合掌
若松市内の県立博物館で、
沿岸部で津波被害の残るカーテン↑
あの日 会津若松は、そして被災した各地は、ちらちらと小雪舞う寒い日でした。
若松市内の県立博物館で、
【震災遺構を考える】が開催されています。今日、伺うのに意味があると考えました。
沿岸部で津波被害の残るカーテン↑
津波被害で壊された標識など↓
当館近くにあった、仮設住宅の看板↓
避難所での臨時学校での、子供達の当時の夢が書かれています。
ただ、お家に帰りたい そんな小さな夢ばかりでした。
富岡中学校、高校(バドミントン部が強豪で、桃田選手の出身校)も、部活中途で、
全町避難の為、そのまま…
ご存知でしょうか?
フレコンバック
放射能に汚染された土を入れる袋です。
現在、この袋の中間貯蔵施設が沿岸部、帰宅困難地域などに貯蔵されています。
飯舘村の綿津見神社の御神木
汚染を心配された関係者が、苦渋の決断の元、伐採しました。150年以上地域を守って来た大木でした。
南相馬市の内陸にあった老人保健施設の津波の跡↓
被災したパトカーのルーフ『双31』と書いてあります。ふたりの警官が殉職されました。
つなみで流出した郵便ポスト📮
会津の桜(小彼岸桜のはず)はまだまだ
抱えきれない哀しみや、その後の不安な状況、未だに続く福島第一原発の事故、
『あるべき日常』を奪われた
あの震災からはや十年の歳月が流れました。
早かったようで遅かったのか、遅いようで早かったのか…それぞれの感じ方にはなりますが、政府などは、一区切りとみるようです。
被災した各地は、それなりの復興の途上にありますが、この十年は一区切りではありますが、単なる通過点です。
最愛の家族を失った悲しみ、我が家、仕事、地域を無くした悲しみ、は、決して他人事ではありません。10年の月日がその悲しみを癒やしてくれるわけもないのです。
福島県では、原発事故により故郷を追われ、避難せざるを得ない県民がまだ、まだ、4万人以上もいらっしゃいます。
古里に帰ることが出来ない、その哀しみを心に留めておいてくださいますか。
原発の廃炉に向けた現実は、未だ、コントロールされておらず、廃炉へのその端緒すら覚束ない状況です。
風評被害に苦しむ県民もいると言うことを、心の片隅に留めて置いてくださいますか?
今日、会津若松は春のような陽気です。
あの大震災から、私たち今を生きる大人たちは、数多くの教訓を学んだはず。
将来を担う子供たちに、胸を張って
なにを託せば良いのか、自問するこの頃です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます