武田家の場面が余りなく,今回と来週は上杉家と勘助の絡みになるようです。
つまり,全くのオリジナルということになります。
しかし,武田家臣団に劣らず上杉軍団も渋いですね。
宇佐美定満を筆頭に,猛将柿崎景家もなかなかごつくて良い感じです。
だからこそ,がっくんが浮いちゃうんですけどね・・・。
あの喋り方,ファンにとってはたまらないでしょうが,何となくいやらしく聞こえてしまうのは私だけでしょうか・・・。
勘助の素性は百戦錬磨の宇佐美にはすっかりばれてーらでしたが,この2人のやりとりもなかなか見応えがありました。
その間に「砥石崩れ」という設定だったわけですね。
勘助抜きだから,村上に負けてしまった・・・と,したかった意図が見え見えでした。
翌年,真田が近隣の諸豪族に対して内応工作した結果砥石城が落ち,翌々年には本拠地の葛尾城も落城。
村上義清は越後の景虎を頼ることになります。
宇佐美氏の出自は,伊豆半島東海岸の宇佐美郷でしょう(因みに伊豆の東部にあるから伊東です)。
源平盛衰記や吾妻鏡に,頼朝挙兵時に宇佐美助茂という武将の名を見出すことができますが,これが多分定満の先祖でしょう。
石橋山の合戦にはどうやら父子で参加したようですが,その後の消息は分かりません。
ただ,伊豆の豪族が越後に行ったのは,おそらく鎌倉幕府の地頭職だったと思われます。
室町時代は守護の上杉氏に仕え,定満の父房忠の代に守護代の長尾為景(景虎父)と対立。
房忠は為景と戦って討死したのは作中にもあった通りです。
さて,勘助はすっかり幽閉されてしまいましたが,どうやって脱出するのでしょう。
上杉にも今川にも後北条にも顔が利くようになってしまい,今後また怪しげな動きをしそうな予感がします・・・。
東京へ行ってきましたが、新名所がたくさんできていて、勉強になりました。熱いので、地下か、ビルの中でしか観光できませんでしたが、中でも、にしおかすみこと握手をしてサインをもらったことは忘れられません。地球を存続させる試みをたくさんの学者がj研究していたので、たまに、プライベートで上京することも大切だと思いました。
本日お見かけしました。
必死でスコア追ってへばっていたのと気忙しかったせいかお会いできずじまいで,大変失礼しました。
東京はすっかりご無沙汰ですね。
個人的にはアキバの部品屋巡り,浅草の玩具屋巡り,各種博物館巡り,谷街歩き等をしたいと思っていますが,1人でないと無理です・・・。