするのは,まあ,多分,早くて春たけなわの頃になってしまうかと思いますがよろしく.
五十三次洛遊会の一部メンバーで,引きつづき某街道(例えば甲州街道)歩きの計画をしております.不肖フラワーヒルも,この街道で歩いていない箇所がありますので,応分に参加させていただく予定です.1月の定例会で皆様にお諮りする予定です.その節はどうぞ宜敷お願い致します.
2013年元旦
フラワーヒル
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