おーい、ふくちゃん!

趣味のゴルフ、写真、庭いじり、の記録です。令和元年より、オールドレンズで町歩きの記録を心新たに楽しみます。

カメラ片手にぶらり駅前探検 NO.3 阪急十三駅編

2019年06月22日 | カメラ片手に ぶらり駅前探検 

十三駅と書いて、「じゅうそうえき」と読みます。よくクイズにも取り上げられる駅です。

今まで一度も下りたことのない駅はたくさんありますが、この十三駅は子供の頃におっちゃんがたくさんいて怖いというイメージを植え付けられており、なかなか近寄りがたい駅でした。父親や親戚のおじさんが、

「十三のねえ~ちゃん♪」

などと風呂で演歌?を歌っていたように思います。阪急梅田駅から、普通電車に乗って2つめ。特急で1つ目ですから、大阪に勤める方は帰りに一杯!にちょうどいいところなのではないかと思います。

父親がよく、「酒まんじゅう」やら「イカ焼き」やら酔っ払ったついでにお土産に持って帰ってきてくれたことを思い出します。なにか特別な町といった印象です。僕の中では、「新世界」と同じイメージです。

 

阪急十三駅は、阪急神戸線から京都線へのつなぐ駅で、ここもホームが広く初めて来ると迷ってしまいます。ここにも昔阪急そばがあって、いい匂いがしていた記憶があります。

 

 

 

Zoom NIKKOR 28-85 1:3.5-4.5 広角側↑望遠側↓

さて、駅を下りて改札を出ると・・・いきなり商店街。商店街の中に駅があるって感じです。

 アーケードがあって薄暗い感じです。ここは東出口ですが、神戸線上りホームからも改札口があって、線路の下をくぐってここに出てくるようです。

改札を出ると、右手西側にも

正面は、

なんかわくわくしますが・・・

そこに、

酒まんじゅうのお店。そうか!父親がお土産に買ってきてくれたのは、ここだったのかもしれません。食べてみたかったのですが、ダイエット中のみですので残念ながら。

さらに進むと

なんとイカ焼きの店。しかし、イカ焼きは、全国の皆さんが頭に思い浮かべるイカ焼きとはちょいと違います。メリケン粉つまり粉もんで、

お好み焼きのようでお好み焼きでない、ネギ焼きのようでネギ焼き出ない、それは何かと尋ねたら♪ べんべん♪

イカ焼き イカ焼き イカ焼き♪

わからないだろうなぁ。これが醤油味でおいしいんです。

 

さて、アーケードを出ると、大きなスクランブル交差点。

向こうにも商店街が続きます。

では入ってみましょう!

路地には

ちょっとしたオアシスもあります。

大阪名物の「串カツ」

看板。

しかし、こんな町にやってきても何も食べることのできないのがつらくて、そそくさと帰路につきます。残念無念。


編集後記

今回の機材は、Nikon Zoom NIKKOR 28-85 1:3.5-4.5 です。
レンズの評価など見ても、特に特徴のないレンズだとの評価があったり、カメラ雑誌では、フィルム時代の標準のレンズで、よい評価だったらしいとか紹介されておりましたが、逆光で少々フレアが見られてものの、数段絞ってみると大変カリッとした写りで気に入りました。難点は、重い。金属をしっかり使ったレンズのため、重い。加えて、望遠側がデフォルトで、広角にするとレンズが伸びる。この方が安定するのだろうけれど、レンズ伸ばしているとアップで撮られていると勘違いされそうで・・・

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ストロベリームーン ってなんですか?

2019年06月17日 | 日記

きれいな満月!って思って見ていると、

「ストロベリームーンっていうんだよ。」

と、得意げにおっしゃる妻。一体なんなんだ?今は白く見えるけど・・・

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曽爾高原 妙に画数が多いのは抜けた髪の毛!! 奈良-平城京・東大寺・興福寺・曽爾高原・長谷寺 の旅

2019年06月16日 | 旅行

時は、まさに暴風の中。

西宮から奈良までミニトリップです。予定では一日目・・・赤目四十八滝、二日目・・・曽爾高原でしたが、一日目は大雨の予報でしたから、急遽、奈良観光に変更となりました。いずれにせよ、行き当たりばったりの旅行です。お得意なコースです。

平城京


 

名阪国道 針インターで下りて奈良市街地を目前に、「平城京」の文字が。ずいぶん昔に来たころには、何もなかった史跡に立派な平城京の朱雀門が見えます。行ってみようかと言うことで、雨も気になる中行ってきました。すると、そこには立派な駐車場と広大な敷地が広がり、朱雀門の前にはレストランやら観光資料館など大きな建物がありました。そして、第一次大極殿院まで遙かに歩かなければなりませんでした。赤目四十八滝を散策するよりも距離があったのではないかと、密かに思っています。

大極殿院の中には、天皇の玉座である高御座(たかみくら)が展示されていて、特別展示期間中につき見せていただきました。写真は撮りましたが、公開してよいのかどうか…(撮影可でした)大極殿の装飾品も見ましたが、どれも精巧なできばえで、当時本当にそんなものが作れたのかとびっくりするほどでした。


奈良公園、東大寺


 

さて、平城京跡を出発し、奈良と言えば奈良公園、東大寺に向かいます。しかし、びっくりしたのは日本語が聞こえない。中国語、韓国語、ポルトガル語、たぶんフィリピンのタガログ語、もちろん英語なども聞こえます。遠目日本人かと思っていると、異国語を話している。持ち物を見ると日本にはあまりない色使いの小物や服。ここは鹿のいる外国だと思うことにしました。

周辺で昼食をとり、興福寺

興福寺


 

せっかくなら、国宝の数々も見たい。歴史の教科書に出てくる「金剛力士像」「阿修羅像」などなど。実物を見ると、ほんと見とれます。よくもまあ、本物以上に筋骨隆々とたくましい表情と・・・国宝である意味がよくわかります。詳しく紹介しているサイトを紹介しておきます。絵はがきのような定番の構図の写真を

 

一日目は、奈良駅周辺に宿を取り、ほかほか温泉で湯につかりマッサージでリラックス。いよいよ、曽爾高原へ

曽爾高原


 

天候は曇り空。時々晴れ間も見せるけれど、何よりも強風。というより暴風。台風の風よりもすごい風でした。

曽爾高原のあの尾根を通るのかとおもうとビクビクでしたが、行ってみることにしました。案の定すごい風で、吹き飛ばされそうになりながら高みを登り尾根に到着。あまりの風に引き返す方もいらっしゃるくらいで怖じ気づいてしまいましたが、せっかくなので行ってみることにしました。尾根と言っても幅は5mほどありますし、風下には木々があり落ちることはないだろうと思い突撃。やはり無謀でありました。危うく飛ばされそうになり、這うように風を避け通り抜けたところもあるほどでした。

お気に入りの「曽爾高原温泉 お亀の湯」でゆったりと湯につかり食事にありつきました。しかし、風呂で頭を洗ってかわかしていると、無数の脱毛を発見。きっと暴風に逆らえず寿命前に抜けてしまったのでしょう。曽爾高原の画数の多い文字は、僕の抜けた髪の毛のようだと思ったのは内緒です。最後に長谷寺に向かいました。ところで、奈良の食事って、味がとても濃い。塩辛かったりして、とても苦労しました。関西だと思ったら、名古屋圏なのかもしれませんね。

長谷寺


 

長谷寺って全国にあるようです。その総本山が奈良の長谷寺。桜、藤、紫陽花、紅葉。観音様のあまりの大きさにびっくりしました。撮影禁止でした。残念。

うまくお坊様が写真の隅に。実にタイミングがよかったですが、慌てて撮ったので傾いているのは未熟です。


しかしなにゆえ、ISO3200??? 設定ミスりましたが、意外に高感度でも画が破綻していないのがすごいですねぇ。キャノンさん。



撮影は、すべて Canon M3 EF-M 18-55mm F3.5-5.6 IS STM で行いました。軽量コンパクトな割に、大変写りのよいレンズだと思います。旅のお供にはぴったりです。

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カメラ片手にぶらり駅前探検 NO.2 阪急塚口駅編

2019年06月08日 | カメラ片手に ぶらり駅前探検 

いきなりピンボケ(ToT)

ぶらり・・・2回目。

天気はいまいちだけど、久しぶりの自由時間。思い切って出かけました。自宅から最寄りの苦楽園駅まで自転車で。駐輪場に自転車を止め、改札でピッとするも反応しないので、財布おなかを見るとPiTaPaがない。慌てているところに電車が到着する気配。券売機に戻って行き先も決まらないまま慌てて220円券を買い電車に飛び乗りました。西宮北口まで一駅。それまでに決定すればいいかと。

さて、どこに行こうか・・・

行ってみたかったところ・・・子供の頃住んでいたところ、訪ねてみようか!そうだ「塚口駅」

ということで今回は「阪急塚口駅」。
阪急神戸線 梅田ー中津ー神崎川ー十三ー園田ー塚口ー武庫之荘ー西宮北口・・・・・三宮 

塚口駅からは阪急伊丹線が延びています。伊丹の人々は伊丹駅から塚口駅に向かい、神戸線に乗り換えます。しかし、伊丹市も尼崎市も市バス阪急バスが縦横無尽に走っているおかげで、わざわざバスで伊丹駅に行かなくとも、多くの人は直接塚口駅行きのバスにのってやってきます。ですから、塚口駅のメインロードは伊丹市民と尼崎市民の玄関口として賑わっているのだと思います。

そのメインロードは、幼い頃は広い道だと思っていましたが、今日降り立ってみるとほんとに狭い道で、こんなところをバスが通っていたのかと驚かされます。また人通りも記憶の通り大変多く活気のある土地でした。

さて、

いきなり画が甘い…やはり50mmのF1.4は、ポートレート用かもです。

 塚口駅に到着する。神戸線の上り下り、そして伊丹線の三線が合流する駅なので、ホームが広い。ホームになんか魅力的なお店もあって、通勤に使っていると絶対買って帰ると思う。しかし、昔あった阪急そばは今はなく、鰹の匂いがしないのが残念。

昔、住んでいたのは駅の北側。改札の向こうに50年以上前の記憶が・・・

駅前にロータリーがあるでもなく、細いメインロードが続く。ちょっと歩いたところにバス停があって、そのバスに乗って小学校時代に住んでいた伊丹の家まで帰っていたことを思い出します。駅を出るとなぜか、

ローゲンマイヤー。ここでも駅前に進出していました。炭水化物を制限している今は、見ないふり。

絞り回すのわすれてた・・・

大きなショッピングセンターは駅の南側にあるのに、ここはすごい人通りです。昔の記憶の通り。

駅前のマクドナルドは長蛇の列。何があったのでしょう?

駅をでて左に折れると線路の南側に出る踏切がある。その手前には商店街があって、その入り口のお肉屋さんのコロッケがとてもおいしかったのを覚えている。残念ながらその商店街はすでになく、コロッケやさんのあったところは、CoCo壱番屋のカレー屋さんがある。

この踏切の向こうには、昔電話ボックスのような小屋があって、電車が通るのを電話で連絡し合い、手動で踏切をあげる駅員さんがいたのを思い出す。遠い昔、この駅員さんの様子をずっと見ていたように思います。この踏切を渡って西に行くと大きな服屋さんが…などと古い景色がよみがえる。

さて、きびすを返してメインロードに戻る。一人の警備員がいる。何をしているのだろうと見ていると、思い出した。狭い道を大型の市バスが転回するのに交通整理と誘導をするための警備員。そういえば数人でさばいていたような記憶がある。

実に頼もしい姿であります。

バス停の向こうによく行ったスーパーがある。有名な「いかりスーパー」本店。

人に、「小さい頃よくいかりスーパーに行ってたんだよね。」って話すと、きまって、「お金持ちだったんだねぇ。」なんて言われて、何でだろうと思っていたけれど、近くの芦屋や西宮のいかりスーパーに行ってみると、レジには必ず二人のレジ係がいて、丁寧に紙袋に入れてくれたり、売っているのものはよいものだが値段も高い。いわゆる高級スーパーだった。でもここは表に自転車が並び、庶民的な香りがするけれど違うのだろうか。

隣には、大衆理容のお店。きれいな店内なので機会があれば刈ってもらおう。

庶民的な風景

 辺りを見回すと、令和の時代にはない風景が見られる。昭和記念通りですな。懐かしさ満点です。

 いかりスーパーを眺めて、幼い頃の風景に出会いに行きます。駅の北側、伊丹線の踏切を渡って東側に向かいます。もう50年以上も前の記憶をたどります。

いきなり、

 ここは僕が遊んでいたところ。今はフェンスで囲まれているけれど、当時はフェンスはなく、このホームの下のスペースに潜り込んで遊んでいたのです。僕の住んでいたアパートは散髪屋と金物屋が一階にあって、散髪屋の家族はその二階に、僕らは金物屋の上に住んでいた。散髪屋の息子は「しんちゃん」といって、ぼくと近い年の男の子だったと思う。僕の名前も「しんちゃん」で、よく一緒に遊んでいたようだ。となりのしんちゃんの家にもおじゃましていて、おっちゃんたちがお布団で寝ている横を僕が歩いている景色も思い出される。そのしんちゃんと僕はこのホームの下に潜り込んで、線路に釘をおいてぺったんこにしたり(記憶のお話です)していたらしい。当時はたばこの吸い殻がたくさん落ちていて、それを拾っていたような記憶もある。何してたんでしょうねぇ。

たしか踏切がこの向こうに・・・

あれだ。 

 とうとう帰ってきた、そんな気がした。道を進むと昭和の時代に戻ったような景色。

ばあちゃんの焼くたこ焼きは本当においしそうで、炭水化物を制限している今どうしようかと迷ったけど、後でいただくことにした。そんなレトロな景色を見ていると、もしかすると、あの散髪屋があるかもしれないと思い出した。しかし今から50年も昔の建物が残っているものか?半分期待しながら進んでいると・・・ 見えました。たぶんあの建物です。昔は雨がたまるようなブリキでできた箱形の看板でしたが、今は青色のテント地の看板に代わっています。昔、父親が吸ったたばこの吸い殻をブリキの看板の箱の中にぽいぽい捨てていたのを思い出します。子供ながらに、たばこの吸い殻を捨てる父親が嫌いでした。

ブリキ屋にはたくさんの品物が所狭しと置いてありましたが、今は陳列台に少しだけおいてありました。時の流れには逆らえないのでしょうが、よくぞ今まで続いていると感心しました。散髪屋では、土曜の昼だというのに客待ち顔で店主がドアの中で座っています。年の頃は僕と同じぐらいの男性。きっとあれがしんちゃんなのでしょう。声をかける勇気もなく通り過ぎました。

目的地はもう一つあります。この道をずっと行くと、僕の通っていた「こひつじ幼稚園」があります。そこまで行ってみます。

 手ぶれ(T_T)

 懐かしさのあまり途中シャッターを押すのを忘れていました。しかし、しばらく突き当たりまで行くと、茶色の大きな門こそありませんでしたがまぎれもない幼稚園の姿。今は協会として残っていました。

 園庭は、売却されたと見え住宅が建っておりましたが、なつかしい形のドアがそこにありました。50年以上も前なのに覚えているものです。くりはら美子先生元気でしょうか。

幼稚園から帰る道をたどります。もう一つ記憶に残っていることがあります。

帰り道、その日は一人で帰っていたのですが、電信柱になぜか黄色と黒の虎ロープがぶら下がっていて、しんちゃん少年はその虎ロープにぶら下がったのです。そのころ「ターザン」というテレビドラマが人気でしんちゃん少年も見ていました。だからなのでしょうか、しんちゃん少年ロープにぶら下がってターザンのようにロープをぶら下がり体を振ります。

「あーあぁーーー。」

とターザンは叫ぶのですが、しんちゃん少年の

「あーあぁーーー。」

と叫びます。どうなると思いますか?無残にも電信柱に激突します。そりゃそうですよね。しんちゃん少年は、顔面を強打して鼻血を出します。顔中、いや上半身血だらけになりながら泣いて帰っていたのです。

その姿を、迎えに来た母親は、路上駐車している車の陰から我が子が血らだけの姿で泣きながら現れるので、びっくりしたそうです。

笑い話のレパートリーの一つですが、電信柱を眺めながら思い出していました。途中公園を見つけました。

 この公園覚えています。あのらくだに跨がった記憶。かわいかったのでしょうね。僕は。

 思い出に浸りながら、たこ焼き屋の前に。5こ100円ですよ。今時。

 後で気がついたのですが、5こ100円だったのですが、実は6こ入っていました。店の前のベンチに座っていただきましたが、入れ物を返すとき、「お茶も飲むかい?」なんて尋ねてくれます。昭和の香りぷんぷんです。

このたこ焼き、少し小さめのたこ焼きで昔サイズ。外側カリカリ中は柔らかい、とても懐かしくおいしいたこ焼きでした。久しぶりに食べた昭和のたこ焼きでした。また食べに来ようかと思います。

 

【撮影機材 撮影後記】

撮影機材 Nikon D700 Ai NIKKOR 50mm f1.4 フィルター kenko PRO ND-8
 
50mmレンズは標準レンズと呼ばれますが、実は50mmだけ持ち歩くのはあまりなく、寄ったり引いたりしながら画角をカバーしました。写真は足で撮れという言葉が身にしみました。天候は曇り。光が少ないのが残念。
 
技術的には、ピンボケ量産でした。光が少ない上近眼でピントの山を見つけられなかったり、人混みの中でシャッターを切る度胸がなく手ぶれ量産したり、残念な結果になりました。晴れた日にもう一度連れて行きます。

 

 

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