koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

「風林火山48-いざ川中島」

2007年12月03日 20時54分24秒 | 風林火山

このエントリ,実に久々でございます。
前のエントリが9月3日でしたので,何と3ヶ月ぶりです。
その間に,史実だけを辿っても油川夫人問題,由布姫逝去,太原雪斎逝去,勘助・晴信・幸隆出家,甲駿相三国会盟,桶狭間の戦い,上杉勢小田原攻城戦,そして第1~3次川中島会戦(以上順不同),と,すっかり佳境に入り,いよいよ永禄4(1561)年の最大の激戦である第4次の戦いへと進みました。
確か全50回ということだったと思いますので,何とあと2回を残すのみとなったんですね。
正直言って来年放送の「篤姫」は全く見る気がしませんので,「風林火山」が終わってしまうのが残念でなりません。


さて,しばらくエントリしていない間に,勘助(もとい道鬼か)も信玄もすっかりスキンヘッドが板に付きましたね。
似非入道ぶりがなかなか様になっています。
唯一真田幸隆だけが似合わないように思うのは私だけでしょうか・・・。
がっくんの変な景虎(もとい上杉政虎)にもだいぶ馴らされた感じです。
そう言えば,関東管領拝命の折,鎌倉の鶴岡八幡社頭で下馬の礼をとらない成田長泰を史実通り打擲していましたが,鬼気迫らんばかりのサディストぶりでちょっと恐ろしくなりました。
本編でも触れられていた通り,後三年の役の際に先祖が源家の頭領である八幡太郎義家に対しても下馬の礼をとらなかった故事を倣ってのことでしょうが,それこそKYということでしょう。
尤も,成田氏は多分関東の諸豪族(小山,結城,下河辺,八田,宇都宮,佐野等)同様藤原北家魚名流(つまり藤原秀郷-江州三上山の百足退治で知られる俵藤太-流)でしょうから,特別の名家とは言えないと思うので(受領等で地方に下った藤原氏は数多い),その故事は眉唾では,と思ってしまいますが・・・。


そして,勘助をはじめ,飯富,馬場,山県,両角,真田といった麾下に加え,典厩信繁・太郎義信といったご一門衆の揃った川中島出兵前夜の武田勢に対し,上杉勢は宇佐美,柿崎,ぐらいしか見当たらず(鬼小島弥太郎が出ていない)ちょいとしょぼいですね。
実際,越後と上州の一部を押さえる上杉家と甲州と信州の八割(北信の高井郡と水内郡だけが上杉領では??)を領有する武田家の動員力は,当然武田が多いと思われます。
増して,上杉は前年の関東出兵の失敗もあって,政虎1人のカリスマで何とか成り立っていた,ということでしょうか・・・。


さて,行方不明となっていた鬼美濃こと原虎胤が生きておりました。
 割ヶ巌城攻防戦で負傷して第一線を退き,第4次川中島会戦には参加せず,3年後に亡くなることになるのですが,次回と最終回は出ない可能性が高いのでは・・・。
NHKから出ているストーリーブックの下巻を読んでいないので,最終回は分かりませんが,勘助は川中島で伝兵衛と相見え,彼に討ち取られるのでは・・・と予想します。
今週中に本屋に行って買わなくては・・・。


海津城については機会を見ていずれ・・・(いつになる・・・)。


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