フットボール観戦記

新聞で大きく取り上げられることがないクラスのサッカー・フットサル観戦記です

2017年沖縄旅行記(12)宮古島市総合博物館

2017-09-08 01:09:43 | 2017年旅行

宮古列島の模型と宮古列島の歴史のコーナー

昔の漁業の紹介、農業の紹介もありました

宮古上布(みやこじょうふ)、上等な麻織物である上布で宮古上布が紹介されていました

宮古織物事業協同組合公式サイトです。ここで宮古上布や作業工程が見れます

気象関連のコーナー、沖縄諸島は台風直撃多いです


こうして見終えた後、また来た道を戻り下車したバス停近くまで戻りました

遅い昼食はドライブインのような店

ゴーヤチャンプルー、体力消耗していて全部食べれるか心配でしたが食べきれました

で、ホテルの帰路はタクシー使いました

宮古島はタクシー多く走っていて、料金の問題除けば本数少ないバスより有効な交通手段になります

ホテルに帰ってからしばらく横になってました

夕食はホテル近くの店で

タコライス・サラダを注文、前日の焼肉よりはしっかりしたものを食べれた気分になりました

旅行のときは店の資本(国内でない店は避けたい)確認とともに、肉系統避けた方がよいかもしれませんね

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2017年沖縄旅行記(11)宮古島市総合博物館へ

2017-09-07 01:07:19 | 2017年旅行

空港方面に戻るバスが来ました、これから宮古島市総合博物館に向かいます

宮古島市公式サイト内の博物館の紹介ページです

バス内の注意書き、どうやら中国人が多く来ているようですね

宮古島市総合博物館へはバス通っておらず2キロほど歩きます

雨降っているよりははるかにマシでしたが炎天下歩くことに

これを見た瞬間、「まだ歩くのかよ」という気分に

ここまで来て「ようやっと」着いた気分でした

博物館入口

ミヤコノロジカの骨格標本

ミヤコノロジカの説明です

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2017年沖縄旅行記(10)復路バスまでの時間つぶし

2017-09-06 01:18:25 | 2017年旅行

キンダーハウス見終えて、わずかですが復路バスまでの時間作れました

海はきれいでした

半島見たいになっているところへ歩きました

ハート岩、干潮時に見ることができるようです

確かにハートの形に見えます

パレス館、ここに行ってみたのですが

今は閉館中とのことでした

パレス館前からの海の写真です

復路のバス停には午後2時少し前に着きました

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2017年沖縄旅行記(9)キンダーハウス

2017-09-04 23:51:26 | 2017年旅行

博愛記念館見終えた後、

キンダーハウスに向かいました

キンダーハウスという名称の通り、子供向け玩具

グリム童話の紹介

赤ずきんちゃんやヘンゼルとグレーテルの絵があります


それらとは一線を画す展示もあります

それはベルリンの壁

ドイツ東西分裂時の「負の遺産」、壁があったことを知らない世代も増えています

壁の実物もあります

こちらは西側、西側は壁近くまで人が立ち入れたので落書きがありますが

東側、東ドイツ市民は壁に近寄れないので落書きなどはないです

コチラの写真見てもらうとわかりますが東側は下側にあるコンクリートで壁そのものに近寄れないようになっていた上、鉄条網等で壁に近づけなくさせていました 

このベルリンの壁、キンダーハウスにしか入れられないこともありますが、キンダーハウスに展示しているのは『未来を担う子供たちに負の遺産があったことを伝える』ことを教えるためでもあるようです

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2017年沖縄旅行記(8)博愛記念館の展示2

2017-09-03 23:35:46 | 2017年旅行

博愛記念館の展示の続きです

昔のドイツの農家で使われていた農具などです

婦人の間にあった寝室

騎士の間

シュレーダー氏が記念署名された机

礼拝堂

2階に下ります

1873年6月宮古島住民が遭難したドイツ商船船員を救助した出来事について、当時の話が紹介されています

シュレーダー氏が宮古島に来島した時の新聞記事です

中世の食卓

中世の食事事情、昼食午前10時、夕食午後4時、現代では考えられないです

当時は電気なんて文明はありませんでしたから日の出・日の入りを基準にした生活だったようですね

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