中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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甲州道中四十五宿(3):第1回(3):新宿御苑から八幡山まで

2010年05月27日 11時17分57秒 | 甲州道中四十五宿

                  <煙硝蔵跡のある明治大学キャンパス>

    甲州道中四十五宿(3):第1回(3):新宿御苑から八幡山まで
             (小田急トラベル)
           2010年5月8日(土)
  (つづき)

<行程地図>






<新宿御苑とその周辺>

■新宿御苑を散策

 私たちは12時45分に新宿御苑に到着.御苑入口近くにある大木戸休憩所のベンチに座って昼食を摂る.
 昼食後,集合時間までに,まだ間があるので,御苑の中を暫く散策することにする.
 上空には薄雲が広がっているが,心地よい日の光が公園に降り注いでいる.入口で戴いた案内地図を見ると,新宿御苑の面積が想像以上に広大である.地図の説明によると,広さは何と58.3ヘクタール(約18万坪)だという.
 周囲の遊歩道を一回りしてみようかと思ったが,遊歩道の長さが3.5キロメートルもあるようだ.とても休み時間の間では回れないので,母と子の広場と日本庭園の一部だけを急ぎ足で一回りする.
 母と子の広場は広い芝生で覆われていて,何ともいえない開放感がある.広場のあちこちで,沢山の人が日光浴を楽しんでいる.今日は土曜日,休日のためか若い人も沢山訪れている.




■新宿追分
 集合時間の5分前に集合場所の大木戸休憩所前に戻る.
 12時34分,空気が抜けたようなかけ声「エイ,エイ,オー」とともに,新宿御苑を出発する.
 暫くの間,進行方向左側,つまり南側の家並みの間から,新宿御苑のこんもりとした森が見え隠れする.やがて,新宿御苑から離れ,新宿駅方面に向かって進む.
 13時51分,辺りが何となく賑やかな交差点に到着する.ここが新宿追分である.広い歩道の上に,直径1メートル余りの円形の表示板が埋め込まれている.私たちはこの表示板の回りに立ち止まって,暫くの間,添乗員の説明を伺う.
 この追分で甲州街道と青梅街道が分岐している.また,この場所には高札場があったらしい.




■新宿駅を通過
 追分の交差点を過ぎると,急に賑やかになる.辺りには沢山の飲食店が建ち並んでいる.夥しい人たちがブラブラ歩きをしている.若い人が多い.突然,降って沸いたような人出に,田舎者の私は,ただ驚くだけである.向かい側から歩いてくる人たちを避けるようにして歩き続けるのは苦手である.たちまちの内に気疲れをしてしまう.
 前の人に於いて行かれないように,そして,すれ違う人とぶつからないように,全神経を使って,ひたすら歩く.そのうちに,何となく見たことのある場所を歩いている.新宿駅甲州街道口に通じる跨線橋に差し掛かっている.
 13時58分,新宿駅甲州街道口前を通過する.
 

<新宿から京王線八幡山駅へ>

■初台公園
 新宿駅を通り過ぎて直ぐに右折して,甲州街道から1本北で並行する狭い道路に左折して入る.旧甲州街道は,この狭い道路の辺りを通っていたようである.道路の両側には電気店が建ち並んでいる.ほんの200メートルほど歩いて三叉路に突き当たる.この三叉路を左折して,すぐにまた現在の甲州街道に突き当たる.そのまま広い道幅の甲州街道を西へ西へと歩き始める.
 暫く歩いていると,先ほどの人混みが嘘のように,また人通りが疎らになる.
 14時29分,初台公園に到着する.煉瓦が敷き詰められた都市部独特の公園である.ここで10分ほど休憩.


■内藤新宿と笹塚一里塚
 14時40分,初台公園を出発する.
 暫くの間,国道20号線に沿って,西へ,西へと,歩き続ける.自動車の交通量が多い道である.自動車の騒音を聞きながら,ただ,ただ,歩き続ける.単調極まりないが,こんなチャンスでもないと,このような道は,まず歩かないだろうと思い直して,歩き続ける.
 15時03分,ガイドが,
 「この辺りの笹塚一里塚があったんだと思います.この辺り,随分と調べたんですが,一里塚を示す痕跡は何もないんです・・・でも,この辺りにあったんでしょう・・」
と説明する.今は商業ビルが建っているだけである.
  旅行社の案内所によると,この辺りが,日本橋からはじまる甲州道中の最初の宿場町,内藤新宿があった場所のようである.

<一里塚があったと思われる場所>

■玉川上水公園
 笹塚一里塚跡を過ぎても,相変わらず変哲もない街道が続く.また,黙々と歩き続ける.
 15時25分,進行方向右側にちょっと入ったところにある玉川上水公園に到着する.ここで小休止.ここは植え込みの間に遊歩道が設置された小さな公園である.
 歩き疲れた方々が,ヘタヘタと植え込みを囲む手すりに座り込む.


■煙硝蔵地跡
 15時41分,玉川上水公園を出発する.
 間もなく,明治大学キャンパス沿いの道になる.長い金網の垣根が続く.垣根の向こうは築山になっている.築山の植木の緑が心地よい.
 15時47分,垣根越しに「煙硝蔵地跡」の案内板が設置されている.この案内板の説明によると,現在,明治大学和泉校舎および本願寺派築地別院和田堀廟所となっているこの辺りは,江戸幕府の煙硝蔵(鉄砲弾薬などの貯蔵庫)として使用されていた.
 弾薬庫は,もともと調布市辺りにあったようだが,1750年代に,この地に移設されたと案内板には記されている.明治維新後は,兵部省を経て陸軍省和泉新田火薬庫になり,大正末期に廃止された.
 

■本願寺派築地別院和田堀廟所
 15時50分,本願寺派築地別院和田堀廟所を通過する.進行方向右手に大きな墓地が見える.ここには,樋口一葉の墓があるという.
 

■高井戸宿(下,上)と一里塚跡
 この辺りに高井戸宿があった.
 旅行社の資料によると,高井戸宿は,上下2カ所に分かれていた.上・下高井戸両村が半月交替で,宿の経営を分担していたという.現在の首都高速4号線の交差部,一里塚が残っている辺りが下高井戸宿,その西,環状8号線と交わる辺りが上高井戸宿であったらしい.
 16時17分,江戸日本橋から4里目の一里塚跡を通過する.
 高架道路の下に一里塚の説明文が設置されている.一同ここで,案内板を見ながら,立ち休憩を取る.

<高架下に一里塚跡がある:画面右>




<一里塚付近で立ち休憩>

■京王線八幡山駅に到着
 一里塚を通過してから,また,暫くの間,甲州街道沿いに,西へ歩き続ける.そして,16時31分,今回の終点,京王線八幡山駅に到着する.
 今回の水平歩行距離は17.5キロメートル,累積同伴高度76メートル,累積下降高度37メートルのプチハイキングであった.
 駅前で,万歳を1回だけ唱えて,無事解散.
 私は,京王線で新宿駅まで戻り,新宿から湘南新宿ラインで大船へ.18時30分頃,無事帰宅した.

<京王線八幡山駅に到着>


<ラップタイム>

10:03  東京駅 発
10:12  日本橋(10:17発)
10:50  馬場先門(11:05発)
11:12  日比谷見附
11:23  桜田門(11:25発)
11:43  半蔵門
12:42  四谷番所
12:45  新宿御苑(13:34まで昼食)
13:51  新宿追分
14:29  初台公園(14:40発)
15:25  玉川上水公園(15:41発)
15:50  築地本願寺和田堀廟所
16:17  一里塚跡
16:31  八幡山 着

[歩行記録]

■水平歩行距離
    17.5km

■累積登攀高度     76m

■累積下降高度     37m

■所要時間
  東京  発    10:03
  八幡山 着    16:31
 (所要時間) 5時間28分(5.47h)

 歩行速度
   17.5km/5.47h=3.20km/h
                            (つづく)
「甲州道中四十五宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e9c55201a9d2f90aa961ab24b6b296ba
「甲州道中四十五宿」の次回の記事
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