昨日は 地球大学で地球化学汚染の講義をうけたざんす。
学者さんの話って、おもしれ~♪
印象的だったのは「はかる」事の大切さ。
「測る」って事が、実はとっても難しくて、
「測る」が出来ない限り、どんなものも
「問題」にはなり得ない。
ここから全ては始まる、というていた。
あそーか、そーね!
いろんなお話をきいたんですが、後で総じて思ったのは、
やっぱりイマジネーションが大切だって事かしら。
人はイマジネーションでこの世界をもっと知り尽くすことができる。
つーかもっと使わなきゃいかん。
つーか、その使い方と日常におけるそのスタンスのセッティング、それにつきる。
普く世界とリアルな自分をつなぐもの。
数字や写真が伝達手段として使われるのも、
それを刺激するのにとても有効だからでしょうね。
ややこしい言い方をやめれば、つまりそれは「感じること」だ。
善悪とか正否とかじゃなくて、それが何であろうが感じる事。
味わうこと、そっから始まる。
イメージする能力。感じる力。
(人が持っている内なる額の鏡に、この普く世界を映し出す能力とも言える)
こいつが発揮できる事、スムーズに動くよう調整しておく事が
人間にとってとても大切な必須課題となる。
一見簡単に思える事「今、自分が何を感じているか」、
これは常々意識していないと、とってもけっこう難しい。
考えじゃないよ、feel 感じるです。
ここで大切なのは、自分自身でいる事。
自分の声が聞こえている事。
誰かの言葉じゃなくて。
最終的に一番大切で真実なのは自分自身の声。
けっして何者にも自分を明け渡してはいけない。
自分の胸のとこにある心の籠戸を、まこと心でいっぱいにする。
自分自身でそこをいっぱいに満たすの♪
真っ直ぐ感じてなきゃできない。
人は恐怖心から不感症になる事を望みがちになる。
けれども感じる事をやめたら人間は人間として機能しなくなる。
だって何にも映せなくなる。
そしたら世界が歪んでしまう。
ソウゾウ主だから当たり前。
そんなこんな、
うまく言えないが独り言が楽しい帰りの電車であった。
あ~らよ出前一丁~♪
おやすみだじょ~。
学者さんの話って、おもしれ~♪
印象的だったのは「はかる」事の大切さ。
「測る」って事が、実はとっても難しくて、
「測る」が出来ない限り、どんなものも
「問題」にはなり得ない。
ここから全ては始まる、というていた。
あそーか、そーね!
いろんなお話をきいたんですが、後で総じて思ったのは、
やっぱりイマジネーションが大切だって事かしら。
人はイマジネーションでこの世界をもっと知り尽くすことができる。
つーかもっと使わなきゃいかん。
つーか、その使い方と日常におけるそのスタンスのセッティング、それにつきる。
普く世界とリアルな自分をつなぐもの。
数字や写真が伝達手段として使われるのも、
それを刺激するのにとても有効だからでしょうね。
ややこしい言い方をやめれば、つまりそれは「感じること」だ。
善悪とか正否とかじゃなくて、それが何であろうが感じる事。
味わうこと、そっから始まる。
イメージする能力。感じる力。
(人が持っている内なる額の鏡に、この普く世界を映し出す能力とも言える)
こいつが発揮できる事、スムーズに動くよう調整しておく事が
人間にとってとても大切な必須課題となる。
一見簡単に思える事「今、自分が何を感じているか」、
これは常々意識していないと、とってもけっこう難しい。
考えじゃないよ、feel 感じるです。
ここで大切なのは、自分自身でいる事。
自分の声が聞こえている事。
誰かの言葉じゃなくて。
最終的に一番大切で真実なのは自分自身の声。
けっして何者にも自分を明け渡してはいけない。
自分の胸のとこにある心の籠戸を、まこと心でいっぱいにする。
自分自身でそこをいっぱいに満たすの♪
真っ直ぐ感じてなきゃできない。
人は恐怖心から不感症になる事を望みがちになる。
けれども感じる事をやめたら人間は人間として機能しなくなる。
だって何にも映せなくなる。
そしたら世界が歪んでしまう。
ソウゾウ主だから当たり前。
そんなこんな、
うまく言えないが独り言が楽しい帰りの電車であった。
あ~らよ出前一丁~♪
おやすみだじょ~。