<輪中堤を行く>
歩いて巡る中山道六十九宿(第13回):第3日目(2);道を間違える
(五十三次洛遊会)
2012年6月22日(金)~24日(日)
2012年6月24日(日) (つづき)
<揖斐川周辺地図>
※道を間違えたために黒い破線で囲まれた場所は通れなかった.
細かい破線のルートが間違えて通ったルートである.
<中山道跡地を行く>
■長護寺橋
9時04分,犀川に架かる赤い欄干の長護寺橋を渡る.犀川は揖斐川(あるいは長護川というかもしれない)の支流である.
辺りは見渡す限り真っ平らな平野である.
長護寺とは?
少々気になるが.帰宅後,インターネットで調べたが,これと言った情報は得られなかった.
<長護寺橋>
■巣南中学校
橋を渡ってすぐに巣南中学校の脇を通過する(9時03分).地図で現在地を確認しながら通過する.
今日は日曜日.生徒の姿はなく,学校は静まり返っている.
<巣南中学校>
■中山道跡地
巣南中学校の傍らに,「中山道跡地」という案内板が立っている.
この案内板には,中山道が,揖斐川の「呂久の渡し」から,千躰寺,千手観音菩薩,美江寺本陣跡,美江寺観音,美江神社を経由し,さらに五六川を渡って,高札場跡地,本田代官所跡,本田地蔵堂を経由して河渡宿に通じていたと書いてある.
また,終戦直前までは,現在の呂久から田之上(新月)まで,素晴らしい松波木があったという.しかし,その後の土地改良などで,この松並木は消失してしまった.残念!
なお,「呂久の渡し」の先にある「小簾紅園」は,皇女和宮の遺徳を偲んで建造されたものだという.これからここを訪れるのが楽しみである.
<「中山道跡地」の案内板>
<迷い道>
■コンビニに立ち寄る
梅雨時だというのに,今日も天気は上々である.
巣南中学校から少し先にある三叉路のコンビニでトイレ休憩をとる.このとき,私のデジカメの乾電池が丁度切れてしまい,乾電池の入れ替えに手間取ったために,コンビニの写真は撮っていない.
私も,コンビニでアイスキャンデーを購入し,火照った喉をクールダウンする.残念ながら,この写真もない.
■おかしいな?・・・でも,自信がない
今日は,同行のO氏が,
「私が先頭を歩きます・・・」
と宣言して,先頭を歩いている.
コンビニで10分ほど休憩してから,再びO氏が先頭に立って歩き出す.
地図で確かめると,先頭のO氏が,どうも違う道を歩き始めたような気がする.私が確かめようとして,先頭に,
「お~ぃ・・」
と声を掛けるが,もう,大分距離が離れていて,声が届かない.しかも数名の方が,何の疑問も持たずにOさんの後に付いて歩いている.
「ヤンヌルカナ・・・少しは地図を見てくれよ・・・」
と私は自分の心の中だけで愚痴る.
「また独断専行(”独断先行!)が始まったか・・・」
と私は内心で愚痴る.
傍らに居られるリーダーのIさんに,
「どうも,道を間違えているんじゃないですか? 進む角度が違うようですよ・・」
と尋ねる.Iさんは,ご自分の資料を見ながら,
「これで良いんですよ・・」
と答える.
私はどうも腑に落ちないけれども,私が絶対に正しいと言い張るだけの自信もない.要するに私は軟弱なのである.辺りを見回しながら,
「何だか妙だな・・・」
と腑に落ちないまま,お二人が正しいと言っているんだから,自分が間違っているんだろうと自分に言い聞かせる.
でも,交差する道路の角度や,位置がどうも合点が行かない.でも,まあ,いつかは揖斐川の堤防に辿り着くだろうと,半ば諦めの心境である.
■揖斐川堤防
随分と長いこと歩き続ける.地図では,中学校から揖斐川堤防まで,せいぜい1キロメートル余りの距離しかないのに,もう20分以上も歩いている.磁石で歩いている方向を確かめると,どうも真南に向かって歩いているようである.
「南南西に行かなければ行けないのに,おかしいぞ・・・?」
さらに,直線で堤防に突き当たるはずなのに,途中で大きく左へカーブし,さらに右へカーブする.地図で似たようなカーブの道を確かめると,明らかに30度ほど方向が違う道路を歩いている.
「間違っている!」
と,私は確信する.
9時33分,ようやく揖斐川左岸の堤防に突き当たる.
<揖斐川堤防に到着>
■前方に鉄橋が見える
9時41分,堤防の上に登る.前方すぐ近くに鉄橋が見えている.間違いなく樽見線と東海道本線の鉄橋である.
私たちは,本来渡る筈だった鷲田橋より2キロメートルほど南.つまり下流にいることがハッキリする.
<樽見鉄道の鉄橋>
■鉄道マニア
鉄橋の下を潜って,堤防上に出る.どうやらここは鉄道マニアが電車の写真を撮る絶好のスポットらしく,沢山のマニアが集まっている.皆,本格的な三脚を立てて,立派なカメラを構えている.私は安物デジカメしか持っていないが,時間が許せば,私もマニアに混じって,電車の写真を数枚撮りたいところである.
私は,たまたま堤防に居られる中年の青年に,私の地図をお見せしながら,現在地を確かめる.案の定,私の予想はドンピシャリ.
これで,これからどうするか具体案が幾つか頭の中に閃く.
迷わないに越したことはないが,こんなハプニングも,ちょっとスリルがあって,私にはも楽しいのである.その点では,こんな機会を作ってくれたO氏に深く感謝する次第である.でも,正規のルートから大きく外れてしまったのも残念である.
男性に,
「どうも有り難うございました」
と丁寧に挨拶をして,この男性とお別れする.
心配した青年が,土手を下りてくる.そして,
「今日はどこまで行かれるんですか・・・」
と心配しながら私たちに質問する.
「私たち,中山道を歩いています.今日は垂井まで歩く予定です・・・」
「エェ~ッ!!・・・垂井まで? 随分遠いですよ・・・」
と青年が心配顔で呆れる.
逆に私たちが返答に窮する.確かに,街道歩きなどしていない人から見たら,1何で酔狂にも,日に15キロも,20キロメートルも,ひたすら歩くんだよ・・・と呆れるのが当然である.
<土手で現在地を確かめる;心配した青年が土手を下りてくる>
■揖斐川を渡る
私は揖斐川左岸の堤防沿いに,鷲田橋まで,2キロメートルほど遡ることを提案する.丁度そのとき,鉄橋の脇か自転車に乗った人が降りてくる.どうやら,鉄橋沿いに歩ける橋があるようだ.それならば,本来の中山道からは外れるが,ここで揖斐川を渡ってしまおうと,リーダーが判断する.
<揖斐川を渡る>
■揖斐川右岸を遡るく
9時52分,電車の鉄橋に沿って架けられている歩道橋を渡り始める.さすがに揖斐川は大河である.橋を渡り切るのに数分もかかる.
橋を渡り終えて揖斐川右岸の堤防に到着する.そして,堤防上の道を川上に向かって歩き続ける.単調な道である.歩きながら,
「本当にこの道で良いのかな・・?」
と絶えず気になる.
この辺りは,昔,昔,日本地理で習ったことのある「輪中」で有名な所である(間違っていたらゴメンナサイ).
一段と高い堤防の上から,揖斐川の河面とほぼ同じ高さの集落や田んぼが広がっているのが見渡せる.
私は自分で用意した地図を見ながら,
「あと5~6分歩けば,道が右にカーブして,三叉路に到着するでしょう.そこでどちらへ行くか考えましょう・・・」
とリーダーに進言する.
私は,進言しながら,本当に道が右へカーブするかなと不安である.
「早く右へ曲がれ・・早く右へ曲がれ・・」
と頭の中で念じるが,こんなときに限って,遅々として物事が進まない.心の中で,言いようもない焦りを感じる.
やがて,前方左手から軽トラックが右へ向かって走っているのを確認する.あの軽トラックが走っている道と,私たちが歩いている道がぶつかるところに目指す三叉路があるなと,やっと確信が持てる.
こんな一寸した事が,わくわくしてとても楽しい.これもまた,手造り旅のスリルである.
■輪中の堤防を行く
やがて三叉路に到着する.
三叉路を右に向かえば,鷲田橋右岸側の袂に到着する.そうすれば,そこから予定通りの中山道を辿ることができる筈である・・・勿論,自信はないが・・・
私はリーダーとヒソヒソ話.
「もう時間が押しているので,小簾紅園や一里塚は省略して,堤防道でショートカットしましょう・・・」
…ということで,三叉路を左折して,揖斐川支流の平野井川右岸沿い堤防道に入る.長閑な堤防道を西に向かって歩く.
対岸に集落が見えている.地図を確かめると,この集落はどうやら「柳原」という所らしい.
もし,私たちが道を間違えずに歩いていれば,鷲田橋を渡ってから,この集落の中を歩いていたはずである.その沿道には,良縁寺,白旗神社,蓮生寺,小簾紅園,馬淵家などの見所が沢山あったはずだ.でも,残念ながら,全部パスすることになる.せめて小簾紅園ぐらいは見たかったが,今となっては諦めるしかない.
私は前方に平野井川に架かる橋「しんばし」が見えてくるのを期待しながら歩き続ける.もし予定通り橋が見えれば,その橋の袂で,本来歩く予定だった中山道と合流できるからである.
ところが,こんなときに限って,なかなか「しんばし」が見えてこない.またもや道が違うのか心配になる.
■「しんばし」で中山道に合流
やがて前方に小さな橋が見え出す.地図を見ると,前方に見える橋は「しんばし」に違いない.この時点で,私は心底からホッとする.
堤防から,一旦,河川敷に降りる.そして,10時24分,「しんばし」の袂に到着する,橋の欄干を見て「しんばし」で間違いないことを確認する.
下の写真が「しんばし」である.白い乗用車が中山道に沿ってこちらに走ってくる.道を間違えなければ,私たちも白い自動車が走っている道を辿って,この橋を渡ったはずである.
正直に言えば,正規の道が歩けなかったので,どうしても悔しい思いが残る.でも,この思いを自分の心の中にグッと飲み込んで我慢する.
<「しんばし」で中山道と合流>
<中山道に架かる「しんばし」>
■道標
「しんばし」の袂から再び輪中の堤防の上に登る.
10時31分,道標の前を通過する.道標には「右ナントカ」と刻字してあるが,草書なので,浅学の私には読めない.
<道標>
■幻の一里塚
資料4(p.55)によると,堤防道が大きく左にカーブする辺りに一里塚跡があるはずである.随分と注意深く探しながら歩いたが,それらしいものは見当たらない.見落としたのだろうか.
ひょっとしたら,さきほどの良く読めない石柱が一里塚なのだろうか.とにかく,良く分からないまま通過してしまう.
もし一里塚があれば,江戸日本橋から109番目の一里塚になるはずである.京三条大橋まで後27里である.
私たちは,もう暫くの間,輪中堤の上を歩き続ける.
(つづく)
■■今回の失敗からの教訓■■
<街道歩き5訓>
1.独断先行(敢えてこの字を書く)してはならない.
2.何の疑いもなく先頭に付いて行ってはいけない.
3.間違いに気がついたら,即時に全員に伝えなければならない.
4.全員が意思疎通できる範囲で行動しなければならない.
(意思疎通できないほどバラバラになってはいけない)
5.先頭を行く人は,慎重に注意深く行動しなければならない.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;「岐阜県十七宿散策ガイド」日本歴史街道美濃中山道連合・岐阜県
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f3f6ccc35454961bfb74dd95f2d7af31
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8ffe855ea0493998d3ab8a1afee4de58
※この記事は白内障の手術前に書き置きしたものです.
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