石森章太郎『ミュータント・サブ』より。
「大むかし 人間は ことばのかわりに 心と心で話す 精神感応力(テレパシー)をもっていた・・・ しかし その後 ことばの発見 発明 そして発達と同時に その能力はしだいに退化してきて 現代ではほとんど そのかけらものこっていない ところが 原爆の放射線が とつぜん その能力をよみがえらせた! 原始的な能力を さらに進化させたかたちで・・・ その能力を身につけた少年―― それがミュータント・サブである」
そう、ミュータントである少年・サブが活躍する物語です。この「ミュータント・サブ」シリーズは、昭和36年『中学生画報』に発表された「ミュータントX」を皮切りに、『少年サンデー』・『少年マガジン』・『ぼくら』・『冒険王』・『少女』などにシリーズ形式で掲載された石森章太郎の代表的なSFまんがです。石森章太郎はこう書いています。
「そうです。サブはこんな子どもの頃の、ぼくの祈りの中から生まれました。いえ、子どもの頃だけじゃありません。今だってぼくは、それと似たりよったりの祈りを持ち続けています」
私が今読んでいるのは、昭和44年発行の『ミュータント・サブ』石森章太郎著です。私が中学三年生の頃でした。あれから半世紀は過ぎました。
こうして、改めて読んでみても、石森章太郎が描いたまんがの世界ですが、色あせていません。描かれた頃からほとんどなんの進展もない現代であるのでしょうか。
続けて、『ミュータント・サブ』より、気になる文を紹介します。
「ミュータントとは 生物学用語で 突然異変児 の意味である E・S・Pとは 超心理学用語で超感覚的知覚の意味だ 超感覚には このほかにT・K すなわち観念動力(テレキネス)とよばれるものなどがある これらの超能力者を われわれは略して エスパーとよんでいる」
作者・石森章太郎は描くにあたって、超心理学などにかんする文献をいろいろと調べたのでしょうか。ところどころに、読者のために、それらの解説をしています。
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ところで、私がどうして、『詩と漫画』の項に、石森章太郎漫画を紹介したのかと、自分なりに考えてみました。主人公サブの超感覚的な世界は詩的世界に通じるということ。超能力者と平凡な一般人とはなかなか共存できないのですが、石森章太郎は『ミュータント・サブ』を通して、ごく普遍的な日常の愛の世界を描いていることに気づいた私です・・・・。
『魔女の条件編』では、サブと同じく、テレキネスを使う少女がでて来るのですが、その超能力は、友だちをもとめるさびしい心が、もとめても得られないかなしみといかりの心が生みだしたのだと・・・・。
ところが、少女はサブという友だちが出来たと思い・・・・幸福になったのとひきかえに、その今まで持っていた超能力を失ってしまうのでした。
それから、サブは、その超能力を失ってしまった少女に催眠術をかけ暗示をあたえたのです・・・・。物語に登場する、東京の大学で超心理学の勉強をしている波岡という青年と結ばれるように・・・・。
「・・・・きみたちは 幸福になる やがて・・・・ ふつうの ひとりのおとこと ひとりのおんなとして・・・・ おたがいに 深くあいての 心を理解し 愛しあうようになる 」
私は以前、石森章太郎自身がエスパーだったのかなって?書いたことがあるのですが、漫画を通して、人間の進化と愛を追求した石森章太郎漫画は、大いに詩的であると言えるのではないのでしょうか・・・・。