中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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山桜の古都:鎌倉を散策する(1)

2009年04月24日 18時18分13秒 | 鎌倉あれこれ

                   <長勝寺裏山の赤木敬一路碑>

           山桜の古都:鎌倉を散策する(1)
          <衣張山から長勝寺・光明寺を巡る>

               五十三次洛遊会
                第4回定例会

             2009年4月8日(水)

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 五十三次洛遊会第4回定例会は,「山桜を愛でる」をテーマにして,鎌倉東部地区を散策した.参加者は総勢19名と盛況であった.鎌倉駅を出発した私達は,妙本寺,上行寺,大宝寺などの古刹を参詣・見学した後,釈迦堂口切通を抜けて,田楽辻子に出る.ここから平成巡礼道を辿って,衣張山山頂に登る.ここで風景を眺めながら昼食.
 午後は,浅間山,パノラマ台の眺望を堪能した後,名越切通,長勝寺,赤木圭一郎碑を見学後,光明寺で小堀遠州作の記主庭園を参観,さらに良忠上人と4代執権北条経時の墓所を詣でる.その後,内藤家墓所,和賀江島,六角ノ井,正覚寺,住吉神明社,住吉城趾などを見学する.そして,材木座海岸,若宮大路を経由して鎌倉駅へ戻る.
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<ハイキング地図>


                25,000分の1地形図『鎌倉』

<プロフィールマップ>


                   水平歩行距離    11.0km
                   累積登攀下降高度  380m

<鎌倉駅から衣張山へ>

■鎌倉駅から歩き出す
 今日(4月8日)は,五十三次洛遊会で,私が企画する鎌倉散策第4回目の定例会の日である.私の考えたコースで果たして,参加者の皆様が満足して頂けるかどうかが,とても気になっている.
 鎌倉中央公園発9時30分頃の鎌倉駅西口行1番バスに乗れば,9時55分頃,鎌倉駅西口に到着する.10時集合ならば,このバスを利用するのが1番楽だが,今日ばかりは,自分が主催者なので,何があっても,遅刻する訳にはいかない.私は安全を見込んで,別のバスを利用して,9時32分に大船駅に出る.直ぐによこす架線電車に乗って,9時47分に鎌倉駅に到着する.駅前のコンビニで,今日使用する地図を20枚ほどコピーして,集合場所の改札口に向かう.
 10時前に,参加予定者全員が揃う.今日の参加者は19名と大勢である.鎌倉駅前は,相変わらず沢山の観光客で賑わっている.
 10時07分に鎌倉駅前を歩き出す.

■妙本寺,常栄寺,別願寺,上行寺
 まずは本覚寺の境内を抜ける.ここは,今年初めの鎌倉七福神めぐりで,十分時間を掛けて見学しているので,今回は素通りする.夷堂橋を渡って,10時25分,妙本寺に到着する.境内の桜が満開を迎えている.丁度見頃である.
 私達も,沢山の観光客に混じって,暫くの間,境内を見学する.
 10時35分,妙本寺を出発する.そして,10時40分,常栄寺(ぼたもち寺)に到着する.ここで,ほんの数分見学をする.
 次いで,時宗の別願寺を詣でる.ここで,足利持氏供養塔を見学.次いで,道路反対側の上行寺で,左甚五郎作の龍と,桜田門外で井伊直弼を襲撃した水戸藩士広木松之助の墓を詣でる.

                  <桜が満開の妙本寺>

■釈迦堂切通から田楽辻子へ
 安養院の脇道を通って大町に出る.
 11時02分に,大宝寺を見学する.大宝寺の後の山が,山桜と新緑で綺麗である.ほんの数分の見学で,先を急ぐ.
 大町を北へ進んで,11時20分,釈迦堂口切通を通過する.参加者の中には,初めてここを訪れた人も多く,異様な風景に驚いているようである.
 釈迦堂口切通を抜けて,田楽辻子へ向かう.
 11時30分頃,犬懸橋からの道との交差点に到着する.ここで,衣張山方面へ向かうか,それとも華頂宮邸方面へ向かうかを,参加者に伺うが,圧倒的に,衣張山へ行きたいという人が多い.そこで平成巡礼道を辿って,衣張山へ登ることにする.

                      <釈迦堂口切通>

■平成巡礼道
 平成巡礼道に入り,南へ進む.道路の左手(東側)は報国寺を挟む尾根になっている.右側(西側)は,暫くの間,住宅地が続く.
 数分,道路を遡ると住宅地が途絶える.ここから先は完全な山道になる.ジグザグの山道を登り続ける.そして,11時50分,山頂直下の石切場跡に到着する.ここからの鎌倉霊園方面の眺望は素晴らしい.左手には天園ハイキングコースが見える.どの山並みも山桜と新緑で実に綺麗である.
 暫くの間,山桜を眺めながら過ごす.

             <山桜が満開:衣張山・浅間山の中間点からの眺望>

■衣張山で昼食
 石切場から急坂を登って,11時52分に衣張山山頂に到着する.私達以外にも,沢山のハイカーが訪れている.ここから鎌倉市内が見下ろせる.右手には大船観音が一際目立って見えている.今日はあいにくの春霞で富士山は見えないが,相模湾沿いの江ノ島,藤沢,茅ヶ崎辺りの海岸線が良く見えている.
 私達は風景を眺めながら,ここで昼食を摂る.

<名越切通から長勝寺へ>

■浅間山山頂から「かまくら幼稚園」へ
 12時27分に衣張山を出発する.尾根道を辿る.途中,山桜の見晴の良い場所で,満開の山桜で一杯の眺望を堪能する.そして,12時32分,浅間山山頂に到着する.ここからの眺望も素晴らしい.目の前には,これから訪れる名越とパノラマ台,左手には逗子市街地,右手には鎌倉由比ヶ浜,江ノ島が見えている.
 浅間山から尾根伝いに鎌倉逗子ハイランド住宅地に下山する.12時45分,住宅地の縁にある「かまくら幼稚園」前に到着する.ここは富士山が良く見えるので,有名な所である.ただ,残念ながら,今日は見えない.

■パノラマ台
 続いて幼稚園の隣にある公園に入る.公園の入口で,10分ほどトイレ休憩を取る.その間,木陰のベンチに座って,トイレが終わるのを待っている.
 その後,公園を横断して,小高い丘の上にあるパノラマ台に上る.短いけれども,急な登り坂を一気に登り詰めると,360度の視界が開ける.鎌倉でも,最も見晴の良い所だと思う.ただ,丘の上は狭くて,19人が一度に登ると満杯になってしまう.
 春の霞がおぼろで,遠くの風景は茫洋としているが,相模湾の大海原から,これから登る長勝寺の裏山まで,とても見事なパノラマが展開する.
                   <パノラマ台からの眺望>

■大切岸とお猿が畠
 パノラマ台の眺望を堪能した後,私達は鎌倉市と逗子市の市境に沿って南へ進む.この辺りは大切岸と呼ばれる史跡の真上に散策路が通っている.この辺りはお猿畠切岸と呼ばれ,800メートルにも及ぶ人工の断崖が残されている(逗子教育研究会調査部,1989,pp.98-101).
 参加者の殆どが,ここを訪れたことがないようである.鎌倉散策というと,建長寺,円覚寺,大仏,長谷観音,鶴岡八幡宮辺りを一回り,後は小町通を散策するぐらいのイメージしかない方々にとっては,全く別の顔を持った鎌倉に映ったようである.
 暫く進むと.大切岸から逗子方面に下る三叉路に到着する.この三叉路を逗子に向かって下ると法性寺がある.「日蓮上人は,鎌倉に来て法性寺の岩穴に住んだが,食料に困る.するとこの山に住む猿が畠にある食べ物を持ってきて助けた」という.
 過日,この場所を,日蓮宗に帰依する知人に紹介した所,大変,感銘を受けたと言っていた.鎌倉を歩いていると,古い歴史の襞のようなものを肌で感じることができる.これも鎌倉散策の楽しみである.

                    <名越切通>

■名越切通から長勝寺へ
 尾根道を抜けて名越切通道に合流する.まんだら堂の周囲を回り込むようにして,名越切通を見学する.ここは鎌倉七口の一つとして,交通の要所であった.私も同行の皆さんを案内しながら,往時のことに思いを馳せる.ここを訪れるたびに,歴史のロマンを感じる一方で,何回も繰り返された殺戮に身の毛がよだつような恐ろしさを感じてしまう.
 切通を一回りして,もとの合流点に戻る.ここから,坂道を下って,横須賀線の線路脇を通って,大町の住宅地に入る.横須賀線の踏切を渡って,史跡日蓮乞水と鎌倉十井の一つである銚子ノ井を見学する.大勢の人間で,狭い路地を抜けるのは,少々気が引けるが,折角,ここまで来たのだから,鎌倉市民の1人として,是非,皆さんに紹介したいと思っている.
 日蓮が水を飲みたいと思って,杖を地面に刺したら水が湧き出たなどという伝説は,当然あり得ないが,そのような伝説が,どのような時代背景から生まれたのか,その必然性には,歴史の素人ながら,とても興味が湧く.
 14時08分,長勝寺に到着する.長勝寺については,このブログでも何回も記述しているので,ここでは説明を省略するが,日蓮宗の大寺院である.
 山門を入る.丁度,満開を迎えた桜の木の枝の間から日蓮上人の立像が見え隠れしている.この寺の日蓮様は,妙本寺の日蓮上人像の日蓮様より,幾分太って居られるように見える.

                    <桜が満開の長勝寺>

■赤木圭一郎碑
 参加者一同が元気なので,長勝寺裏山の墓地に登って,山頂にある赤木圭一郎碑を見学することになる.
 余談になるが,私自身はこの赤木圭一郎なる人物の記憶は全くと言っていいほど持っていない.後々になって,彼の評判を聞いて,成る程,そうだったのかと思う程度である.赤木圭一郎が活躍していた頃,一体,私はどこで何をしていたのだろうか.あの頃から私は世辞に疎かったようである.
 墓地の中の長い階段を登る.階段が何段あるか数えたことはないが,山頂まで登るのはかなりきつい.しかし,そこはさすがに東海道五十三次宿場巡りを完歩した方々である.1人の落伍者もなく,山頂まで登りきる.
 山頂が近付くにつれて,だんだんと視界が広がって見晴が良くなる.振り返ると私達がつい先ほど通過した山々が見えている.
 14時20分頃,漸く山頂に到着する.赤木圭一郎碑は,海に面して立てられている.碑の後ろを見ると,私達が通ってきた衣張山,浅間山の尾根辺りが見えている.うねうねと続く山には,満開の山桜が一面に広がっている.素晴らしい眺めである.
 暫くの間,辺りの風景を堪能した後,私達は光明寺を目指して歩き出す.

                <長勝寺裏山の急な階段を登る>

                               (つづく)

[参考文献] 逗子教育研究会調査部(編),1989『逗子子ども風土記』,逗子教育研究会

「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/281d948ce66f5689141d11fdcfedb92f
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2a3e9bbf1a50ae55f543c9766b0e114e
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/40175dfe0ca199c3fea5f2684e39d36b
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
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