<倉賀野宿の脇本陣>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第6回);(5)倉賀野宿から高崎駅へ
(五十三次洛遊会)
2010年4月10日(土)
※本稿の初出は2010年5月15日である.
初稿の地図を差し替え,本文の加除修正をおこなった,
<ルート地図>
<倉賀野宿>
■閻魔堂
14時20分.観音寺に到着する.ここで,小休止した私たちは,14時23分に再び西へ向かって歩き出す.自動車の交通量が多い道である.この辺りは高崎東部工業団地の中.両側には工場や事業所が多いようである.
14時48分,閻魔堂に到着する.
資料5によると,「閻魔堂は明治以降の呼び名で,それ以前は「念仏堂」あるいは「阿弥陀堂」と呼んでおり,倉賀野宿の「下の木戸」の外側に位置しておりました.また、この場所は中山道から日光例弊使街道が分岐する起点の三差路となっています.創建は不明ですが,「高崎宿・倉賀野宿往還通絵図面」(1703年(元禄16年)に描かれた)に南向きの本堂と付属屋からなる「阿弥陀堂」が描かれています.この「阿弥陀堂}が1798年(寛政10年)の倉賀野大火で類焼し,その年のうちに再建されました.」と紹介されている.
<立派な石碑が立っている.何の石塔か分からない.> <閻魔堂>
■常夜灯
閻魔堂のすぐ近くに倉賀野常夜灯が立っている.いよいよ倉賀野宿である.
常夜灯の傍らにある案内板の説明によると,「中山道は,倉賀野東,下の木戸を出ると日光例幣使街道と分かれる.そこには,道しるべ,常夜灯,閻魔堂がある.道しるべには左日光道,右江戸道とある.ここから日光例幣使街道は始まる・・」とある.
また,この案内板には「この常夜灯は,群馬県内ではお王者の風格がある」と褒め称えている.1814年(文化10年)に建立されたもののようである.
<倉賀野宿案内杭> <常夜灯の説明文>
<常夜灯と観音山古墳の案内板>
■スーパー「ベイシアマート」
15時丁度にスーパー「ベイシアマート」に到着する.ここで暫く休憩を取る.
汗ばむほどの陽気である.スーパーの店内に入って涼を取る.堪らずアイスクリームを購入する.
<ベイシアマートの広い駐車場>
■倉賀野本陣跡
ベイシアマート駐車場脇に倉賀野本陣跡を示す石柱が立っている.この石彫以外に本陣の痕跡を示すものは何もない.
<本陣跡>
■脇本陣跡
15時12分にベイシアマートから歩き出す.旧中山道を西へ進む.
15時16分,脇本陣跡に到着する.道路の両側に脇本陣を示す立派な石柱が立っている.
<脇本陣跡> <脇本陣跡を示す石柱>
■高札所
15時17分,高札所跡を通過する.復元された高札所が建っている.
<高札場跡>
■倉賀野神社に到着
旧中山道から左折して路地に入る.路地の突き当たりに倉賀野神社がある.
境内にある案内板によると,倉賀野神社の創建は崇神天皇.皇子豊城入彦命が東国経営にあたり,境内に斎場を設けて,松の木を植えて亀形の石を祀ったことから始まったという.また,豊城入彦命は,上野国の一大豪族上毛野君の祖という記事が日本書紀にあるらしい.
<倉賀野神社>
■飯塚久敏顕彰の碑
倉賀野神社境内に飯塚久敏顕彰の碑がある.
近くにある説明文によると,久敏は1810年(文化7年),倉賀野宿飯塚家に生まれた歌人.1843年(天保14年)没.長野県上田を中心に門人の指導育成に努め,北信歌壇に大きな影響を与えた人物のようである.
■安楽寺
15時28分,安楽寺の前を通過する.デジカメで外から写真を撮っただけで境内には入らなかった.
安楽寺の由来を調べたくて,ウエブサイトを検索したが,まだ,適切な情報は見付かっていない(2010年5月16日現在).
<安楽寺>
■林西寺
15時29分,林西寺に到着する.境内の桜が,今,満開を迎えている.境内で数分休憩を取る.資料6によると,「真言宗の寺.本尊は阿弥陀三尊.真言宗,本尊は阿弥陀三尊.1516年(永正13年),法印乗傳和尚(じょうでんおしょう)が開基.このお寺の特徴は,山門の手前右手に石仏が整然とられべられていること.右から,宮原十一面観音,清水観音,馬頭観音である.馬頭観音は万福寺(江戸初期に廃寺)にあったと伝えられている.本堂の西側の大師堂は,東京高輪の高野山真言宗東京別院の管長部屋を移築したもの」ということである.
<林西寺>
<浅間山古墳>
■松並木を進む
15時32分,林西寺を出発する.旧中山道を西北西進む.すぐに国道17号線のガードを潜る.真っ直ぐに続く中山道を進むと,やがて松並木が続くようになる.植えてある松が若木なので,まだ松並木らしい風情はないが,後数十年も経てば立派な並木道になるだろう.
松並木を歩いていると,左前方に大きな古墳が見え出す.
<まだ樹齢が若い松並木>
■浅間山古墳に登る
古墳の所在を地図で確かめる.どうやら浅間山古墳と言うらしい.いかにも勇壮な古墳である.誰からともなく,
「・・あそこへ行ってみようか・・・」
と言うことになる.
旧中山道から斜め左に続くあぜ道のような小径に入る.どうやら前方後円墳のようである.小径は前方と後円の間の凹んだところ,鞍部に続いている.
鞍部まで登り詰めると,視界が開ける.引き続き北にある円墳の頂上に登る.ヤブに覆われた急な登り坂を2~3分登ると円墳の頂上に到着する.
円墳の頂上から,そのまま直進して急坂を下る.そして畑の中の道を辿って,住宅地の一角に出る.
■古墳の説明板
住宅地に登ったところに,この古墳の説明板が設置されている.この説明文によると,この古墳の規模は全長171.5メートル.内堀の幅は前方部で30.8メートル,外堀の幅は56~65メートルの規模であったようである.また後円墳の直径は105メートル,高さ14.1メートル,前方部の長さは66.3メートルに達する大きなものである.
この古墳が作られたのは,墳丘の形状,出土された埴輪などから4世紀末から5世紀初頭と推定されているようである.
<古墳の説明板>
■道に迷う;旧中山道から外れる
古墳から往路をたどって,元の場所に戻るのが一番着実だが,手許の地図を見ると,ここから北に向かえば,旧中山道に出られる筈である.誰からともなく,古墳を回り込むように,北に向けて歩き出す.辺りには長閑な田園が広がっている.
ところが,暫く進むと,地図には記述されていない新興住宅地の中に入ってしまう.途端に方向感覚が失われる.居合わせた現地の方々に教えて貰った通りの方向に歩く.
間もなく小さな川を渡る.この時点で,明らかに旧中山道とは離れたところを歩いていることに気がつく.しかし,今更,振り出しに戻ることもできないので,そのまま高崎方面に向けて歩き続ける.
■高崎市内へ向けて
上佐野町の十字路で左折,暫く西へ進む.そして,やや広い道路に突き当たる.ここで右折して,ほぼ北の方向に歩き続ける.
暫く歩き続けると,前方に大きな高架道路が見え始める.高架道路の上を豆粒のような自動車が沢山走っている.この高架道路を見て,JR高崎駅が近いなと確信する.
<高崎駅へ>
■上信電鉄の踏切を渡る
16時35分頃,高速道路のガード下を潜り抜ける.辺りは大きな自動車道路が交錯していて騒々しい.旧中山道である.上佐野町から枝道に入った私たちは,やっと,旧中山道に戻ることができた.
16時43分,上越新幹線のガード下を通過する.つづいて,16時48分上信電鉄の踏切を通過する.単線である.
<上信電鉄の踏切を渡る>
■愛宕神社
いよいよ高崎の中心街に入る.道路周辺のビルが市街地に近付いたことを示している.やがて,旧中山道が少し右に曲がり,真北に方向を変える.
この曲がり角に愛宕神社がある.もう時間が押しているので,遠くから愛宕神社の写真を撮っただけで先を急ぐ.
<愛宕神社>
■JR高崎駅に到着
17時頃高崎駅前の道路と交差する.交差点を右折して真東に向かう駅前道路を歩く.駅前の繁華街にしては,人影が少なくて,随分と寂れた印象を受ける.
17時05分,ようやくJR高崎駅に到着する.
<JR高崎駅>
■無事帰宅
高崎駅17時14分発湘南新宿ラインの電車に乗る.このまま下車駅の大船まで乗換なしで済むのは有り難い.でも随分と時間が掛かる.高崎を出るときは,車内に多少の空席があったが,途中から随分と混雑する.
座席に座っていても,身動きもままならない混雑を我慢していると,だんだんと眠くなる.
20時30分頃,やっと帰宅する.
<ラップタイム>
10:12 JR神保原駅歩き出し
10:37 金窪神社
10:47 陽雲寺
10:58 一里塚
11:39 諏訪神社(11:45まで休憩)
11:46 専福寺
11:47 浄泉寺
11:56 於菊神社
12:23 明治天皇行在所(12:57まで昼食)
13:02 宝勝寺
13:05 スリーデーマーチ発祥の碑
13:12 伊勢嶋神社
14:20 観音寺
15:00 本陣跡(15:12まで休憩)
15:17 高札所
15:22 倉賀野神社
15:29 林西寺
15:43 浅間山古墳
17:05 JR高崎駅
[歩行記録]
■水平歩行距離 17.5km
■累積登攀高度 59m
■累積下降高度 25m
■所要時間(休憩時間込み)
神保原発 10:12
高崎 着 17:05
(所要時間) 6時間48分(6.80h)
水平歩行速度 17.5km/6.80h=2.57km/h
(第6回おわり)
[加除修正]
2013/2/26 ルート地図の変更と本文の加除修正を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://suzukura-02.at.webry.info/201009/article_3.html
資料6:http://hayakura.com/rinsaiji.html
(つづく)
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/73d8eb7119c4836cb23bf865a255333d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b5c63f90a00fa2bac7d57743de81c4d2
「「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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