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第三十五章 仁徳(仁の徳)
大象 を執りて天下に往く。往いて害せず、安平大なり。
餌と与に楽しめば、過客止まる。
道の口に出ずるは淡として、其れ味わい無し。
之を視れども見ることを足ず。之を聴けども聞くことを足ず。
之を用いて既(つ)くすべからず。
この章は、言葉で言い表すと、淡泊なものとなって、世人の魅力を引かないものであるが、その用い方によって、道の果す役割は無限であることを説く。
大象は道のことを指しているのである。
天下に往くは、道をもって天下にのぞむ意。
音楽と御馳走とは、人を楽しませ、喜ばせることの多いものであるから、通りすがりの人も心をひきつけられて、足を止めることになるのである。これに比べると、道によって行われることは、見ても、華やかなところがなく、聞いても、快ものとは、一般の人には感じられない。
しかし、道を用いることは、たとえば、第二十七章に、
聖人は常に善く人を救う、故に棄人無し。常に善く物を救う。常に棄物無し
とあるように、道が用いられる、ということがあるために、多くの人が救われ、また、多くの物が棄てられずに用いられて、多くの人の役に立つようになるのである
これは、道が、すべての人を平等に愛し、また、総ての物を平等に尊重するという、則に基づいて、聖人は行動するからである。