中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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春の鎌倉路:材木座を中心に社寺史跡を歩く(1)

2009年03月25日 19時57分20秒 | 鎌倉あれこれ

                    <別願寺の足利持氏供養塔>

        春の鎌倉路:材木座を中心に社寺史跡を歩く(1)
                (単独散策)
           2009年3月17日(火)

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 暖かである.最初は,自宅に隠って,雑務を片付けるつもりであったが,陽気が良くなると,どうしても散歩をしたくなる.私は,4月初旬に開催予定の五十三次洛遊会の散策の事前調査を兼ねて,このところ足が遠のいていた鎌倉東南部の社寺史跡を片っ端から辿ってみることにした.
 12時過ぎに鎌倉駅から歩き出す.そして,妙本寺,常栄寺,八雲神社,別願寺,上行寺,安養院,本興寺,辻ノ薬師,元八幡,啓運寺,五所神社,向福寺,五所神社,実相寺,九品寺,光明寺,良忠上人廟,内藤家墓所,和賀江島碑,六角ノ井,正覚寺,住吉神社,住吉城趾,バス停飯島の順に一回りした.
 水平歩行距離,約5.6km,累積登攀高度約130mのプチハイキングであった.
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<散策地図>




■本覚寺
 鎌倉駅を12時42分に歩き出す.
 まずは,本覚寺を訪れる.ここは,何時も訪れている所なので,今日は境内を素通りする.相変わらず,付近の住民が,境内を往来している.この地域に密着した雰囲気が堪らなく嬉しい.
 

                                <本覚寺>
                                 
■妙本寺
 夷橋を渡って,12時28分,妙本寺に到着する.静寂な境内に入ると心が落ち着く.私は,結果的に,毎週のように,この寺を訪れていることになる.本堂は鬱蒼とした木立に囲まれている.
 鎌倉駅からそれほど離れていないのに,ここを訪れる人は,とても少ない.
 暫くの間,私は境内を散策する.

                       <妙本寺>

■常栄寺
 12時37分,常栄寺に到着する.言わずと知れた「ぼたもち寺」である.この寺の説明は,以前,このブログでも,権威ある書籍から引用して,説明文を掲載したが,念のため,今回も一言だけ付け加えることにする.
 山号は慧雲山,創建は1606年(慶長11年)である.日蓮宗の寺である.開山は日昭上人.1271年(文永8年),日蓮は捕らえられる.そして,裸馬に乗せられて引き回される.そのとき,この辺りに住む「桟敷の媼」が日蓮にゴマの餅を捧げたという(鎌鎌倉商工会議所,2007,p.105).

                      <常栄寺>

■八雲神社
 細い路地を南へ向かう.観光客は殆ど居ない.地元の方々とときどきすれ違う.静かな通りである.
 12時38分,八雲神社に到着する.ここから山道に入ると祇園山ハイキングコースに通じている.私は,このまま祇園山ハイキングコースに入ってしまおうかと思った.でも,今日は五十三次洛遊会定例会の下見に来ていることを思い出す.迷いながらも八雲神社の前を通過する.
 八雲神社は大町の鎮守である.厄除け開運の神社である.1080年代(永保年間),新羅三郎義満が,京都祇園社の祭神を勧請したのが始まりだという(鎌倉商工会議所,2007,pp.115-116).

                       <八雲神社>

■別願寺
 やがて,国道134号線に突き当たる.ここを左折して,国道134号線に沿って,逗子の方へ歩くことにする.国道134号線は,自動車の往来が激しいので,歩いていても落ち着かない.自動車が多い道は早くおさらばしたいなと思いながら歩き続ける.
 そして,12時41分,稲荷山(とうかさん)別願寺に到着する.ここは時宗の寺.藤沢山浄光明寺(遊行寺)の末寺である.1282年(弘安5年),公忍が一遍上人に帰依して,真言宗から時宗に改宗した(鎌倉商工会議所,2007,p.102).
 境内の一角に,足利持氏の大きな供養塔がある.
 私は,五十三次洛遊会の皆様には,この供養塔を,是非,見て貰いたいな思っている.

                         <別願寺>

■上行寺
 私は,国道134号線を挟んで,別願寺の反対側にある法久山上行寺を訪れたいと思う.ところが近くに横断歩道がないので,危ないなとは思いながら,自動車の列が途絶えた所で,道路の反対側に渡る.
 12時42分,上行寺の山門を潜る.鬼子母神を祀る薬師堂,瘡守稲荷を祀る稲荷堂が狭い敷地の中に建てられていて,やや俗っぽい雰囲気が漂う寺である.この俗っぽさが私のお気に入りである.山門の欄間には,左甚五郎作といわれる龍の彫り物が飾られている.私には彫刻のことは良く分からないが,この龍の彫り物を見るのが好きである.そして,ここを訪れるたびに,龍の写真を撮っている.
 本堂に向かって左手に,桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸藩士広木松之助の墓がある.
 上行寺は,1313年(正和2年)に創建された.開山は日範上人.もともとは,京都本国寺の末寺だったという(鎌倉商工会議所,2007,p.105).

                        <上行寺>

                                                       (つづく) 


[参考文献]
鎌倉商工会議所(編),2007『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社.

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