
<安政のみちしるべ>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第2回):(5)上尾宿
(五十三次洛遊会)
2009年10月17日(土) つづき
※本稿の初出は2009年11月21日である.
初稿にルート地図を追加し,本文に加筆修正を行った.
<ルート地図>
※この地図は前掲
<上尾宿>
■馬頭観音
15時07分,ガードを潜る.
15時09分,金網の柵に囲まれた馬頭観音を横目で身ながら通過する.
<馬頭観音>
■上尾宿の概要
私たちは,そろそろ上尾宿に入っている.
上尾宿は,江戸日本橋から5番目の宿である.日本橋から36.9キロメートル(9里16町)の距離にある.次の桶川宿は,ここから3.7キロメートル(34町)先にある.上尾宿には,本陣1軒,脇本陣3軒,旅籠41軒あった.また宿内戸数は182戸,宿内人口は793人であった(調査年代未詳).
資料1(p.18)によると,大宮台地とこれを浸食する谷津田が交差する上尾は鷹狩りの適地で,鷹狩りの宿としても利用された.火事除けの神として鍾馗様を屋根に上げる風習が見られたが,都市化が進んで消えたという.
<上尾宿の説明板>
■石尊大権現
15時12分,石尊大権現の前を通過する.石造りの鳥居の奥に簡素な社殿がある.
資料5に,「柏座地区では,神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社を信仰する講として石尊講がある.この石尊講で大山灯籠行事を行っている.現在は柏座の鎮守である春日神社に大山灯籠を立てている.古くは火の見のあった場所に立てていたが,第2次世界大戦後に火の見が現在の柏座集会所に移り,灯籠もここに立てた.その後,昭和30年代以降は,春日神社に立てるようになった.灯籠は,7月26日に灯籠立てといって組立式の木製の灯籠を立て,8月17日の灯籠倒しまでの間,毎晩灯籠に火を灯す行事である.これは「大山阿夫利神社の山開きの間,お参りをする代わりに立てる」とされた.」という記事を見付ける.どうやら上尾市登録無形民俗文化財に登録されているようである.
でも,この記事が下の写真の神社と関係があるかどうかは,一見(いちげん)の私には良く分からない.
<石尊大権現>
■南方神社
15時25分,赤い大きな鳥居のある南方(みなみかた)神社の前を通過する.
資料6には,「南方神社は吉野村の鎮守で『五街道中細見独案内』にも諏訪社として登場する.地元では「お諏訪さま」の名で親しまれている.」という説明がある.
<南方神社>
■魂霊神
15時34分,魂霊神の前を通過する.ここが,どのような神か,私には分からない・・・が,念のため写真を撮る.
<魂霊神> <格子戸から覗くと・・・>
■庚申塔
15時35分,民家のブロック塀の前にある石彫の不動尊を通過する.
<庚申塔>
■愛宕神社
15時49分,愛宕神社の前を通過する.この神社の由来は全く分からない・・・が,まあ,いいか.
資料7には,「愛宕神社は,壱丁目(大谷地区)の村社で祭神は軻遇突智命(かぐつちのみこと)です.本殿の構造は,一間社(いっけんしゃ)の見世棚造(みせだなづくり)で外宇(がいう)(本殿を覆う建物)の中に建っています.流行病「疱瘡の厄除」の神として村民の信仰が厚く,見世棚下の空間をくぐると病が軽くなるとの伝承があります.
見世棚造りとは
1.身舎〔もや〕と前方の柱の間に棚のような床を張っている(昔の店のタナに似ている
2.土台は木を井桁に組む3.前方の屋根は流れてなく、真ん中で折ったような形式-
といった特徴があり,本殿の造りとしては珍しいものです.」
という説明がある.
<愛宕神社>
■氷川鍬神社
15時56分,氷川鍬神社を詣でる.大きな屋根,立派な社殿が建っている.
資料8には,「伝説によれば,寛永8年(1631年)桶川宿方より来た童子が引いていた櫃が上尾宿本陣前で動かなくなり,童子はいずこかへ消え失せた. 翌正月に櫃を開けてみると,鍬2本と稲穂があり,鍬2本を神体として本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯と伝えられる.稲穂は「御子稲」と称し,種を増やして庶民に分け与えた.長く,御鍬大神宮(おくわだいじんぐう)と呼ばれてきたが,明治41年(1908年)上尾村総鎮守の氷川神社から女体社を合祀し,現社名となった.」という説明がある.
<氷川鍬神社>
<氷川鍬神社案内板>
<JR上尾駅から帰宅>
■JR上尾駅に到着
16時00分,無事,JR上尾駅に到着する.
このまま帰るのも名残惜しいので,駅近くの喫茶店に入ってコーヒーブレーク.
私は,ホットコーヒーを所望する.
どういう訳か,折角のコーヒーが余り美味しく感じなかった(後から考えると,このとき,すでに胃がおかしくなっていたのだろう).
<某大手チェーンのコーヒーショップで・・>
■湘南新宿ラインで帰宅
上尾16時56分発湘南新宿ラインの電車に乗車する.途中,池袋から横浜辺りまでは,車内が混雑する,そして,18時16分,無事,大船駅に到着する.
[ラップタイム]
9:07 蕨駅歩き出し
9:25 うなぎ今井
9:28 蕨市立歴史民族資料館(9:37まで見学)
9:56 宝蔵寺
10:03 辻一里塚
10:18 田辺医院
10:24 焼米坂
10:29 LIFE(10:35まで休憩)
10:45 調(つき)神社(10:49まで参拝:休憩)
10:55 浦和宿石碑
11:04 明治天皇行在所跡
11:09 市場説明板と像
11:10 市場跡
11:11 成就院
11:31 てん屋(11:56まで昼食)
12:03 廓信寺(12:13まで休憩)
12:24 庚申塔
12:27 一本杉
12:45 火の玉地蔵
13:00 氷川神社参道入口<>
13:39 大宮公園(13:54まで休憩)
14:15 大山御嶽山道標
14:29 石上(いそのかみ)神社
14:41 猿田彦大神
15:04 加茂神社
15:09 馬頭観音
15:12 石尊大権現
15:25 南方(みなみかた)神社
15:34 不動尊
15:35 庚申塔
15:49 愛宕神社
15:56 氷川鍬神社
16:00 上尾駅
[歩行記録]
■水平歩行距離 21.2km
■累積登攀高度 36m
■累積下降高度 25m
■所要時間(休憩時間込み)
JR蕨駅 発 9:07
JR上尾 着 16:00
(所要時間) 6時間53分(6.88h)
■水平歩行速度 21.2km/6.88h=3.08km/h
(第2回おわり)
[参考文献]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064110111206.html
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B0%BE%E5%AE%BF
資料7;http://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064110110906.html
資料8;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E9%8D%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
(つづく)
[加除修正]
2013/1/25 ルート地図追加,記事の加除修正を行った.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f09629d0d18fb19bd4bfdfaae70b0d21
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1809f7744b63aeb909733e8a8ac4516
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.ご不快に感じられましたら,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
[編集後記]
こうして,五十三次洛遊会の中山道手作り旅の第2回目は無事終わった.
この日は,昼食を摂ってから,少し胃の辺りに違和感を持ちながら,特段,気にせずに帰宅した.
家に帰ると,夕食の準備がしてある.このとき空腹感はなかったが,折角の夕食なので,何となく食べてしまう.
夕食後,これも習慣で,インスタントコーヒーを1杯賞味する.これがいけなかった.
いつもより何となく疲労感が強かったので,そのまま就寝する.
ところが,10月18日,夜中の2時頃,私は胃の激痛で目が覚めてしまう.まるで真っ赤に焼けた大きな石焼き芋がそのまま胃になってしまったような猛烈な痛さである.私は,素人ながら,直ぐに,
「・・これは,急性胃炎だな・・・」
と思った.
このときから,一両日は,大げさに言えば,七転八倒の苦しみを味わった.
1日おいて,10月19日,掛かり付けの病院で診察を受けたところ,予想通りの急性胃炎だった.急性胃炎が直るまで,この日から約1週間を要した.さらに,胃の中で増えすぎているピロリ菌滅菌のために,1週間の治療が必要だった.
このときの急性胃炎闘病記は,下記のブログ記事に記載したとおりである.
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4774aa7a047dfe07e45332cf18e89b6a
今は完全に快癒しているが,闘病中の僅か2週間の間に,私の体重は5キログラムも減少してしまった.きちんとしたダイエットで体重が減ったのならば良いが,食べられないで減少したので,これは駄目.幸いなことに,現在の体調は極めて良好だが,減量による体力の減退はどうしようもない.
一日も早く,元通りの体力を回復したいなと思っている毎日である.
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一方,このところ動作が不安定になっているパソコンを何とかしたいなと思い続けていた.
Windows 7の機種が出揃ったところで,私は思いきって(20回の分割払いだが),P社製のWindows 7 Professionalを搭載したノートパソコンを購入した.私の選んだ機種は,あまり人気がなくて割高である.ただ,
*画面が比較的大きい
*キーボードのピッチが縦横ともに完全に19ミリメートルを確保されている
*P社のアフターサービスが,他社よりもきめ細かい(らしい)
*軽量で,バッテリーが10時間持つ
*ゴチャゴチャと興味のないソフトが入っていない
などの点が私には魅力だったから,あえて不人気な機種を選んだ.
まだ,新機種への移行は済ませていないが,ここ2~3日中に移行を済ませて,心機一転,何かをしたいなと思っている.
[編集後記;その2]
2013年1月25日(金)
この稿の初出のときに書いた急性胃炎だが,今は,その後,3年半ばかり経過した,
その間,私の胃は何とか大過なく過ごしている.ただ急性胃炎になる前には,のべつ幕無しに賞味していたコーヒーは,1日3杯以下に制限している.そして,体力は,なかなか元通り・・とはいかないが,まあ,まあ,のレベルまで回復している.ただ,寄る年波もあって,どうしても昔通りというわけにはいかない.
一方,2009年10月に購入したPCは,現在も快調に安定して動いているので,十分に満足している.今は老眼対応ということもあって,I/Oデータ社の外付け24インチディスプレィを購入し,て大きな画面を見ながらPCを操作している.
それにしても,今使っているPCが,まだまだ新しいと思っている内に4年近くも経過してしまった.そしてそろそりWindows8のことも考えなければならなくなった.Windows7に何の不満もないのだが・・・
(おわり)