明日の3.11のことしか頭になく,迂闊であること極まりないが,今日は67年目の東京大空襲の日である。
8.6,8.9 ,8.15と共に忘れてはいけない日だ・・・。
民間施設を攻撃すること自体が明らかな戦時犯罪なのであるが,この作戦を立案指揮した米陸軍航空隊のカーチス・ルメイは,日本は家内工業であるが故に民家は軍需施設であるという,理屈にもならぬ理由を述べたという。
日本空襲に使用する焼夷弾の実験のために,日本家屋を内装・調度品に至るまで克明に複製して,焼いてみたそうである。
当日は,先ず風下を焼いて退路を断っておいてから風上を焼くという作戦に出たため,隅田川は焼死体で溢れたという・・・。
10万と一口に言うが,とんでもない数である。
こんだけのことをされておいて,空自創設に功があったということで,我が国はルメイに勲章やったというのだから,お人好しを通り越している。
まあなぁ,GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)によって日本人は,自分たちが悪いことをしたと洗脳されてしまったからなぁ・・・。
東京大空襲に比肩するドレスデン空襲だって無差別爆撃だし・・・。
1945(昭和20)年の東京大空襲,50年後の1995(平成7)年の地下鉄サリン事件,そして昨年の3.11と,3月は哀悼の月だ・・・。
あと仙台市民としては,4ヶ月後の7.10も決して忘れたり風化したりしてはならない日である。
何せ一晩に1,000人もの命が失われたのであるから・・・。
戦争に関しても国際法があるからには、順守されるべきだと思います。しかし
戦争は根本的に動物同士の食うか食われるかの次元の戦いと同一のものだと私は思っていす。
それでも戦わざるを得ないことはあるかも知れませんが、双方とも非人道的な扱いをしたりされたりするということを、戦争を始める時に
よくよく考えるべきですね。
勝てる見込みが無い、(あるいは無くなったのに)卑怯未練に国民を犠牲にして戦争を引き延ばした人間こそ責められるべきかと愚考しす。
勿論、民間人を非人間的な方法で殺傷することは断じて許せませんが…。
無差別爆撃は,端から米軍が仕組んでいたことであり,その証言も今では残された資料を見ることが出来ます。
勿論,有ってはならないことであり,二度と繰り返してはならないという教訓を,我々は受け止めなくてはならないと思います。
戦争の根源を突き詰めていくと,私には16世紀以降の帝国主義のなれの果て・・・と思われてなりません。
出る杭は打たれるということで,後から大陸に出てきた日本がたたかれたということで・・・。
ABCDラインとハルノートによって,否応なく戦争に引き出されていった感はありますが,為政者達がもっと何とかならなかったのか・・・とも思いますね・・・。