
<銭洗弁天のツバメ>
新緑の鎌倉:二大公園を巡る(3)
<鎌倉中央公園:源氏山公園>
(五十三次洛遊会第5回例会)
2009年5月14日(木)(つづき)
(つづき)
<源氏山公園>

■日野俊基墓
銭洗弁天から正式な参道を経由して,源氏山公園に登る.
まずは,山越えの散策路を通って日野俊基墓を訪れる.鎌倉幕府時代の末期,日野俊基は,1324年(正中元年),執権北条高時を倒そうとするが,計画が事前に漏れて捕らえられる.一度は難を逃れるが,1331年の元弘の乱で再び逮捕され,鎌倉に連行される.そして,1332年(元弘2年),葛原ヶ岡の刑場で処刑された.それから1年も経たない間に,新田義貞が稲村ヶ崎で幕府軍を突破して葛原ヶ岡を越えて,鎌倉に攻め込んだ.
日野義元墓は室町時代初期の様式を持った宝篋印塔だが,塔そのものは寄せ集めて作ったもののようである(小林,1994,pp.42-43).

<日野俊基の墓>
■ネコ三昧
続いて葛原ヶ岡神社を詣でる.ここは文章(もんじょう)博士日野俊基を祀った神社である.
神社前の広場には,飼い猫が数匹優雅に遊んでいる.野良猫と違って,人に馴れている.冬の間,焚き火の側でジッとしていた黒猫もいる.その内の2匹はどうやら子どもを宿しているらしくて,ふっくらとしたお腹をしている.
神社の方らしい女将さんが,ネコの世話をしている.
「みんな良い子ですよ・・」
と目を細める.
1匹のネコを抱いてみる.毛並みが艶やかである.ネコを抱きながら,ついつい塔ノ岳尊仏山荘のミー君と比較してしまう.

<葛原ヶ岡神社の神に仕えるネコ>
■昇運の龍
葛原ヶ岡神社を参拝する.
三等入口で手を洗う.そして高い木々に囲まれた参道を進む.近年再建された立派な社殿の前で参拝.
社殿に向かって右側に,「昇運の龍」と命名された絵が飾られている.この絵は,社殿を改築したときに発見されたもので,約120年間,旧本殿の中にあったものだという.

<昇運の龍>
■源氏山山頂
16時丁度に葛原ヶ岡神社を出発する.
化粧坂下り口を経由して,源頼朝像が建つ広場に出る.何時も沢山の観光客で賑わっている所だが,今日は閑散としている.
トイレ休憩を済ませて,裏手にある階段を登って,源氏山山頂(標高95m)に到着する.ここから,新緑の六国見山,勝上嶽がとても良く見える.
山頂には小さな祠と石碑が建っている.仲間の1人から,この祠は何かと質問を受けるが,私には分からない.ただ,ここには後三年の役のとき,下向する源義家が,山上に白旗を立てたという伝説があり,源氏山のことを,別名,旗立山とも言うようである(小林,1994,p.52).
<寿福寺から小町通へ>
■英勝寺裏山
源氏山から,長い階段を下って,源氏山公園の東端に出る.ここから寿福寺に向けて山道を下る.山道に生える夏草が大分煩くなっている.バラ線の向こうの英勝寺墓地を覗き込む.この辺りには「了得院殿」と書いた小さな石柱があるはずである.ところが,夏草が生え茂っていて,この石柱がどうしても見えない.見えないのは仕方がないが,何となく見えないのが寂しい.
直ぐその先の右側に大田道灌の供養塔がある.半ば朽ち果てているが,今は供養塔が夏草に覆われていて,一層の哀れさを感じる.
英勝寺は,大田道灌から数えて4代の孫,康資(やすすけ)の娘,英勝院尼が開基した寺である.英勝院尼は,徳川家康に使えた後に出家した.浄土宗.現存する鎌倉唯一の尼寺である(鎌倉商工会議所,2009,p.97).

<寿福寺脇の源氏山登山口>
■刃稲荷
寿福寺裏山のトラバース道を下る.
境内に降りる最後の所に,狭い切り通しがある.
「この切り通しを,つかえてしまって,通れない方はメタボ・・・申し訳ないけれども,通れない人ととは,ここでお別れします.ここでお別れしますので,今,下ってきた道を引き返して下さい・・」
と一同を茶化す.半ば本気で心配する人もいるので,1人で面白がっている.
勿論,全員問題なく通過する.一同,返ってここは面白い所だとご満悦のようである.
今回は時間が押しているので寿福寺の見学はしないで,鎌倉駅方面に向かうことにする.寿福寺境内から,寿福寺からヤグラ跡のようなトンネルを抜けて,扇ヶ谷1丁目の閑静な住宅地を抜ける.駐車場に突き当たってから,道なりに進んで刃稲荷に到着する.
刃稲荷は正宗稲荷ともいう.正宗が祀った稲荷で,後に小町置石に住んでいた松尾滝右衛門という人が催行したといわれる(小林,1994,p.48).
<小町通>
■今小路から小町通へ
今小路に出る.ここまで来ると観光客の数も多くなる.
少し寿福寺の方へ遡って右折,今小路踏切を渡る.どなたかが,
「何回も鎌倉に来ているけれども,ここの踏切を渡るのは初めて・・・」
と感激している.逆に
「ええ~そうなの・・」
と私がビックリする.
大佛次郎が贔屓にしていたといわれるレストラン,コアンドルの四つ角で,小町通に突き当たる.駅の方に向けて右折する.小町通は,相変わらず,沢山の観光客で賑わっている.

<小町通で解散>
■「ドミンゴスさんのコーヒー」で懇親会
16時47分,「ドミンゴスさんのコーヒー」店(以下,「ドミンゴス」と略す)の前で解散する.
希望者9名だけで,「ドミンゴス」に立ち寄る.予め席を予約しておいたので,窓際の席が確保されている.
私は450円也のアイスコーヒーを所望する.実に美味しい.
コーヒーを賞味しながら,小一時間ほど雑談に興じる.

<「ドミンゴス」のアイスコーヒー>
[ラップタイム]
10:15 JR北鎌倉駅歩き出し
10:20 東慶寺(10:55まで見学)
11:00 浄智寺
11:15 天柱峰
11:25 瓜ヶ谷ヤグラ群(11:35まで見学)
11:55 山ノ内見晴台
12:07 新展望台(12:38まで昼食)
12:55 谷戸の池
13:10 魯山人窯跡
13:32 鎌倉中央公園(14:02まで散策)
14:48 桔梗山公園
14:58 裏大仏ハイキングコース
15:04 佐助稲荷(15:10まで休憩)
15:50 葛原ヶ岡神社(16:00まで参拝)
16:47 「ドミンゴスさんのコーヒー」店前 着(解散)
[散策記録]
■水平歩行距離 10.0km
■累積登攀高度 462m
■累積下降高度 472m
■所要時間(休憩時間を含む)
北鎌倉 発 10:15
ドミンゴス 着 16:47
(所要時間) 6時間22分(6.37h)
歩行速度 10.0km/6.37h=1.57km/h
(おわり)
[参考文献]
小林伸男,1994『神奈川ぶらりいウオーキング』神奈川図書
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f55f4511790b3057be1989600bb2f1a0
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f55f4511790b3057be1989600bb2f1a0
新緑の鎌倉:二大公園を巡る(3)
<鎌倉中央公園:源氏山公園>
(五十三次洛遊会第5回例会)
2009年5月14日(木)(つづき)
(つづき)
<源氏山公園>

■日野俊基墓
銭洗弁天から正式な参道を経由して,源氏山公園に登る.
まずは,山越えの散策路を通って日野俊基墓を訪れる.鎌倉幕府時代の末期,日野俊基は,1324年(正中元年),執権北条高時を倒そうとするが,計画が事前に漏れて捕らえられる.一度は難を逃れるが,1331年の元弘の乱で再び逮捕され,鎌倉に連行される.そして,1332年(元弘2年),葛原ヶ岡の刑場で処刑された.それから1年も経たない間に,新田義貞が稲村ヶ崎で幕府軍を突破して葛原ヶ岡を越えて,鎌倉に攻め込んだ.
日野義元墓は室町時代初期の様式を持った宝篋印塔だが,塔そのものは寄せ集めて作ったもののようである(小林,1994,pp.42-43).

<日野俊基の墓>
■ネコ三昧
続いて葛原ヶ岡神社を詣でる.ここは文章(もんじょう)博士日野俊基を祀った神社である.
神社前の広場には,飼い猫が数匹優雅に遊んでいる.野良猫と違って,人に馴れている.冬の間,焚き火の側でジッとしていた黒猫もいる.その内の2匹はどうやら子どもを宿しているらしくて,ふっくらとしたお腹をしている.
神社の方らしい女将さんが,ネコの世話をしている.
「みんな良い子ですよ・・」
と目を細める.
1匹のネコを抱いてみる.毛並みが艶やかである.ネコを抱きながら,ついつい塔ノ岳尊仏山荘のミー君と比較してしまう.

<葛原ヶ岡神社の神に仕えるネコ>
■昇運の龍
葛原ヶ岡神社を参拝する.
三等入口で手を洗う.そして高い木々に囲まれた参道を進む.近年再建された立派な社殿の前で参拝.
社殿に向かって右側に,「昇運の龍」と命名された絵が飾られている.この絵は,社殿を改築したときに発見されたもので,約120年間,旧本殿の中にあったものだという.


<昇運の龍>
■源氏山山頂
16時丁度に葛原ヶ岡神社を出発する.
化粧坂下り口を経由して,源頼朝像が建つ広場に出る.何時も沢山の観光客で賑わっている所だが,今日は閑散としている.
トイレ休憩を済ませて,裏手にある階段を登って,源氏山山頂(標高95m)に到着する.ここから,新緑の六国見山,勝上嶽がとても良く見える.
山頂には小さな祠と石碑が建っている.仲間の1人から,この祠は何かと質問を受けるが,私には分からない.ただ,ここには後三年の役のとき,下向する源義家が,山上に白旗を立てたという伝説があり,源氏山のことを,別名,旗立山とも言うようである(小林,1994,p.52).
<寿福寺から小町通へ>
■英勝寺裏山
源氏山から,長い階段を下って,源氏山公園の東端に出る.ここから寿福寺に向けて山道を下る.山道に生える夏草が大分煩くなっている.バラ線の向こうの英勝寺墓地を覗き込む.この辺りには「了得院殿」と書いた小さな石柱があるはずである.ところが,夏草が生え茂っていて,この石柱がどうしても見えない.見えないのは仕方がないが,何となく見えないのが寂しい.
直ぐその先の右側に大田道灌の供養塔がある.半ば朽ち果てているが,今は供養塔が夏草に覆われていて,一層の哀れさを感じる.
英勝寺は,大田道灌から数えて4代の孫,康資(やすすけ)の娘,英勝院尼が開基した寺である.英勝院尼は,徳川家康に使えた後に出家した.浄土宗.現存する鎌倉唯一の尼寺である(鎌倉商工会議所,2009,p.97).

<寿福寺脇の源氏山登山口>
■刃稲荷
寿福寺裏山のトラバース道を下る.
境内に降りる最後の所に,狭い切り通しがある.
「この切り通しを,つかえてしまって,通れない方はメタボ・・・申し訳ないけれども,通れない人ととは,ここでお別れします.ここでお別れしますので,今,下ってきた道を引き返して下さい・・」
と一同を茶化す.半ば本気で心配する人もいるので,1人で面白がっている.
勿論,全員問題なく通過する.一同,返ってここは面白い所だとご満悦のようである.
今回は時間が押しているので寿福寺の見学はしないで,鎌倉駅方面に向かうことにする.寿福寺境内から,寿福寺からヤグラ跡のようなトンネルを抜けて,扇ヶ谷1丁目の閑静な住宅地を抜ける.駐車場に突き当たってから,道なりに進んで刃稲荷に到着する.
刃稲荷は正宗稲荷ともいう.正宗が祀った稲荷で,後に小町置石に住んでいた松尾滝右衛門という人が催行したといわれる(小林,1994,p.48).
<小町通>
■今小路から小町通へ
今小路に出る.ここまで来ると観光客の数も多くなる.
少し寿福寺の方へ遡って右折,今小路踏切を渡る.どなたかが,
「何回も鎌倉に来ているけれども,ここの踏切を渡るのは初めて・・・」
と感激している.逆に
「ええ~そうなの・・」
と私がビックリする.
大佛次郎が贔屓にしていたといわれるレストラン,コアンドルの四つ角で,小町通に突き当たる.駅の方に向けて右折する.小町通は,相変わらず,沢山の観光客で賑わっている.

<小町通で解散>
■「ドミンゴスさんのコーヒー」で懇親会
16時47分,「ドミンゴスさんのコーヒー」店(以下,「ドミンゴス」と略す)の前で解散する.
希望者9名だけで,「ドミンゴス」に立ち寄る.予め席を予約しておいたので,窓際の席が確保されている.
私は450円也のアイスコーヒーを所望する.実に美味しい.
コーヒーを賞味しながら,小一時間ほど雑談に興じる.

<「ドミンゴス」のアイスコーヒー>
[ラップタイム]
10:15 JR北鎌倉駅歩き出し
10:20 東慶寺(10:55まで見学)
11:00 浄智寺
11:15 天柱峰
11:25 瓜ヶ谷ヤグラ群(11:35まで見学)
11:55 山ノ内見晴台
12:07 新展望台(12:38まで昼食)
12:55 谷戸の池
13:10 魯山人窯跡
13:32 鎌倉中央公園(14:02まで散策)
14:48 桔梗山公園
14:58 裏大仏ハイキングコース
15:04 佐助稲荷(15:10まで休憩)
15:50 葛原ヶ岡神社(16:00まで参拝)
16:47 「ドミンゴスさんのコーヒー」店前 着(解散)
[散策記録]
■水平歩行距離 10.0km
■累積登攀高度 462m
■累積下降高度 472m
■所要時間(休憩時間を含む)
北鎌倉 発 10:15
ドミンゴス 着 16:47
(所要時間) 6時間22分(6.37h)
歩行速度 10.0km/6.37h=1.57km/h
(おわり)
[参考文献]
小林伸男,1994『神奈川ぶらりいウオーキング』神奈川図書
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f55f4511790b3057be1989600bb2f1a0
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f55f4511790b3057be1989600bb2f1a0