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第七十四章 制惑(惑いを制すべきところ)
民、死を畏れずんば、奈何ぞ死を以て之を懼(おど)さん。
若し民をして常に死を畏れしめ、
而して奇りを為す者は吾執らえて之を殺すことを得ば、
敦(たれ)か敢えてせん。
常に司殺する者有り。
夫れ司殺する者に代わる、是を 大匠 に代わりて斲(けず)ると謂う。
夫れ大匠に代わりて斲るは、其の手を傷つけざること有ること希なり。
民が死を畏れないならば、死刑という重罰を以て嚇かしてもききめはないであろう。
民が死を畏れないようになるのは、重税を課せられたり、職業上に種々の煩わしい禁令を出されたり、絶えず強盗や騒擾が人民を悩ましていて、この世に生きる喜びも楽しみもないと思うからである。
第二十七章に、
聖人は常に善く人を救う。故に棄人なし。常に善く物を救う。故に棄者なし。不善人は善人の資なり。その資を愛せざれば、智なりと雖も大いに迷う。
とあり、人を棄てるということは、有道者にはないことである。
大匠 に代って木をきれば、無理なことをすることになって、必ず手を傷つけることになるように、天道に代って人を重罰するということは、必ず失敗し、自らも傷つくことになるのである。
大匠は、功匠と、自然の偉大にして匠みなるわざとの両方を指す。