タラナキ山山頂に立つ
<<タラナキ山登頂>>
2006年2月1日(水) その2
私達は山岳会が経営するロッジでモーニングティーを楽しんだ私達は,9:58,ロッジを出発する。玄関には2人の登山客が雨宿りをしていた。
ロッジから先は,本格的な登山道になる。行く手の左手には深く切り込んだ断崖が聳えている。ここから先は,急勾配の露岩帯になる。むしろ岩場と言っても良いかもしれない。喘ぐように,少しずつ高度を高める。やがて目の前にとてつもなく大きな岩が聳えている。この岩肌に沿うように長い長い木製の階段が作られている。
10:35,この長い階段を登り始める。登り口の標高は1,640メートルである。登り口に,
「犬がハアハアいう坂」
という落書きがある。なるほどと思う。何百段あるのだろうか。階段の先を見上げると,視界を外れてまだ先まで続いているようである。あきらめるような達観したような妙な気分になって,1段,1段,階段を登る。とにかくあきるほど長い階段である。それでも,10:45に長い階段を登りきる。登り切ったところの標高は1,700メートルである。登り切ってみると,標高差は,たった60メートルに過ぎない。それなのに,何でこんなに長く感じるのだろうか。
階段を登りきった私達は,タラナキ山の雄大なスロープの中に立っている。辺りの様子は富士山の山腹にそっくりである。そのまま,暫くの間,登り続ける。
11:13,私達は大きな岩の岩陰で小休止する。相変わらず霧が立ち込めている。この岩にはドリンキングロックという名前が付いている。その昔,この岩はもっと大きな岩だったという。その岩の上部が凹んでいて,そこに雨水が貯まっていた。この雨水が登山者の喉を潤したことから,ドリンキングロックという名前が付いたのだそうである。
11:20,ドリンキングロックを出発する。再び単調な露岩帯の登り坂がつづく。そこをゆっくりと登り続ける。霧雨が降りしきっている。ガイドが,
「Are you happy?」
と何度も私達に聞く。ガイドは,どうやら,悪天候なので,登山を中止することを考えているらしい。しかし,悪天候とはいえ,風雨が強いわけではないし,ただ霧雨が降っているだけである。風も殆ど吹いていない。当然,登山を中止する気にはならない。だから,
「楽しいですよ」
と答え続ける。
12:18,標高2,085メートル地点で小休止する。相変わらず酋長さんとドッジさんがかなり遅れている。ここで軽食を撮る。
ガイドが,
「このままでは,山頂までたどり着けない・・・ついては,全員で足の遅い人に合わせて一緒に登るか,あるいは足の速い人のチームと,足の遅い人のチームに分けて登るか,皆さんで決めて下さい・・・」
と提案する。
「・・・このままだと,山頂まで登って,ホテルに帰り着くのは20時か21時になってしまう
・・・・こんな天気なので,ホテルに帰るのが,あまり遅くなるのは好ましくないです・・・」
結局,酋長さんとドッジさんの2人の「遅い足」組と,その他の人達の「速い足」組の2組に分けて登ることになる。そして,「速い足」組はジョンさん,「遅い足組」はドンさんがガイドする。
休憩時間中に,ガイドがまじめくさった表情のまま,タラナキ山の説明をする。
「・・・タラナキ山の成因には2説あります。第1の説は,今から7万年前の大爆発で,ほぼ現在の形になりました。その後,約400年ごとに大爆発,約90年ごとに小爆発を繰り返しています。最近では西暦1650年に大爆発がありました。タラナキ山の火口は,およそ150万年前までは,もっと海岸に近いところにありました。そして50万年ぐらい前まではクアカイ山の方が標高が高かったと言われています・・・・・・第2説は,昔,北島の全ての山が一カ所に集まっていたというものです。のルアペフ山の近くに女山のビバング山がありました。男山のトンガリロ山とタラナキ山の間で,ビバング山を取り合って,争いが起きました。その結果,タラナキ山は,遠くへ追いやられてしまいました・・・もちろん,第2の説の方が正しいです・・・」
12:35,2組に分かれて,ふたたび歩き出す。ここからはザイテングラードに良く似た露岩帯が続く。登山道は全く見当たらない。ガイドの後を辿って,ひたすら登り続ける。だんだんと勾配が増し,やがて岩場になる。
私達「速い足」組は,かなりまともな速度で登り続ける。たちまちの内に「遅い足」組の遙か先を登っていく。全く,登山道はないようである。ガイドが登る足跡を辿りながら登っていく。天気は相変わらず好転しない。霧の中をひたすら登っていく。時々小雨交じりの風が吹きつける。寒い。
13:35,「速い足」組は,直前のジグザグの急坂を抜けて,山頂のクレーターリムに到着する。私は先頭を行くフクロウとバーダーのお二人に付いていくのがやっとである。私のすぐ後ろのビアンコさんに,
「どうぞ先へ行ってください」
と勧める。ビアンコさんは,
「・・・・私,ユックリ登りたいです・・・」
と遠慮する。
クレーターリムの左側は鋭く尖った岩稜が聳えている。サメの歯(Shark teeth)と呼ばれる岩峰である。その脇の岩場を少し下ると万年雪に覆われたクレーターに到着する。この雪渓を反対側まで渡る。少し登り坂になっている。進行方向右側には鋭く切り立った尖峰が立ちはだかっている。これらの尖峰はクレーターの壁の一部である。
雪渓を左の方に回り込むように前進する。すると霧の中にこんもりとした岩山がシルエットのように浮かび上がる。
「・・・あそこが山頂だよ・・・」
とガイドが私達を励ます。
雪で覆われたクレーターの端から,再び岩稜を十数メートル登る。
そして,13:56,私達は,ついにタラナキ山の山頂に到着する。ガイドが,
「ブラボー」
と大きな声を何回も出しながら,私達一人ひとりと握手を交わす。
随分と長い間,夢にも見たタラナキ山の山頂に立つた気分は最高である。正に登山冥利である。
山頂は寒い。リュックからヤッケを取りだす。しかしヤッケは,先ほどの霧雨で濡れている。そして,下着は汗で濡れている。でも,仕方がないので,ヤッケの内側を濡らさないように注意をしながら重ね着をする。
山頂のリムに沿って,200メートルほど歩いてみる。なだらかなリムの中央に,山頂を示す棒が1本立っている。日本の山に較べると,実に素っ気ない目印である。この棒の傍に立って登頂記念写真を交代で撮りあう。残念ながら霧に覆われた山頂からの眺望は全くない。しかし,とにかく山頂に辿り着けたのは理屈抜きに嬉しい。
再びリムを戻り,先ほどの岩陰に入る。冷たい風が岩で遮られるので幾分暖かい。岩陰には,ここが山頂であることを示すプレートが岩に貼り付けてある。
狭い岩陰で,一同,車座になって,食事を摂る。ガイドが,
「今は軽く食べておいて下さい。後で「遅い足」組と一緒になったら,みんなで一緒に昼食を食べましょう」
と含みのある提案をする。
(第28話おわり)
<<タラナキ山登頂>>
2006年2月1日(水) その2
私達は山岳会が経営するロッジでモーニングティーを楽しんだ私達は,9:58,ロッジを出発する。玄関には2人の登山客が雨宿りをしていた。
ロッジから先は,本格的な登山道になる。行く手の左手には深く切り込んだ断崖が聳えている。ここから先は,急勾配の露岩帯になる。むしろ岩場と言っても良いかもしれない。喘ぐように,少しずつ高度を高める。やがて目の前にとてつもなく大きな岩が聳えている。この岩肌に沿うように長い長い木製の階段が作られている。
10:35,この長い階段を登り始める。登り口の標高は1,640メートルである。登り口に,
「犬がハアハアいう坂」
という落書きがある。なるほどと思う。何百段あるのだろうか。階段の先を見上げると,視界を外れてまだ先まで続いているようである。あきらめるような達観したような妙な気分になって,1段,1段,階段を登る。とにかくあきるほど長い階段である。それでも,10:45に長い階段を登りきる。登り切ったところの標高は1,700メートルである。登り切ってみると,標高差は,たった60メートルに過ぎない。それなのに,何でこんなに長く感じるのだろうか。
階段を登りきった私達は,タラナキ山の雄大なスロープの中に立っている。辺りの様子は富士山の山腹にそっくりである。そのまま,暫くの間,登り続ける。
11:13,私達は大きな岩の岩陰で小休止する。相変わらず霧が立ち込めている。この岩にはドリンキングロックという名前が付いている。その昔,この岩はもっと大きな岩だったという。その岩の上部が凹んでいて,そこに雨水が貯まっていた。この雨水が登山者の喉を潤したことから,ドリンキングロックという名前が付いたのだそうである。
11:20,ドリンキングロックを出発する。再び単調な露岩帯の登り坂がつづく。そこをゆっくりと登り続ける。霧雨が降りしきっている。ガイドが,
「Are you happy?」
と何度も私達に聞く。ガイドは,どうやら,悪天候なので,登山を中止することを考えているらしい。しかし,悪天候とはいえ,風雨が強いわけではないし,ただ霧雨が降っているだけである。風も殆ど吹いていない。当然,登山を中止する気にはならない。だから,
「楽しいですよ」
と答え続ける。
12:18,標高2,085メートル地点で小休止する。相変わらず酋長さんとドッジさんがかなり遅れている。ここで軽食を撮る。
ガイドが,
「このままでは,山頂までたどり着けない・・・ついては,全員で足の遅い人に合わせて一緒に登るか,あるいは足の速い人のチームと,足の遅い人のチームに分けて登るか,皆さんで決めて下さい・・・」
と提案する。
「・・・このままだと,山頂まで登って,ホテルに帰り着くのは20時か21時になってしまう
・・・・こんな天気なので,ホテルに帰るのが,あまり遅くなるのは好ましくないです・・・」
結局,酋長さんとドッジさんの2人の「遅い足」組と,その他の人達の「速い足」組の2組に分けて登ることになる。そして,「速い足」組はジョンさん,「遅い足組」はドンさんがガイドする。
休憩時間中に,ガイドがまじめくさった表情のまま,タラナキ山の説明をする。
「・・・タラナキ山の成因には2説あります。第1の説は,今から7万年前の大爆発で,ほぼ現在の形になりました。その後,約400年ごとに大爆発,約90年ごとに小爆発を繰り返しています。最近では西暦1650年に大爆発がありました。タラナキ山の火口は,およそ150万年前までは,もっと海岸に近いところにありました。そして50万年ぐらい前まではクアカイ山の方が標高が高かったと言われています・・・・・・第2説は,昔,北島の全ての山が一カ所に集まっていたというものです。のルアペフ山の近くに女山のビバング山がありました。男山のトンガリロ山とタラナキ山の間で,ビバング山を取り合って,争いが起きました。その結果,タラナキ山は,遠くへ追いやられてしまいました・・・もちろん,第2の説の方が正しいです・・・」
12:35,2組に分かれて,ふたたび歩き出す。ここからはザイテングラードに良く似た露岩帯が続く。登山道は全く見当たらない。ガイドの後を辿って,ひたすら登り続ける。だんだんと勾配が増し,やがて岩場になる。
私達「速い足」組は,かなりまともな速度で登り続ける。たちまちの内に「遅い足」組の遙か先を登っていく。全く,登山道はないようである。ガイドが登る足跡を辿りながら登っていく。天気は相変わらず好転しない。霧の中をひたすら登っていく。時々小雨交じりの風が吹きつける。寒い。
13:35,「速い足」組は,直前のジグザグの急坂を抜けて,山頂のクレーターリムに到着する。私は先頭を行くフクロウとバーダーのお二人に付いていくのがやっとである。私のすぐ後ろのビアンコさんに,
「どうぞ先へ行ってください」
と勧める。ビアンコさんは,
「・・・・私,ユックリ登りたいです・・・」
と遠慮する。
クレーターリムの左側は鋭く尖った岩稜が聳えている。サメの歯(Shark teeth)と呼ばれる岩峰である。その脇の岩場を少し下ると万年雪に覆われたクレーターに到着する。この雪渓を反対側まで渡る。少し登り坂になっている。進行方向右側には鋭く切り立った尖峰が立ちはだかっている。これらの尖峰はクレーターの壁の一部である。
雪渓を左の方に回り込むように前進する。すると霧の中にこんもりとした岩山がシルエットのように浮かび上がる。
「・・・あそこが山頂だよ・・・」
とガイドが私達を励ます。
雪で覆われたクレーターの端から,再び岩稜を十数メートル登る。
そして,13:56,私達は,ついにタラナキ山の山頂に到着する。ガイドが,
「ブラボー」
と大きな声を何回も出しながら,私達一人ひとりと握手を交わす。
随分と長い間,夢にも見たタラナキ山の山頂に立つた気分は最高である。正に登山冥利である。
山頂は寒い。リュックからヤッケを取りだす。しかしヤッケは,先ほどの霧雨で濡れている。そして,下着は汗で濡れている。でも,仕方がないので,ヤッケの内側を濡らさないように注意をしながら重ね着をする。
山頂のリムに沿って,200メートルほど歩いてみる。なだらかなリムの中央に,山頂を示す棒が1本立っている。日本の山に較べると,実に素っ気ない目印である。この棒の傍に立って登頂記念写真を交代で撮りあう。残念ながら霧に覆われた山頂からの眺望は全くない。しかし,とにかく山頂に辿り着けたのは理屈抜きに嬉しい。
再びリムを戻り,先ほどの岩陰に入る。冷たい風が岩で遮られるので幾分暖かい。岩陰には,ここが山頂であることを示すプレートが岩に貼り付けてある。
狭い岩陰で,一同,車座になって,食事を摂る。ガイドが,
「今は軽く食べておいて下さい。後で「遅い足」組と一緒になったら,みんなで一緒に昼食を食べましょう」
と含みのある提案をする。
(第28話おわり)
初夏へのいざないで、TBさせて下さい・・・
コメント有り難うございました。
相変わらず
http://ameblo.jp/flowr-hill
中心にブログやってます。
こちらも,たまにはお尋ね下さい。