中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

鎌倉:長谷寺と成就院のアジサイを楽しむ

2009年06月24日 17時34分10秒 | 鎌倉あれこれ

                      <長谷寺のアジサイ>

         鎌倉:長谷寺と成就院のアジサイをたのしむ
              (単独散策)
          2009年6月23日(火)


 今日の天気予報が雨だったので,塔ノ岳行きを諦めた.でも,このところまともな山行をしていないので,脚力の減退が気になる.ところが,予報より天候が回復して,薄日さえ射し始めた.このところ,運動不足の私は,雨が降らない内に,どこでも良いから歩き回ることにした.とはいっても,特段,是非行きたいという所もない.とりあえずは,バスで鎌倉駅まで出ることにした.
 平日にもかかわらず,鎌倉駅西口行のバスは結構混雑していた.鎌倉駅付近には,各地から訪れている修学旅行の学童,生徒や,観光で訪れている女性グループで大変な人出である. 取りあえずは,鎌倉駅西口前のコンビニで,おにぎり2個を購入する.
 「・・・さて,何処へ行こうか・・?」
 閑人の私は,また,迷う. 久々に「ドミンゴスのコーヒー」でも訪れようか.それとも,いっそのこと,天園でも一回りしようか.社寺を辿って光明寺の方へブラブラも良いな・・・でも,まあ,取りあえず,御成通商店街でもブラブラしようかと思う.商店街を少し南へ下った所で,何となく右折して佐藤病院の前を通る.
 ここには,天園峠の茶屋の先代経営者,Kさんがご推薦のラーメン屋「まりも」があったはずだが,いつの間にかなくなっている.
 「あそこの店のチャーシューは,天下一品だよ・・・」
と,Kさんご推薦だった.ラーメンの上に2枚ほど乗っているチャーシューが,とても旨いとのことであった.もう何年前のことだろうか.私は浄明寺在住の仙人を誘って,この店のラーメンを食べたことがある.そんな昔のことを思い出しながら,ブラブラ歩きを続ける.

 やがて裁許橋の三叉路に到着する.ここは鎌倉十橋の一つである.別名西行橋ともいう.この名は,鎌倉時代,この辺りに訴訟を裁許(判決)する問注所が近くにあったことに由来している.
 御成小学校の校庭に沿って歩く.成り行きで,近くにある鎌倉中央図書館に立ち寄る.ここでも,何となく2階に登って,さまざまな資料を立ち読みする.ここにはとても沢山の資料が集められているので,ついつい長居をすることになる.鎌倉関係の資料を眺めた後,苗字の資料を眺める.私の「姓」を開くと,自分の祖父や父の名前まで出ている詳しさにビックリする.さらには,○○禄には,私の名前が掲載されているだけでなく,学歴,職歴まで記載されている.一体,どこからこんな資料を入手して居るんだろう.プライバシィもヘッタクリもないではないかと1人で憤慨する.

 気が付くと,図書館で2時間以上も時間を潰してしまった.
 昼下がりに,私は図書館を出る.三叉路で,大谷美術館へ行くか,それとも鎌倉文学館の方へ行こうか,また迷う.結局は,アジサイにも興味があったので,住宅地の中を抜けて,鎌倉文学館方面に向かうことにする.こんな気儘な1人旅がとても性にあっているんだろう.歩いている内に,だんだんと気分が良くなってくる.

 吉屋信子記念館の前を通り抜ける.
 如何にもお金持ちらしく着飾った中年ご婦人2人を乗せた人力車が,私を追い越す.こんな裏路地まで,観光用の人力車が入ってくるとは想像もしていなかったので,少々ビックリする.それと同時に,こんな閑静な住宅地まで,観光客が入ってきたら,住民の方々も大変だなと同情する・・・が,そんなことを言いながら,観光客である私自身が,余所様の住宅地をウロウロしているではないか.この自己矛盾に気が付いて,思わず苦笑する.
 
      <吉屋信子邸>                   <観光客で賑わう長谷観音>

 鎌倉文学館の前に到着する.ここでも文学館に立ち寄ろうかと迷う.迷う前に,直ぐ近くにあるパン屋,「ジャックと豆の木」のパンを食べたいなと思う.でも,鎌倉駅西口のコンビニでオニギリを買ってしまった.ここへ来るんだったら,オニギリなど買わなければ良かったなと後悔する.
 裏道を抜けて,長谷観音前の交差点に出る.途端に沢山の観光客に遭遇してビックリする.ここまで来たら,長谷観音のアジサイを見ない訳には行かない.境内は沢山の観光客で賑わっているが,アジサイの見頃は過ぎている.最盛期に比較したら観光客の数は大分少ないようである.待ち時間は全くなしに,アジサイの遊歩道を一回りする.もう見頃は少し過ぎているものの,さすがに2500本を越えるアジサイは見事である.さまざまな色のアジサイが咲き誇っている.

 長谷寺の石段を登る.
 アジサイの坂道の入口に久米正雄の胸像がある.久米正雄は鎌倉ペンクラブ結成や鎌倉文庫運営などで活躍された鎌倉文士である.また,久米正雄は相当のアイデアマンだったらしく,鎌倉カーニバルの牽引役でもあったようである.
 アジサイの間に設けられた坂道を登る.お寺の建物とアジサイが素晴らしく調和して,如何にも日本らしい情景を醸し出している.さらに登るとアジサイの先に材木座海岸が見渡せる.すばらしい.やっぱり,長谷寺まで足を延ばして良かった.
 見晴の良いベンチに座って,コンビニで買ったオニギリをほおばる.鮭のオニギリは,適当に塩気があって,今日のような蒸し暑い日にはピッタリだなと思う.
 
        <久米正雄像>                <長谷寺のアジサイ>


                    <長谷寺のアジサイ>

 
    <アジサイの帽子>           <アジサイの向こうに材木座>

 長谷寺を出る.さて,光則寺へ廻ろうか,それとも御霊神社へ廻ろうかと,また,迷う.まあ,兎も角,御霊神社へ行こう.その後は引き返して,収玄寺,光則寺の順に廻ろう.私は一応参拝順を決めてから,御霊神社に向かう.
 途中,民家の垣根に咲く時計草の写真を撮る.ここの時計草の写真を撮るのも,ここ数年,私の年中行事になっている.
 御霊神社のアジサイは残念ながらもう遅い.アジサイはパラパラと咲いているだけである.ここでお馴染みの十両,百両,千両,万両を見ようと思ったが,どうやら千両の案内板だけが見当たらない.
 さて,収玄寺方面に引き返そうかと思い始めたときに,近くにある江ノ電の踏切の警報機が鳴り出す.沢山のカメラマンが踏切に集まっている.極楽寺トンネルから出てくる電車をアジサイと一緒に写真に撮りたいという人達である.私も釣られるようにして踏切近くま行く.沢山の先客が居て,思うように写真は撮れないが,とにかく電車の写真を撮ることができた.
 
          <時計草>               <アジサイの間を江ノ電が走る>

 成り行きで,踏切を渡り「力餅」を売っている店を覗く.店内には沢山の観光客が入っている.仕方なく私は力餅屋をパス.そのまま成就院に向かう.
 途中,星の井で足を止める.そして,星の井と説明文の写真を撮る.星の井は鎌倉十井の一つである.昔,この辺りは,山が深くて昼なお暗い所だった.そのため,この井戸を覗くと,昼間でも水面に星が輝いて見えたという.この辺りの地名を星月夜ヶ谷(ほしづきがやつ)と言う.また鎌倉の枕詞,星月夜は,この星月夜ヶ谷に由来しているという.

 成り行きで成就院のアジサイを観賞する.見頃は過ぎているものの美しいアジサイが目を楽しませてくれる.成就院のアジサイは,262株植えられているという.これは般若心経の文字数と同じ数だという.また,石段の数は煩悩と同じ108段あるという.
 私は石段の数だけでも,本当に108段あるかどうか,自分の足で確かめたかった.でも,石段を登っている途中で,数えるのを忘れてしまった.残念.
 アジサイの最盛期を過ぎているためか,観光客の数は,やや少な目で,待つこともなく石段を登ることができた.
 ここ極楽寺切通は,鎌倉七口のひとつである.鎌倉・京都往還の出発点であった.この切通は極楽寺の開山忍性によって切り開かれたと言われている.極楽寺切通以外の切通は,全て国指定史跡になっているが,極楽寺切通だけは,往時の切通よりも遙かに低い所に改修されているので,指定されていない.切通近くの霊山で,新田義貞の鎌倉攻めの時に激戦が行われた.
 こんな往時のことを想起しながら,極楽寺坂を下る.
 
            <星の井>                    <成就院>

 極楽寺付近も観光客で賑わっている.
 私には,折角,ここまで足を延ばしたのだから,是非,訪れたい所がある.それは上杉憲方の墓碑である.極楽寺坂を下ると稲村ヶ崎小学校へ向かう道との三叉路に到着する.この三叉路の近くに,右折するごく細い路地がある.この路地の入口に「上杉憲方墓」と彫った小さな石柱が立っている.この路地をほんの20メートルほど登ると,小さな空き地に出る.ここに上杉憲方の墓といわれる石塔群がある.この中の七層塔が上杉憲方,五輪塔が妻の墓である.この上杉憲方の墓は,国指定史跡になっている.
 上杉憲方は,山ノ内上杉の祖.室町時代,鎌倉公方足利氏満の執事になった人物である.上杉憲方は,晩年,出家して,名月院を開山した.従って名月院ヤグラの中にある墓も上杉憲方の墓だといわれている.
 上杉憲方の墓の脇に見事なアジサイが咲いている.私は,アジサイと墓を1枚の写真に収めようとして苦労する.苔むした墓を見ていると,栄枯盛衰,何とも哀れな感じがしてくる.それにしても,国指定史跡なら,もう少しきちんと保護できないものかと心が痛む.
 
          <上杉憲方墓>                     <月影地蔵>

 極楽寺駅から江ノ電で鎌倉駅へ戻ろうかと思うが,電車が混雑しているようである.
 このとき突然,月影地蔵を拝みたくなった.十六夜日記の著者,阿仏尼もここ月影ヶ谷で4年回住んでいた.阿仏尼の住居は,この辺りにあったはずだが,私はまだどこかを突き止めていない.何時か近い内に,ぜひ,どの辺りか確かめたいと思っているが,今日はとりあえず月影地蔵を拝むことにしよう.
 稲村ヶ崎小学校の方に一寸入っただけで観光客は居なくなる.何時も思うことだが,観光客は,ごく限られた「点」と「線」の近くにしか居ない.
 月影ヶ谷の奥へ進む.この辺りの道は少しややこしいが,ほどなく月影地蔵に対面する.相変わらず穏やかな表情の地蔵菩薩が私を見下ろす.この地蔵菩薩を拝んでいると,何となく心が落ち着いてくるから不思議である.

 私は,またここで何処へ行こうかと迷う.月影地蔵から陣鐘山を経由して,棟方版画美術館方面へ廻るか,それともトンネルを経由して,火の見下方面へ出るかである.どちらへ行こうかと迷っている内に,足が勝手にトンネルの方へ向けて歩き出す.
 だらだらと登り坂を進んで,トンネルを通過する.笛田側に出ると,雰囲気が一変して,普通の閑静な住宅地になる.後は,自宅まで,ブラブラと歩くだけである.笛田から深沢へ出る.等覚寺,大慶寺の前を通って,鎌倉中央公園前に到着する.

 なんとまあ,行き先も定めず,ブラブラ迷走歩きを,夕方まで続けたことになる. まあ,たまには目的も決めないで気儘に歩くのも良いなと思う.
                             (おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/39e35dfab69427b38b7d6a78574eed4e
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(編集中)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。