<温泉寺境内>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第3日目(4);上諏訪宿
(五十三次洛遊会)
2014年4月18日(金)~20日(日)
第3日目;2014年4月19日(日) (つづき)
<ルート地図>
<上諏訪宿>
■上諏訪宿の概要
資料2(p.369)によれば,上諏訪宿の宿内人口は973人.内,男488人,女485人.宿内惣家数232軒.内,本陣1軒,旅籠14軒である.
甲州道中最後の宿場である.
■八剱神社
コンビニでの休憩を終えた私たちは,10時40分にコンビニから歩き出す.
歩き出して2分,10時42分に八剱神社(やつるぎ神社)の前を通過する.
資料3によれば,「八剱神社の社格は県社.八千矛神,日本武尊,誉田別尊の三柱の神を祀る.諏訪大社上社の摂社である.その由緒は,元々,諏訪湖中高島の里に鎮座していたが,豊臣秀吉の高島城築城に際し,現在地に遷座した.江戸時代には高島藩諏訪家家が居城鎮護の神として崇敬し,明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至る.」
私個人としては,この神社にも立ち寄りたかったが,同行の皆さんはあまり興味がなさそうなので,やむなく通過する.これもグループ行動のためにはやむを得ないことである.
<八剱神社>
■教念寺
次いで,10時42分,教念寺が見える場所を通過する.
山門の奥に大きな本堂の屋根が見えている.ここも残念ながら横目で眺めただけで通過する.
資料4によれば,「教念寺の創建は永正年間(1504~24年),教譽淨念が開いたのが始まりと伝えられる.寺宝も多く,国指定重要文化財に指定されている絹本著色羅漢像の他,諏訪市指定有形文化財に指定されている観経変相曼陀羅,金銅善光寺仏脇士仏,阿弥陀如来来迎図,紙本著色当麻曼陀羅図などがある.現在の本堂は天保期(1830年頃)に建てられたものである.近年は諏訪七福神めぐり注目され,弁財天を拝みに訪れる人も多くなっている.」とのこと.
帰宅してから,
“やっぱり,教念寺は参拝しておくべきだったな…”
と後悔する.正に後悔先にたたずである.でも,これも仕方がないことである.
<教念寺>
■上諏訪宿宿案内標識
10時51分,三井住友銀行の前にある「甲州道中上諏訪宿」の案内標識の前を通過する.
この辺りは上諏訪の中心街らしく,道路の両側には大きな建物が建ち並んでいる.
<上諏訪宿案内標識>
■諏訪1丁目交差点と虫湯跡
10時52分,諏訪1丁目交差点に到着する.
この交差点の手前に「ぼたん屋本陣跡」があったはずだが,見落としたのか無かったのか良く分からない.
諏訪一丁目交差点の一角,八十二銀行前に「史跡虫湯跡」の案内標識が立っている.
資料1によると,ここは江戸初期より上諏訪の名湯と呼ばれたところで,「蒸湯」とも呼ばれていたらしい.
<諏訪一丁目交差点> <虫湯跡碑>
■手長神社
交差点を直角に右折する.すぐに諏訪裁判所前の三叉路に突き当たる.
地図を確かめると,三叉路から少し離れたところに手長神社がある.今回は残念ながら手長神社を参拝している時間がないので通過するが,この神社は先ほどちらりと見た足長神社と対になっている神社である.
資料5によると,「別名手長彦神といい,諏訪大社の祭神・建御名方神に随従する神.建御名方神が諏訪大社に祀られる以前からこの地で信仰されていた神とされる.日本神話話では,建御名方神の先祖の奇稲田姫の母神の名として登場する.同じ諏訪市内には父神の名である足摩乳命を祀る足長神社もある.」とのこと.
■吉田の松
10時57分,吉田の松の前に立つ.
資料1によると,この松は諏訪赤松の元祖である.諏訪藩4代目忠虎の頃,藩士吉田式部左衞門が大坂城守備から赤松を持ち帰った.これが諏訪地方に広まったという.
吉田の松の隣に立てられている説明文にも同様な記述がある.
<吉田の松>
■片羽一里塚跡と馬頭観世音
10時58分,一里塚跡に到着する.
農家庭先の駐車場の一角のようなところである.ここに立派な石碑が立っている.江戸日本橋から52里目の一里塚である.
引きつづき,11時丁度に馬頭観世音と刻字された石柱の前を通過する.
<片羽一里塚> <馬頭観世音>
■指月庵
道なりに進むと道路が右カーブしながら緩やかな登り坂になる.
11時04分,「旧諏訪藩ゆかりの庭園指月案」という案内板の前に到着する.案内板の説明によると,ここは江戸時代中期に諏訪藩の別邸であった庭園である.
残念ながら庭園の見学は省略する.
<指月案案内板>
■湯の脇公民館
指月案前の三叉路を右に入る.急な登り坂を突き当たるところまで登ると,湯の脇公民館に突き当たる.ここに「南信名勝温泉寺」と刻字された大きな石柱が立っている.
ここが温泉寺の入口である.
<湯の脇公民館>
<温泉寺>
■温泉寺の概要
資料6によると,「温泉寺(おんせんじ)は臨済宗妙心寺派の寺.山号は臨江山.本尊は釈迦如来.中部四十九薬師霊場7番札所である.二代高島藩主諏訪忠恒が秦嶺玄末を開山として建立された.以来高島藩諏訪氏の菩提寺となった.高島城より薬医門,山門,能舞台が移築されている.」
やや急な坂道を登って,11時08分,温泉寺に到着する.
<温泉寺に到着>
■温泉寺本堂
11時10分,温泉寺報道前に到着する.石段を登って,温泉寺境内に入る.
歩き疲れた何人かの人たちが,階段下で待っていると言う.でも,この寺は上諏訪での見所の一つである,
「この寺は是非参拝しておくべきですよ…」
と,多少無理強いして,全員に石段を登って貰う.
<温泉寺に到着>
■忠恒桜
まずは境内にある忠恒桜を見学する.
案内板の説明によると,この桜は,大坂夏の陣に出陣した忠恒が持ち帰ったものだという.
今が丁度満開.実に綺麗で見事な桜である.
<忠恒桜>
■天然記念物のシダレザクラ
境内を見物する.本堂の裏手に回ると巨大なしだれ桜がある.天然記念物に指定されている立派な桜である.
<シダレザクラ> <境内で一休み>
■和泉式部の墓
境内で一休みしていると,ガイドに引率された中高年の方々10名余りのグループがやってくる.このグループは裏手の高い所にある墓地に向かって歩いて行く.
“高い所に何かあるのかな…”
と咄嗟に感じた私は,一休みしている仲間に,
「ちょっと待ってて下さい…この上に何かありそうなので,急いで見てきます…」
と伝えてから,先ほどのグループの後を付ける.
境内の裏手は登り坂の墓地になっている.
墓地に入って,2~3分登ったところに,和泉式部の墓の案内標識が立っている.この標識の所で左折し,10数メートル入ったところに,やや小振りで質素な五輪塔がある.これが和泉式部の墓である.有名人にしてはやや小振りな五輪塔である.
和泉式部は『和泉式部日記』や『小倉百人一首』の歌が収録されている平安時代を代表する歌人だが,資料7によると,どうやら和泉式部の墓は全国各地にあるらしい.
<和泉式部の墓>
■素晴らしい景観
和泉式部の墓の見学を済ませて,すぐに今登ってきた道を引き返す.
坂道を登っているときは気が付かなかったが,墓地が少し高いところにあるので,諏訪湖方面を見下ろすことができる.素晴らしい景観である.
この景観をユックリと楽しみたいところだが,下で仲間が待っている.ほんの1~2枚写真を撮っただけで,大急ぎで境内に戻る(冒頭の写真も参照).
<素晴らしい景観>
■温泉寺から歩き出す
先ほど一同が休憩を取っていた場所に戻る.一同,私の帰りが遅いので痺れを切らしたのか,誰も居ない.
”これは,いかん…早く三門まで戻らなければ…”
ということで,大急ぎで三門まで戻る.
11時25分,温泉寺の見学を終える.そして往路を指月案前の三叉路まで戻る.
<温泉寺の階段下で私を待つ仲間達>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%89%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%B8%82)
資料4;http://homtasuwa.net/miru/rekishi/680/
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E5%AF%BA_(%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%B8%82)
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%BC%8F%E9%83%A8
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
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