山鹿素行(やまがそこう)は、江戸時代前期の兵学者。また思想家(儒学者)として
『日本の道徳教育の生みの親』として有名です。
その生誕の地が、鶴ヶ城近くに石碑として残っています。
山鹿素行は、この地で元和8年に生まれました。
この地は今、【山鹿町】として、その名が残っているのですよん。
それまでの学問である朱子学(12世紀の中国の道徳教育)を、17世紀の日本国の江戸時代にあった、太平の世の武士のあるべき姿を具体的に説いたものでした。
いわゆる、『武士道の精神(忠.義.信)を確立した人』として、世に知られているのです。その教えは、幕末の吉田松陰や、明治の乃木大将、大正・昭和の東郷平八郎らへと続きました。
この↓石碑は、大正15年4月 東郷平八郎の書によって、建てられたものだそうです。
また、兵学者としては31歳の時、赤穂藩に認められて、1000石で8年間赤穂藩に仕えました。そのとき、独自の兵学《山鹿流》を完成させました。
赤穂浪士の生みの親と言われていますよね。
文武両道を極めた、人としての正しい道を確立したこの道徳は、現代にも通じるものがあります。
一部 鶴ヶ城通りまちなみ協議会の文書から引用しました。
また、その後、この地は上杉家が越後から転封された際、上杉景勝の家老、大河ドラマの主人公にもなった直江兼続の屋敷も置かれたそうです。
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さくらの大木もまだまだ蕾は固いよう。
会津のこの辺りは桜🌸の開花も、またひと月も先でしょうか。