当エントリを書き始めて,キーワード,というかキーパーソンは,すばり「乳母」であると言える。
昨日は,実朝の乳母が北条政子・義時姉弟の妹である北条保子(頼朝弟阿野全成室)であることに触れた。
従って,北条氏にとって実朝は,旗印にして看板でもあったのだ。
だから,古来言われてきた北条氏による実朝暗殺,及び公暁口封じは明らかに誤りであったとここでまず明言しておこう(相変わらず回りくどい文章ですみません・・)。
では一体誰が・・・,と結論を急ぎたいところだが,結論をより確かなものにする意味でも,北条氏を巡る鎌倉幕府武士団(=御家人)の力関係を述べてみたい。
ついつい頼朝と政子の関係から,北条氏は最初から幕府内で大きな勢力を持っていたように思われがちだが,平安時代末期の南関東(北条は伊豆国田方郡韮山だから,厳密に言うと関東ではないが,地勢的には関東と一緒)の武士団の勢力分布を見ると,上総の千葉一族(平氏流)と平姓上総介一族(源平争乱最中に粛清され滅亡),相模の三浦半島に割拠する三浦氏の一族(平氏流)がベスト3であり,伊豆では伊東一族(藤姓)が最も勢力が大きく,北条氏はただの地方豪族に過ぎなかった。
頼朝の死後,時政・義時父子の謀略で多くの豪族(御家人)が粛清され,北条氏の勢力は着々と蓄えられたが,それでも目の上のたんこぶが残った。
そう,鎌倉と目と鼻の先,一衣帯水とも言うべき三浦半島を長年支配してきた三浦一族がそれである。
三浦と源氏の繋がりは古く,そして深い。
奥州争乱:後三年の役(1081-83)には源義家に従った三浦一族の名が「陸奥話記」だかに残されているし,保元・平治の乱にも頼朝の父,義朝に従って三浦荒次郎義澄が奮戦した。
代々惣領は三浦介を名乗り,頼朝挙兵に際し当時89歳の高齢だった三浦大介義明(前述義澄父)は呼応して挙兵。
関東の平氏方(後,頼朝に降伏)に囲まれて,居城衣笠城で戦死する。
その功により息子の義澄,孫の和田小太郎義盛等一族は頼朝に重用される。
鎌倉のすぐ隣の三浦郡からすぐに兵を動かすことができる三浦は,まさに鎌倉の近衛師団とも言える。
頼朝死後,北条は時政の子義時,三浦は義澄の子義村の代となるがお互い尻尾を見せず,健保元(1213)年の和田合戦を除き,表面的な平穏が続いていた。
実朝-北条ラインを切り崩し,前将軍頼家の遺児公暁を将軍とする。
そのためには,公暁を唆して一気に実朝と義時を屠るのが最短にして最良の策となる。
実朝を討ち義時を討ち漏らした公暁は降りしきる雪の中,何と三浦義村の屋敷へ向かう。
そして開門を請うが,三浦義村は家臣の長尾新六(上杉謙信=長尾景虎の先祖か?)を差し向け公暁を討つ。
つまり,三浦義村こそ実朝暗殺の大黒幕である。
次期将軍職を餌に公暁を焚きつけ,実朝と義時を一気に葬り去ろうという勝負に出た訳である。
結果,周知の通り公暁は実朝を討ったが,義時を討ち漏らした。
そこで,三浦としては公暁を討って口を塞ぎ,
「将軍殺害の下手人を討ちました。」
と,しゃあしゃあと義時に名乗り出る。
義時としても,うすうすは三浦が背後で糸を引いているとは感じながら決定的な証拠もないので,
「うむ,ご苦労であった」
と言うしかなかったであろう。
まさに狐と狸の化かし合い,というか虚々実々の駆け引きを垣間見るようで,血生臭い事件ながら,千両役者の競演のようで実に興味深い・・・。
と言うことで,800年間信じられてきた北条氏実朝暗殺説は根底から崩れることとなった・・・。
勿論,私が唱えたのではなく(当たり前だ),実は昭和40年代初頭,作家の永井路子氏が小説上でこの説を発表し,歴史学会は騒然となったらしい(そりゃそうだろ)。
中世史研究の第一人者と言われた故安田元久氏(國學院大學教授,学習院大学にも客員として出ていたらしく,現皇太子の主任教授でもあった。数年前に変死・・)はいち早くこの説を支持し,中央公論社刊「日本の歴史」でもこの説を採用している。
おかげで,私は以来すっかり永井路子作品にはまってしまい,今に至っている。
最近,身辺整理を始めた,などと穏やかではないことを述べられていたが,まだまだ活躍していただきたい作家である(もう小説は書かないそうだが・・)。
永井路子氏の作品については,以前の大河ドラマ関連で若干登場させたが,鎌倉幕府草創期の作品を紹介して,この長々エントリをひとまず結びたいと思う。
「北条政子」,「炎環」(「悪禅師」,「黒雪賦」,「いもうと」,「覇樹」の四作より成る),「源頼朝の世界」,「相模のもののふたち」,「つわものの賦」
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