中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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鎌倉:天神山・鎌倉山・七里ヶ浜縦走

2009年02月28日 21時08分20秒 | 鎌倉あれこれ

                      <仏行寺の石仏群>

           鎌倉:天神山・鎌倉山・七里ヶ浜縦走
                (単独散策)
             2009年2月27日(土)

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 3月中旬に,東海道五十三次同窓会第3回例会の散策を案内する予定である.その下見を兼ねて,大船駅から七里ヶ浜駅まで,社寺・史跡を辿ってみた.
 この所,本州南海上に秋雨前線が停滞していて,関東地方は雨模様の天気が続いている.たまたま今日は,曇りがちながら,何とか天気は持ちそうである.そこで,私は,大急ぎで,気になっている所を一回りすることにした.
 改めて,歩いてみると,変化に富んでいて,素晴らしい散策路であることを確認した.これならば,自信を持って,同窓会の皆様をご案内できるなと一安心である.
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<散策地図>



<プロフィールマップ>




  ◆◇◆ 静寂な小径と素晴らしい景観を楽しむ秘境散策 ◆◇◆



<大船駅から深沢まで>

 大船駅から歩き出す.
 柏尾川沿いに,塩釜神社を経由して,大船フラワーセンター前の橋を渡って,鎌倉武道館の脇を通り過ぎる.天神山山麓から,山道を登って,北野神社を参拝する.
 表参道を下って,山崎へ出る.山崎から江ノ島古道に沿って,丸山の山裾,寺分2丁目付近まで坂道を登る.富士塚の近傍から,湘南モノレール湘南町屋駅に出る.ここから,上町屋にある泉光院,天満宮を参詣した後,深沢運動公園にある泣塔を見学する.
 大船駅から,ここまでのコースは,すでにこのブログで紹介しているので,詳細は省略する.

■深沢地区の社寺(参考資料)
 3月中旬に開催される東海道五十三次同窓会第3回例会(以下定例会と略す)の開催当日,天候が悪く,雨だった場合には,深沢地区にある駒形神社,東光院,大慶寺,等覚寺を訪れる予定である.
 駒形神社は,寺分の鎮守である.勧請年は不明.祭神は駒形大神.大場景親の所領.農業の守護神として崇敬され,天候不順の時は,代参の者をつかわせて祈願したという(鎌倉市史編纂委員会,1959,p.136).
 天照山薬王院東光寺は古義真言宗の寺.もとは青蓮寺の末寺だったが,今は高野山宝寿院の末寺.
 霊照山大慶寺は臨済宗円覚寺派の寺.関東十刹の一つである.弘安年間(1278~1288年)に開かれた.大休正念が開山.境内には樹齢700年のビャクシンの老木がある.
 休場山等覚寺は高野山真言宗の寺.創建は応永年間(1394~1428年).開山は秀恵僧都.境内に出世子育地蔵尊が祀られている.境内に訓蒙学舎が建てられた.これが深沢小学校の前身だと言われる.

 
        <駒形神社>                       <東光寺>

 
          <大慶寺>                    <等覚寺>

 深沢の社寺を一回りした後,私は曲がりくねった路地を抜けて,深沢の表通りに出る.この辺りは,閑なときに,平素から良く訪れている所だが,一番頻繁に立ち寄っていた本屋さんが,数ヶ月前に閉店してしまったので,何とも寂しい.
 定例会では,雨の場合,ここ深沢で自由昼食を摂って頂く予定にしている.
 深沢の交差点から笛田に向かう.途中,湘南記念病院の脇を通過する.定例会の当日,万一,トイレが急な方が居られたら,この病院のトイレを拝借しようと頭に刻み込む.


<仏行寺>

■笛田から仏行寺へ

 程なく,鎌倉教養センター下の三叉路に到着する.ここで,前回,予備調査したルートと合流する.
 まずは,少々脇道に入って,笛田山仏行寺を詣でる.境内入口の真ん中に「参観料100円.ただし檀家,ご近所の方は不要」と書いた箱が置いてある.私の家は,ご近所といえばご近所かもしれないが,素直に100円を箱に入れる.
 ここは,1495年,仏性院日秀が開山した日蓮宗のお寺である.入口から少し離れた所にある本堂の方から,日蓮宗特有の賑やかな読経の音が漏れてくる.
 建物の裏手に廻って見る.素晴らしい庭園が見渡せる.


           <仏行寺の庭園:地泉回遊式とでも言うのだろうか>

■素晴らしい庭園
 この寺には,梶原源太景季の片腕が埋められているという源太塚がある.この塚は仏行寺裏山の山頂にある.折角,ここを訪れたのだから,山頂まで行ってみようと思う.
 庭園脇の山の斜面に沿う階段道を登る.庭園の反対側には沢山のヤグラと石碑が並んでいる.これらの史跡を見ていると,この寺の歴史の古さが忍ばれる.
 ジグザグ道の途中に,見事に紅葉した木が生えている.植物に疎い私には,一体,何という木かは分からない.
 
   <この時期にしては珍しい紅葉の木>           <源太塚付近から鎌倉山が良く見える>
    ※私には木の名前はわからない

■源太塚
 墓地の中に続くジグザグ道を5分ほど登る.すると,山頂の大きな塚に到着する.直径は7~8メートルほどもあるだろうか.周りを石垣で囲った土饅頭のような形をしている.この塚の中に梶原源太景季の片腕が埋葬されているという.
 源頼朝の死後,梶原源太景季は,父,影時と一緒に鎌倉を追われる.そして,駿河の国で討ち死にする.悲嘆に暮れる梶原源太景季の妻信夫(しのぶ)の霊を沈めるために仏行寺が建てられたという(鎌倉商工会議所,2007,p.106).

                       <源太塚>

<鎌倉山を半周する>

■三島神社
 仏行寺を出て,再び元の道に戻る.ここから笛田の谷を登り続ける.鎌倉山の桜並木道に向けて南下する.谷の右岸に沿う上り坂である.坂道が急になる直前,進行方向左手,つまり,東側に,三島神社の鳥居が見えてくる.
 社殿は,数百段の石段を登った所にある.立派である.社殿まで登るのは,久々のことである.ここは,元村社.笛田の鎮守である.勧請年は分からないようである.祭神は大山津見命.
 
                  <三島神社>

■夫婦池
 三島神社から,さらに南へ向かう.段々と上り坂が急になりはじめる.
 やがて,右手に上下に並ぶ二つの池が見えてくる.夫婦池である.つい最近までは,荒れていたが,今は綺麗に整備されている.ただ,残念ながら湖畔を周遊することはできない.
 さらに進むと左手に大きなマンションの建設現場に到着する.鎌倉山にもマンションができるのは,何となく切ない気分である.

                 <夫婦池:上下とちらが夫か分からない>

■見晴の良い鎌倉山
 鎌倉山2丁目1番地付近の尾根道に出る.自動車の往来が頻繁である.この道路を横切って,バス停若松付近から海寄りの七里ヶ浜を周回する道路に出る.途中から見晴が段々と良くなる.振り返ると緑一杯の常磐緑地の尾根が連なっているのが見える.さらに進むと,前方に相模湾が見え始める.
 今日は水平線近くに雲が掛かっていて,残念ながら富士山は見えない.

                 <鎌倉山から相模湾を望む>

■肉弾三勇士碑
 七里ヶ浜東の住宅地へ抜ける裏道を進む.ここは,抜け道なので,結構,自動車の往来が多いが,ほんの数分我慢して歩くと,三叉路に到着する.この近くに肉弾三勇士(爆弾三勇士ともいう)の石碑が建っている.
 1932年,上海事変のときに,敵陣の鉄条網を突破するために,3人の工兵が点火した爆弾をもって,鉄条網に飛び込んだという.昔,国民学校時代の修身の教科書に載っていた.
 ここの碑の片割れの1本が,鶴岡八幡宮の境内に安置されている.どうして,2箇所に分かれて建っているのか,私には分からない.
 
       <肉弾三勇士碑>                 <鎌倉山神社>

■鎌倉山神社
 抜け道から離れて,静かで眺望の良い道を進む.
 進行方向左手,つまり山側に,鎌倉山神社がある.小さなお社が,鬱蒼とした木立に囲まれて安置されている.
 ここは,三島神社の分霊を勧請,鎌倉山の鎮守とした.祭神は大山津見命.
 この辺りからの眺望も素晴らしい.広町緑地の向こうには江ノ島が見えている.

                <鎌倉山から江ノ島を望む>

■陣鐘山の尾根道
 鎌倉山神社を過ぎて暫く進むと,東側の視界が開ける.眼下に鎌倉市内,その向こうに三浦アルプスの山々が連なっているのが見える.
 やがて,舗装道路が途絶える.そして,いきなり足場の悪い山道に入る.
 ここは陣鐘山の尾根道である.1333年,
 新田義貞は,鎌倉に攻め入るために,陣鐘山直下の聖福寺に本陣を置き,この山の上から陣鐘,陣太鼓を打ち鳴らして,味方を鼓舞した.

               <遠く三浦アルプスが望める>


                <陣鐘山尾根の素晴らしい散策路>

■日蓮袈裟懸松
 陣鐘山の尾根道から稲村ヶ崎海岸付近に下る.近くに日蓮袈裟懸松跡がある.
 1271年,刑場に向かう日蓮は,袈裟を汚さないために,ここで袈裟を脱ぎ,おしいただいて道端の松の枝に掛けた.

                   <日蓮袈裟懸松>

■江ノ電
 江ノ電の線路に沿って,稲村ヶ崎駅へ向かう.
 江ノ電と湘南モノレールを乗り継いで帰宅しようと思う.沢山の観光客で,電車は混雑していた.
                         (おわり)
[加除修正]
2009/3/9 転換ミス訂正

[参考文献]
鎌倉市史編纂委員会(編),1959『鎌倉市史社寺編』吉川弘文館
鎌倉商工会議所(編),2000『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社


「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/05b1f2b1106f598e4f9fd2951b1defed



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