<園光寺>
梅の鎌倉:玉縄周辺の古刹から七里ヶ浜へ(1)
(五十三次洛遊会定例会)
2011年2月15日(火)
<ハイキング地図>
<大船駅から歩き出す>
■鎌倉に雪が降る
昨夜来の雪で,関東地方はこの冬初めての本格的な降雪である.早朝,自宅の2階から外を見ると一面の銀世界である.
「こりゃ~ぁ・・まいったな~ぁ・・・!」
私は絶句する.
今日は久々の五十三次洛遊会定例会開催当日である.私はすぐに新聞に掲載されている天気図と毎月315円也の有料天気予報のサイトをチェックする.またもや低気圧が本州南海上を東北東に進んでいる.1時間おきの予報を見ると,どうやら10時頃までは曇だが,後は午後までになるようである.気温もそこそこ温かく,風もなさそうである.ただ,途中で通過する予定の未舗装の道路は泥んこのままだろうし,そちこちに残る雪で歩きにくいことが予想される.
私は7時頃,メンバーに“残雪があるかも知れないので,雨靴も考えて下さい”という趣旨に携帯メールを送信する.
■15名の参加者
大船駅前のコンビニで,今日お配りする地図のコピーを終えてから,近くのマクドナルドに入り込んでコーヒーを賞味しながら,今日予定のコースの復習をする.これまで,このブログでもしばしば登場させた事前調査の結果を集約したのが今日のコースである.私は,参加予定のメンバーの顔を思い出しながら,水平歩行距離13.4キロメートル,累積登攀・下降高度それぞれ約310メートルの今日のコースを設定した.このコースならば,多少悪路があっても,時速2.2キロメートル(休憩時間込み)で歩けば,約6時間で歩けるな確信する.
集合時間10時の15分前に,大船駅南口ルミネ前に行く.すでに大半の参加者は集まっている.そして,5分前には全員の顔が揃う.このグループの良い所は,とにかく全員がパンクチュアルなことである.
本日の参加者は15名である.内訳は男性9名,女性5名,中性1名.
予定より少々早く9時58分に大船駅から歩き出す.
■玉縄首塚
大船駅南口から大船観音側に出る.柏尾川を渡って,まずは玉縄首塚を訪れる.1526年(大永6年),安房の里見実尭鎌倉攻めに,玉縄城主北条氏時,渡内氏,甘粕氏が応戦,戦死者をここで供養した(資料1,p.232参照).この塚を甘粕塚とも呼ぶ.
<梅の古刹礼賛>
■玉泉寺
首塚近くのトンネルを潜り,玉縄小学校の前を北西に進む.私達の前を十数名の幼児が行儀良く1列に並んで歩いている.それに対して,大の大人の私達が,ともすれば道一杯になってだらしなく歩きそうになる.私は大声を出して1列になってくれと,再三注意する.注意しながら自分自身がだんだんと情けなくなってくる.
戦争中の教育を受けた私達の世代は,「前にならえ」「右向け右」「回れ右」等々の号令で,一糸乱れずに交信する訓練を受けている.この点が,同じ老人でも,一寸下の世代と著しく異なる.だから,だらしのない歩き方が気になって仕方がない.まあ,とにかく,本心では,だらしなさにイライラしながらも,どこかで妥協して,仕方がないなと思いながら歩き続ける.
10時22分,聖天山玉泉寺に到着する.真言宗大覚寺派.下見に来たときはほとんど咲いていなかった境内の梅が見頃を迎えている.寺の由来などは,説明が面倒なので省略.とにかく静まり返った庭に梅がひっそりと咲いている.
■貞宗寺
フラワーセンター大船の北側をかすめるように通過する.そして,商業コンプレックス「コーナン」を通過して数分先へ進んだところから左折して植木の住宅地の路地に入る.ここでも口うるさく“右側を1列に・・”と声を張り上げる.
途中から左折して住宅地内の路地に入る.ところがウッカリ一本手前の路地に入ってしまったので,当初予定していた園光寺から貞宗寺に廻る順路を逆にして,玉縄山貞宗寺を先に参拝することにする.浄土宗の寺である.
「徳川2代将軍秀忠の“おばあさん”貞宗院を葬ったお寺ですよ・・」
とだけ説明する(資料1.P.244参照).
ここは現在の玉縄小学校発祥の地でもある.
清楚で閑静な境内には紅梅白梅が咲き乱れている.
境内入口に,わらじや菅笠が祀られている.なぜ,ここに旅支度のようなものが祀られているのか,浅学の私には分からない.
「なぜ,ここにわらじなどが祀られているのか,私には分かりません・・」
とブツブツ言うと,
「お住職さんに伺えばすぐに分かるんじゃないですか」
とどなたかが言う.“ご尤も!” でも,生来シャイな私は,あえて住職さんに伺う気はしない.
■園光寺
次いで,城護山園光寺を訪れる.真言宗大覚寺派の古刹である.玉縄城主北条氏時が城中城下平安を祈念して玉縄城内に建立したのが始まりである(資料1.P.245参照).
つい先日,下見に来たときは,梅は全く咲いていなかったが,今日は数本の梅が清らかに咲いている.
薬師堂には行基作の薬師如来像,十二神将立像が安置されているそうだが非公開.薬師堂の外観だけを写真に収める.
<フラワーセンター大船>
■まずは早めの昼食
11時13分,フラワーセンター大船に到着する.
11時50分まで自由時間.早めの昼食を摂り,駆け足で園内の梅を見て回るように促す.折角,入園料を支払ったのだから,もう少しユックリしたい.でも,これから向かう手広の畠道には残雪も予想されるので,思わぬ時間ロスが生じる可能性がある.早め早めに行動した方が良いだろうと判断する.
私を含めて,過半数の方々は,入口近くの池に面しベンチに座り込んで,まずは昼食を摂る.
園内に降った雪は,もう殆ど消えている.風もなく過ごしやすい天気に回復している.時間が許すならば,このままずっとフラワーセンターで過ごしていたい気分になる.
■大急ぎで梅を見て回る
昼食後,大急ぎで,園内の南側を半周する.園内の梅は丁度見頃を迎えている.
今日は朝の内の降雪が響いているのか,園内は閑散としているが,ここ梅林の辺りには,多くの入園者が集まっている.
<兜松から椿地蔵へ>
■兜松と見事な梅林
予定より少し遅れて,11時55分にフラワーセンター大船を出発する.
これから東海道本線の線路沿いの道を西南西に進む.周りにはナスステンレス,武田薬品の大企業の工場が並んでいる.真っ直ぐで単調な道を,暫くの間,歩き続ける.途中で鎌倉市から藤沢市に入るが,どこに市境があるのかハッキリしない.
道路が大きく右折する手前で,東海道本線下の天井の低いガードを潜り,神戸製鋼の工場沿いの道を柏尾川の方へ向かう.藤沢市民農園を右手に見ながら少し進むと,鎌倉古道上の道につながる.この鎌古道のすぐ側に御霊神社があるが,今日は立ち寄らないことにする.
やがて,神戸製鋼の敷地内にある史跡,兜松に到着する.金網の穴にデジカメのレンズを差し込んで,史跡の写真を撮る.傍らには兜松の由来を説明した案内板が立っている.この案内板の説明によると,後三年の役に参加した鎌倉権五郎景政がここにあった松の木の下に兜を埋めたという伝説がある.
兜松遺跡の周辺には,見事な紅梅,白梅が見頃を迎えている.
■椿地蔵
手広交差点を渡ってから,藤沢鎌倉道路を鎌倉方面に少し進む.最初の交差点にある椿地蔵を参拝する.ここには,鎖大師参道江の島道を示す古い道標が立っている.また地蔵脇には「弘法大師生誕一千年御忌供養塔」が立っている.
椿地蔵は,別名「いぼ地蔵」ともいわれ,大豆の数珠を供えるといぼが取れるという(参考資料1,p.286参照).
<鎖大師参道を行く>
■熊野神社
椿地蔵から,鎖大師参道沿いに南へ進む.辺りは閑静な住宅地である.ここでも,道路一杯になりそうになる参加者を右側一列になるように促しながら歩く.私は心の中で,なんで,こう,しばしば,口酸っぱく,一列になって下さいと注意しなければならないのか,怒りに似た気持ちが心の中に湧いてくる.それをジッと我慢する.
住宅地の中の道を暫く歩いた後,どの辺りでバス通りに出ようかと迷うが,結局,青蓮寺入口ギリギリの所まで,住宅地内の裏道を進む.そして,信号のないところで,自動車が来ないときを見計らって,イチニノサンで道路を横断する.この辺りが旅行社のツアーと違うところである.褒めたことではないが・・・
すぐにまた静かな住宅地に入る.
路地の突き当たりにある熊野神社を詣でる.石段を登り詰めると社殿がある.社殿の前の大イチョウが如何にも神社らしい雰囲気を醸し出している.
社殿に向かって右側には,石の祠が6社並んでいる.ここには天照大神も祀られているという(参考資料1.P.288).
■路傍の石塔と祠
熊野神社経大に向かって右手の路地に入る.この辺りには,数年前(もっと前かな?)まで,見事な梅畑があったが,今は住宅が建ち並んでいる.
熊野神社の裏山沿いに進む.左手に階段がある.この階段を登ると,小さな公園がある.少しばかり残雪がある.公園には一寸した遊園具とベンチが備え付けてある.私が昼食を摂る場所の候補地のひとつとして心づもりしていたところである.
反対側の出入口から外に出て,公園の外周を一回りして元の階段下へ戻る.その途中に沢山の石塔と祠を一カ所に集めたところがある.これらの石塔や祠は,この辺りの宅地開発が行われる前に,西ヶ谷一帯に安置されていたものである.悲しいことに宅地開発が進んだ結果,この辺りの地形は原型を失ってしまった.
路傍の石塔と祠を見学した後,13時09分に青蓮寺入口に戻る.
(つづく)
[参考資料]
資料1:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a607a508d142b802553742ec804b41a0
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/995f26fa97b21b78878016bd1295244c
梅の鎌倉:玉縄周辺の古刹から七里ヶ浜へ(1)
(五十三次洛遊会定例会)
2011年2月15日(火)
<ハイキング地図>
<大船駅から歩き出す>
■鎌倉に雪が降る
昨夜来の雪で,関東地方はこの冬初めての本格的な降雪である.早朝,自宅の2階から外を見ると一面の銀世界である.
「こりゃ~ぁ・・まいったな~ぁ・・・!」
私は絶句する.
今日は久々の五十三次洛遊会定例会開催当日である.私はすぐに新聞に掲載されている天気図と毎月315円也の有料天気予報のサイトをチェックする.またもや低気圧が本州南海上を東北東に進んでいる.1時間おきの予報を見ると,どうやら10時頃までは曇だが,後は午後までになるようである.気温もそこそこ温かく,風もなさそうである.ただ,途中で通過する予定の未舗装の道路は泥んこのままだろうし,そちこちに残る雪で歩きにくいことが予想される.
私は7時頃,メンバーに“残雪があるかも知れないので,雨靴も考えて下さい”という趣旨に携帯メールを送信する.
■15名の参加者
大船駅前のコンビニで,今日お配りする地図のコピーを終えてから,近くのマクドナルドに入り込んでコーヒーを賞味しながら,今日予定のコースの復習をする.これまで,このブログでもしばしば登場させた事前調査の結果を集約したのが今日のコースである.私は,参加予定のメンバーの顔を思い出しながら,水平歩行距離13.4キロメートル,累積登攀・下降高度それぞれ約310メートルの今日のコースを設定した.このコースならば,多少悪路があっても,時速2.2キロメートル(休憩時間込み)で歩けば,約6時間で歩けるな確信する.
集合時間10時の15分前に,大船駅南口ルミネ前に行く.すでに大半の参加者は集まっている.そして,5分前には全員の顔が揃う.このグループの良い所は,とにかく全員がパンクチュアルなことである.
本日の参加者は15名である.内訳は男性9名,女性5名,中性1名.
予定より少々早く9時58分に大船駅から歩き出す.
■玉縄首塚
大船駅南口から大船観音側に出る.柏尾川を渡って,まずは玉縄首塚を訪れる.1526年(大永6年),安房の里見実尭鎌倉攻めに,玉縄城主北条氏時,渡内氏,甘粕氏が応戦,戦死者をここで供養した(資料1,p.232参照).この塚を甘粕塚とも呼ぶ.
<梅の古刹礼賛>
■玉泉寺
首塚近くのトンネルを潜り,玉縄小学校の前を北西に進む.私達の前を十数名の幼児が行儀良く1列に並んで歩いている.それに対して,大の大人の私達が,ともすれば道一杯になってだらしなく歩きそうになる.私は大声を出して1列になってくれと,再三注意する.注意しながら自分自身がだんだんと情けなくなってくる.
戦争中の教育を受けた私達の世代は,「前にならえ」「右向け右」「回れ右」等々の号令で,一糸乱れずに交信する訓練を受けている.この点が,同じ老人でも,一寸下の世代と著しく異なる.だから,だらしのない歩き方が気になって仕方がない.まあ,とにかく,本心では,だらしなさにイライラしながらも,どこかで妥協して,仕方がないなと思いながら歩き続ける.
10時22分,聖天山玉泉寺に到着する.真言宗大覚寺派.下見に来たときはほとんど咲いていなかった境内の梅が見頃を迎えている.寺の由来などは,説明が面倒なので省略.とにかく静まり返った庭に梅がひっそりと咲いている.
■貞宗寺
フラワーセンター大船の北側をかすめるように通過する.そして,商業コンプレックス「コーナン」を通過して数分先へ進んだところから左折して植木の住宅地の路地に入る.ここでも口うるさく“右側を1列に・・”と声を張り上げる.
途中から左折して住宅地内の路地に入る.ところがウッカリ一本手前の路地に入ってしまったので,当初予定していた園光寺から貞宗寺に廻る順路を逆にして,玉縄山貞宗寺を先に参拝することにする.浄土宗の寺である.
「徳川2代将軍秀忠の“おばあさん”貞宗院を葬ったお寺ですよ・・」
とだけ説明する(資料1.P.244参照).
ここは現在の玉縄小学校発祥の地でもある.
清楚で閑静な境内には紅梅白梅が咲き乱れている.
境内入口に,わらじや菅笠が祀られている.なぜ,ここに旅支度のようなものが祀られているのか,浅学の私には分からない.
「なぜ,ここにわらじなどが祀られているのか,私には分かりません・・」
とブツブツ言うと,
「お住職さんに伺えばすぐに分かるんじゃないですか」
とどなたかが言う.“ご尤も!” でも,生来シャイな私は,あえて住職さんに伺う気はしない.
■園光寺
次いで,城護山園光寺を訪れる.真言宗大覚寺派の古刹である.玉縄城主北条氏時が城中城下平安を祈念して玉縄城内に建立したのが始まりである(資料1.P.245参照).
つい先日,下見に来たときは,梅は全く咲いていなかったが,今日は数本の梅が清らかに咲いている.
薬師堂には行基作の薬師如来像,十二神将立像が安置されているそうだが非公開.薬師堂の外観だけを写真に収める.
<フラワーセンター大船>
■まずは早めの昼食
11時13分,フラワーセンター大船に到着する.
11時50分まで自由時間.早めの昼食を摂り,駆け足で園内の梅を見て回るように促す.折角,入園料を支払ったのだから,もう少しユックリしたい.でも,これから向かう手広の畠道には残雪も予想されるので,思わぬ時間ロスが生じる可能性がある.早め早めに行動した方が良いだろうと判断する.
私を含めて,過半数の方々は,入口近くの池に面しベンチに座り込んで,まずは昼食を摂る.
園内に降った雪は,もう殆ど消えている.風もなく過ごしやすい天気に回復している.時間が許すならば,このままずっとフラワーセンターで過ごしていたい気分になる.
■大急ぎで梅を見て回る
昼食後,大急ぎで,園内の南側を半周する.園内の梅は丁度見頃を迎えている.
今日は朝の内の降雪が響いているのか,園内は閑散としているが,ここ梅林の辺りには,多くの入園者が集まっている.
<兜松から椿地蔵へ>
■兜松と見事な梅林
予定より少し遅れて,11時55分にフラワーセンター大船を出発する.
これから東海道本線の線路沿いの道を西南西に進む.周りにはナスステンレス,武田薬品の大企業の工場が並んでいる.真っ直ぐで単調な道を,暫くの間,歩き続ける.途中で鎌倉市から藤沢市に入るが,どこに市境があるのかハッキリしない.
道路が大きく右折する手前で,東海道本線下の天井の低いガードを潜り,神戸製鋼の工場沿いの道を柏尾川の方へ向かう.藤沢市民農園を右手に見ながら少し進むと,鎌倉古道上の道につながる.この鎌古道のすぐ側に御霊神社があるが,今日は立ち寄らないことにする.
やがて,神戸製鋼の敷地内にある史跡,兜松に到着する.金網の穴にデジカメのレンズを差し込んで,史跡の写真を撮る.傍らには兜松の由来を説明した案内板が立っている.この案内板の説明によると,後三年の役に参加した鎌倉権五郎景政がここにあった松の木の下に兜を埋めたという伝説がある.
兜松遺跡の周辺には,見事な紅梅,白梅が見頃を迎えている.
■椿地蔵
手広交差点を渡ってから,藤沢鎌倉道路を鎌倉方面に少し進む.最初の交差点にある椿地蔵を参拝する.ここには,鎖大師参道江の島道を示す古い道標が立っている.また地蔵脇には「弘法大師生誕一千年御忌供養塔」が立っている.
椿地蔵は,別名「いぼ地蔵」ともいわれ,大豆の数珠を供えるといぼが取れるという(参考資料1,p.286参照).
<鎖大師参道を行く>
■熊野神社
椿地蔵から,鎖大師参道沿いに南へ進む.辺りは閑静な住宅地である.ここでも,道路一杯になりそうになる参加者を右側一列になるように促しながら歩く.私は心の中で,なんで,こう,しばしば,口酸っぱく,一列になって下さいと注意しなければならないのか,怒りに似た気持ちが心の中に湧いてくる.それをジッと我慢する.
住宅地の中の道を暫く歩いた後,どの辺りでバス通りに出ようかと迷うが,結局,青蓮寺入口ギリギリの所まで,住宅地内の裏道を進む.そして,信号のないところで,自動車が来ないときを見計らって,イチニノサンで道路を横断する.この辺りが旅行社のツアーと違うところである.褒めたことではないが・・・
すぐにまた静かな住宅地に入る.
路地の突き当たりにある熊野神社を詣でる.石段を登り詰めると社殿がある.社殿の前の大イチョウが如何にも神社らしい雰囲気を醸し出している.
社殿に向かって右側には,石の祠が6社並んでいる.ここには天照大神も祀られているという(参考資料1.P.288).
■路傍の石塔と祠
熊野神社経大に向かって右手の路地に入る.この辺りには,数年前(もっと前かな?)まで,見事な梅畑があったが,今は住宅が建ち並んでいる.
熊野神社の裏山沿いに進む.左手に階段がある.この階段を登ると,小さな公園がある.少しばかり残雪がある.公園には一寸した遊園具とベンチが備え付けてある.私が昼食を摂る場所の候補地のひとつとして心づもりしていたところである.
反対側の出入口から外に出て,公園の外周を一回りして元の階段下へ戻る.その途中に沢山の石塔と祠を一カ所に集めたところがある.これらの石塔や祠は,この辺りの宅地開発が行われる前に,西ヶ谷一帯に安置されていたものである.悲しいことに宅地開発が進んだ結果,この辺りの地形は原型を失ってしまった.
路傍の石塔と祠を見学した後,13時09分に青蓮寺入口に戻る.
(つづく)
[参考資料]
資料1:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a607a508d142b802553742ec804b41a0
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/995f26fa97b21b78878016bd1295244c