不思議活性

小倉百人一首 52

  第五十二首

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかな              
     
藤原道信朝臣    
(972-994) 太政大臣為光の子で、藤原兼家の養子となる。二十三歳で早世。中古三十六歌仙の一人。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
また逢えると知りながらも別れて帰る夜明けのつらさ 

歌意
夜が明けるとまた日が暮れ、いずれ再びあなたと逢えるとは分かっていても、やはりこの別れを促す夜明けは恨めしいことだ。

 これも後朝の歌。しかも若い貴公子の真情のあふれた歌である。たんたんとよみながらも、恋の未練をもっともあわれ深く核心をついて的確に表現している。

 藤原為光の子。母は伊尹の女。藤原兼家の養子となったが、その没後、道兼に引き取られた。「いみじき和歌の上手」といわれていたが、二十三歳で早逝した。ために世人に深く惜しまれたことが『大鏡』などに見える。

 『拾遺集 』以下に四十九首入集。中古三十六歌仙の一。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「小倉百人一首」カテゴリーもっと見る