初めて米沢を訪れたのは,もう10年以上前になります。
上杉氏関係の史跡を回り(上杉神社,稽照殿,上杉記念館,廟所等),ふと気づきました。関ヶ原の合戦の際,上杉軍は白河口を固めると同時に,当米沢城主だった直江山城守兼続は山形城を攻め,郊外の長谷堂城を攻城中に関ヶ原の敗報を聞き,あまりのことに落胆して自害まで考えた際に,それを止めた武将がいたのです。
勿論,一昨年の大河ドラマ「天地人」には一切出てこなかったのですが,前田利貞という名を耳にしたことはあるでしょうか。
否,前田慶次郎利益と言った方が通りが良いかもしれません。
ああ,あの傾(かぶ)き者か・・・。
と,ご存じの方も多いことでしょう。
前田慶次郎に関しては,手前味噌ながらこちらをご覧いただけるとありがたいのですが,とにかく戦国の世に生きた自由人として,武芸に秀でたばかりではなく文学や歌舞音曲等にも並々ならぬ知識と教養を持ち,当時の文化人たちとも交流があったとされる人物です。この慶次郎は確か米沢で余生を送って,米沢で没したのでは・・・と,思い立ちました。
当時はインターネットが普及する前で(私がダイヤルアップ接続をしたのは,その2年後になります),簡単に調べ物ができる時代ではなかったのですが,どうやら慶次郎は慶長17(1612)年に米沢で没した説と,慶長10(1605)年に大和で没した説があるようです。
今年は400回忌に当たるということで,彼が隠棲したとされる米沢市堂森善光寺では,去る6月に供養祭が営まれたようです。
・・・ということで,急遽堂森善光寺を訪れてきました。
市内東郊,上杉祭りの際に川中島合戦が行われる最上川畔から少し山手に入った静かな里が堂森でした。
勿論,初めて訪れましたが,実に良いお寺です。
山門に安置される仁王像は,どう見ても鎌倉期の様式ですし,人里離れた山麓にただずむのも◎です。
晩年の慶次郎が花鳥風月を愛しんで,この地を選んで悠々自適の生活をしたのも合点がゆくというものです・・・。
・・・という訳で,思わぬ収穫がありました。
前田慶次郎に関しては,私なんかより「歴女」のおねいさん方や「無双」に填った方々の方が詳しいでしょうが,最後に「蔵院飄戸斎(こくぞういんひょっとさい)」,「龍砕軒不便斎(りゅうさいけんふべんさい)」といった号は,この自由人が世を皮肉りつつも飄々と面白おかしく生きた様子が伝わってくるように思われてなりません。
左右の仁王像は鎌倉様式
一ヶ月早いと紫陽花が満開だったろう。米沢の紫陽花寺だ・・・。
慶次郎の供養碑。80年建立だから新しいが・・・。手前のキャラは,かねたんとかげっちの仲間のけーじろー(爆)
◎おまけ
せっかくなので米沢ラーメンを食してきました。
これで数回目ですが,やはり美味しいです。
特に今回入ったお店は盛りがよく,私のような大食いにはもってこいでした。
名物の冷やしラーメン。美味だ・・・。
盛り中華。絶妙・・・。
邪道と知りつつ味噌を・・・。美味だが冷やしにすべきだったか・・・。
ました。
米沢ラーメン中々美味しそうですね~
堂森善光寺。小ぶりのお寺ながら、仁王像の山門があったり、独特の屋根構えなど、なかなか
の格式を持ったお寺のようですね。
緑が多いのもGoodで、良い雰囲気です。
米沢ラーメン、美味しそうですね。山形ラーメンや喜多方ラーメンとはまた一味違うのでしょうね?
ありがとうございます。
米沢ラーメン,美味でしたよ。
機会を見て,ぜひどうぞ。
お勧めでございます。
ありがとうございます。
米沢ラーメン,美味でしたよ。
機会を見て,ぜひどうぞ。
お勧めでございます。
出羽国の善光寺筆頭だそうです。
かつては結構な格式の寺だったのでしょうね。
裏山の斜面が墓地で,それを借景にした静かな山里といった感じで,風流な武将の隠遁の地にふさわしいと思いました。
ラーメン,美味でしたよ。
山形(厳密には天童?)の鶏中華や喜多方の魚出汁とは違ったおいしさでしたね。
こちらもお勧めです。