第十八章 俗薄(俗世に大道が薄らいだとき)
大道廃れて仁義有り。
智慧出でて大偽有り。
六親(りくしん)和せずして孝慈有り。
国家昏乱(こんらん)して 忠臣 有り。
この章は、仁義、忠孝等と道徳が尊重されるのは、大道が行われなくなったためであり、世の衰えたためであることを説く。
淳朴の民ばかりが暮らしているときは、誰かが、何かを考え、誰かに教えても、次から次へと伝わり、皆が知ってしまって、誰が考えたか、誰もしらないようになってしまう。善いことは、皆の血となり、肉となってしまったのである。
ところが、そういう風には行かない時代が来たのである。
それは、虚栄心や功名心が強く、その目的を遂げるためには、虚偽を行っても構わないというものが現われるようになったのである。
また、 淳朴の民は、誰とも親密に暮らすことを普通のこととしていたが、虚栄心や競争心の強い者が社会に多くなると、若い者はその影響を強く受け、勝手気儘なことをすることが多くなり、親子の間が円満に行かない家庭が増え、親が子をいつくしみ、子が親を大切にするということが珍しいくらいになり、その結果、孝であるとか、慈である、とかいうことが言われるようになったのである。
世の中で恐ろしいことは、虚栄心とか、巧名心に駆られたものが出て来ることである。
虚栄心や、巧名心は、止めどのない競争心を誘発するものであって、昔から世を混乱に陥れた原因は、大抵はここにあるのである。
また、世に忠臣が現われるのは、このような混乱が生じた結果であることはいうまでもないことである。