『永島漫画と私』
私が最初に永島慎二さんの漫画に出会ったのは、いつだったか思い出せません。でも、古希を迎えてこうして50年も前の「漫画家残酷物語」(昭和43年発行)、「人間劇場」(昭和43年発行)などを、読み直していると、世間について何もしらなかった私は、「漫画家残酷物語」「人間劇場」などを読みながら、これから進んでいくであろう世間というものを夢見ていたのだと。
それら「漫画家残酷物語」や「人間劇場」の各篇は、コマ割りによって描かれた漫画ではあるのですが、どこか詩的であったのです。また、それらコマ割りを追っていくと、どこか映画のようでもあったのでした。
そのことに関して、「漫画家残酷物語」の解説、・峠あかねより。
「漫画家残酷物語」は、分析すると三つの世界から成立している。
一つは、タテの世界であり、ドラマを持った世界である。それにからむヨコの世界では漫画そのものについての描写がくわわり、タカサの世界で、作者の分身の登場となる。
タテの世界では、読者が共鳴しやすい読み物としてのドラマが展開される。それは、とくに若い人達に指示される甘さや感傷などがタップリ盛りこまれており、俗にいう永島ム―ドが発散された世界である。作者と読者とのコミュニケートが、平易に成立されやすい配慮というべきか。
ヨコの世界では、漫画または漫画界をとらえながら、ある時は漫画論をぶち、ある時は漫画そのものに迫ろうとしている。まんが青年の教科といわれる世界である。
タカサの世界では、それが煮つまって、作者、もしくは、作者の分身が登場してくる。自己の姿勢を語ろうとつとめる中から、作品の方向づけを探していく。ヘミングウェイや有馬頼義の文法論を継承しているといえようか。
私はその、・・・若い人達に指示される甘さや感傷などがタップリ盛りこまれた、俗にいう永島ム―ドが発散された世界に引き込まれていたのですね。
私は『三度目のさよなら』『心』『陽だまり』などの世界に・・・・、青春って、人生って何なんだろうと・・・・。たとえば、一人の漫画家と一人の愛読者の恋の話を描いた、『雨ン中』。
主人公は、降りしきる雨の中、彼女がくるのをいつまでも待っているのでした。長い時間が過ぎ・・・・、結局、彼の前に彼女は現れハッピーエンドでしたが・・・・。その最後のページのコマ割りのなかのセリフです。
「き 来て くれると 思ってました・・・・・・」「・・・・・・ ・・・・・・」
最後のコマ割りは、結ばれた二人の傍らを、一台の車が水しぶきをあげて通り過ぎていったのです。
また、『新・雨月物語』「その3」の紹介です。7ページのショートです。
目の前を通る一人の女性の面影を絵にしている看板持ちとその女性の成長を描いているのですが、セリフは一言もでてこないので、モノクロの無声映画を見ているようです。
・こうして、長い年月が過ぎ、永島漫画を振りかえると、永島漫画に描かれていたことは、自分が通り過ぎてきた人生の先取りであったのではと・・・・。
でも、こうして、振りかえって、誰もが、少年・少女時代の自分にふたたび出会えることは、なんと楽しく懐かしい想い出なのでしょう。