中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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山桜の古都:鎌倉を散策する(2)

2009年04月25日 16時54分16秒 | 鎌倉あれこれ

                       <光明寺で集合写真>

           山桜の古都:鎌倉を散策する(2)
          <衣張山から長勝寺・光明寺を巡る>

          (五十三次洛遊会第4回定例会)(つづき)
             2009年4月8日(水)


(つづき)

<光明寺>

■材木座4丁目の谷を降りて光明寺へ
 赤木圭一郎碑を見学した後,谷沿いの狭い路地をクネクネと下る.歩行者がやっと1人通れる狭い階段道下ると,次第に住宅が密集してくる.方々の谷から下ってくる道と合流して,材木座4丁目の谷間の住宅街に出る.裏路地と墓地をショートカットして,大本山光明寺に到着する.
 三門に掛かる後花園天皇の書「天照山」の額を拝みながら,三門を潜る.この額の大きさは,およそタタミ1畳分はあるというから凄い(鎌倉市教育研究委員会,2000,pp.342-344).4代執権北条経時が,1240年(仁治元年),佐助ヶ谷に蓮花寺を建立したのが,この寺の始まりだという.そして,1243年(寛元元年),この地に移して名称を光明寺と改めたという.
 三門を潜ると境内が広がる.沢山の桜が正に満開,見頃である.何時もよりも沢山の観光客が訪れている.満開の桜の向こうに大きな本堂が垣間見えている.何とも素晴らしい雰囲気である.広場の片隅では数匹のネコがのんびり日向ぼっこをしている.靴を脱いで本堂に登ると,記主庭園を見学することができるが,靴を脱ぐのが面倒なので,私は本堂には上がらずに外で待つ.この庭園には,あの大賀博士が,弥生時代の遺跡から得た蓮の種から育てた蓮が植えられている.
 ここは,かつて鎌倉アカデミアが開校されていた所でもある.そんな往時のことを偲びながら,一同が庭園の見学を終えるのを待つ.

                     <桜が満開の光明寺>

■天照山刀剣鍛錬所跡と良忠上人墓所
 本堂に向かって右側に編引地蔵尊が安置されている.その隣から坂道を登って,秋葉山大権現の参道の手前に出る.時間があれば秋葉山大権現を参拝したかったが,今日は省略する.
 鎌倉第一中学校の方へ向かう.
 途中,天照山刀剣鍛錬所後跡を通過する.この鍛錬所は昭和初期に作られたもので,海軍工廠の専属として,軍刀を鍛えていたようである.
 鎌倉第一中学校校庭に沿って左折して,崖沿いの路地に入る.路地の突き当たりで左に曲がって階段を登る.そこには良忠上人御廟がある.正面中央に良忠上人の無縫塔がある.左手奥にある宝篋印塔は北条経時の墓である.

                     <良忠上人墓所>

■神奈川景勝五十選
 良忠上人墓所から元の道に戻る.ここは神奈川景勝五十選の一つ「光明寺裏山の眺望」の場所である.案内板のあるところからは,生え茂った樹木が邪魔をして,景色は殆ど見えないが,少し離れた所から,景勝が良く見える.先ほど訪れたパノラマ台や衣張山に比較すれば,標高が低いので,高度感に欠けるが,それでも光明寺の本堂を近景にした材木座,由比ヶ浜の眺望はさすがである.

                <神奈川景勝五十選:光明寺の裏山>

■内藤家墓所
 短いトンネルを潜る.少々急な下り坂を進む.すると日向国延岡藩主内藤家墓所が見えてくる.同行の1人が,
 「日向って・・・九州でしょう.どうして九州の殿様の墓がここにあるの.この石,九州から運んできたの・・・」
と想定外の質問をしてくる.

                     <内藤家墓所>

<和賀江島から住吉城趾へ>

■和賀江島と六角ノ井

 内藤家墓所から海岸沿いのバス通りに出る.この道を逗子の方に少し歩いて,トンネルの手前から海岸に出る.ここから和賀江島が良く見える.ここは日本最古の築港跡として国史跡に指定されている.1232年(貞永元年),往阿弥陀仏が海難事故を防ぐ目的で幕府の許可を得て築いたといわれる.
 源実朝が,唐船を造らせ,渡宋の夢を果たそうとしたのも,この辺りである.
 今は丁度満潮時のようである.引き潮の時は海岸沿いに,若江島の碑のある岩を経由して,六角ノ井の手前にある石段まで行けるが,満潮の今は無理である.仕方なく,海岸線に沿って,トンネル脇から崖下の枝道に右折する.そして,ほんの100メートルほど歩いて,15時18分,六角ノ井に到着する.
 源為朝が伊豆大島から天照山に向けて矢を放つ.すると,その矢が,この井戸に落ちたという伝説がある.

                    <六角ノ井>

■正覚寺
 六角ノ井が本当に八角形になっているか井戸の囲いの隙間から,何人もの方々が覗き込む.そんなこんなで,瞬く間に時間が経過する.
 井戸の見学を終えて,正覚寺の前に移動する.ここは,1240年(仁治元年),記主禅師が悟真院を結んだのが始まりである(小林,1996,p.113).人気のない狭い境内の寺である.19人が一度に境内に入るほどの余裕がないので,交代に見学して貰う.

■住吉神明社
 本来ならば,本堂脇の軒下をすり抜けて,狭くて長い階段を経由して住吉神社まで登りたい所だが,境内を通るのを遠慮する.そして,正覚寺脇の急な登り坂の一般道を登って,最初の三叉路を右折する.すると崖下の小径が続く.数十メートル進むと高い崖下の住吉神明社に到着する.
 ここは元三浦郡の総鎮守であった.ここのご本尊は運慶作の像高約33センチメートルの坐像だという(小林,1996,p.113).
 滴るような新緑が狭い境内を覆っている.質素で小さな社殿がポツンと建てられている.大きな木々の間から,相模湾を挟んで由比ヶ浜海岸が見えている.
 交代で,向かって右側にある「くらやみヤグラ」に,ほんの少しばかり入ってみる.ここは住吉城趾の仲である.このヤグラは城の抜け道だったかもしれない.
    
                     <階段の奥に鎮座する住吉神明社>

■住吉城趾
 住吉神明社から,今来た道を引き返して,元の三叉路に戻る.ここから急な登り坂を,さらに進む.
 「この登り坂が,今日のコースの最後の登り坂ですよ・・」
と一同を励ます.
 坂道を登り切ると歩行者だけしか通れない住吉隧道に入り込む.
 短い隧道を潜り抜けると,住吉城趾の核心部に入り込む.
 ここは三浦道寸の弟,堂香の居城だったところである.1512年(永正9年),北条早雲は,岡崎城に籠もる三浦道寸を撃破する.落ち延びる道寸を追って,住吉城に迫る.結局,道寸は破れて荒井城に落ち延びる.そして,道香は逗子の延命寺で自刃する.こんな悲しい出来事が,この地で繰り広げられていた.そんな故事を思い起こしながら,往時の城はどんな姿だったのだろうと想像を巡らす.

■再び光明寺前へ
 隧道から狭い階段道を下る.
 19人の話し声が聞こえたのか,近所の家の玄関から,奥さんが顔を出す.そして私達の姿を見て,直ぐに「バタン」と扉を閉じる.私は,
 「賑やかにしすぎたかな・・・」
と反省する・・・が,一向は全く無頓着である.
 急な階段を一気に下って,バス通りに出る.狭くて少々長いトンネルを潜って,再び内藤家墓所近くに戻る.そして,15時47分,材木座海岸の東端に到着する.

<材木座海岸を経由して鎌倉駅へ>

■材木座海岸

 ここから,市街地を通って鎌倉駅まで戻るか,それとも材木座海岸を横断して戻るか迷うが,海岸を歩きたいという希望者が多かったので,大勢に従う.
 材木座海岸の砂浜をノンビリと歩く.暑くも寒くもない.風も殆どなく,海岸はとても心地良い.沖で風が拭いているのか,大きなうねりが次から次へと海岸に寄せてくる.波が西に傾いた日光を黄金色に反射している.まるで,黄金色の波が踊りながら海岸に近付いてくるような錯覚に陥る.
 振り返ると,たった今,歩いたばかりの住吉城趾の断崖が,夕日を浴びて黄金色に染まっている.
 まだ,海の季節には早いので,人影は疎らである.海岸で遊んでいる人影が逆光を浴びて影絵のように見えている.

             <材木座海岸をのんびり:後の山が住吉城趾>

■畠山重安墓
 16時30分,若宮大路の南端に到着する.ここまで来れば,20分弱で鎌倉駅に到着する.小町通入口近くの某レストランで,17時00分から懇親会を開催する予定である.開催時間まで,少々時間があるので,ユックリと若宮大路を北へ進む.若い観光客が沢山歩いている.年輩者ばかりの私達は,やや場違いな印象を受ける・・・が,そんなことはどうでも良い.
 途中,畠山重安(六郎さま)の墓を詣でる.重安は畠山重忠の長男である.重安は喘息の持ち主だったという.喘息の発作に襲われていたときに,忍び寄った敵兵に打たれてしまったらしい(小林,1996,p.64).
 この故事から,六郎さまは咳の神様として近場の人達に崇められているという.

■大巧寺
 少々時間あるので,駅前の大巧寺を訪れる.日蓮宗の寺である.源頼朝は,この寺で軍評定をして大勝したと伝えられている(神奈川県口頭学校教科研究会,1993p.15).ここは十二所にあった真言宗の寺,大巧寺が前身だそうである(安田:永井,1976,p.81).境内には沢山の草花が植えられているが,花オンチの私にはサッパリ分からない.まだ,花は殆ど咲いていない.
 大巧寺の境内を抜けて,一旦,小町大路にでる.まだ,少々時間があるので,段葛の桜を見学してから,小町通に向かう.

■仕立屋で懇親会
 鎌倉駅近くの小町通「仕立屋」という洒落た店で,17時30分から懇親会を開催する.平素粗食の私には滅多にお目にかかれない素晴らしい料理である.
 18時30分頃まで,団欒のひとときを過ごす.
 その後,私は大船駅経由で,19時過ぎに帰宅する.

                       <仕立屋の食事>

[ラップタイム]

10:07  鎌倉駅歩き出し
10:27  妙本寺(10:35まで見学)
10:40  常栄寺
10:47  上行寺(10:53まで見学)
11:02  大宝寺(11:07まで見学)
11:20  釈迦堂口切通
11:52  衣張山(12:27まで昼食)
12:48  鎌倉子ども森林公園(12:56まで休憩)
13:02  パノラマ台(13:07まで休憩)
14:08  長勝寺
14:42  光明寺(14:56まで見学)
15:06  内藤家墓所
15:22  六角ノ井
15:30  住吉神社
16:37  大巧寺(16:50まで見学)
17:00  鎌倉駅

[ハイキング記録]

■水平歩行距離
      11.0km

■累積登攀下降高度    385m

■所要時間(休憩時間込み)
  鎌倉駅発       10:07
   〃 着       17:00
 (所要時間)  6時間53分(6.88h)
 水平歩行速度  11.0km/6.88h=1.60km/h
                         (おわり)

[参考文献] 神奈川県高等学校教科研究会(編),1993『鎌倉散策24コース』山川出版
鎌倉市教育委員会(編),2000『かまくら子ども風土記(上巻)』鎌倉市教育委員会
小林伸男,1996『神奈川ぶらりいウオーク鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
安田三郎:永井道子,1976『鎌倉歴史散策』保育社

「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e15f6b0786e8b5775343bcea225f201c
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7a8ddf34d9f3df358e83e025ffb73985
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
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