年末忙しくなるのは聖徳太子とベートーヴェンといわれてきた。
尤も聖徳太子の方は福沢諭吉に代わり,私なんかは残念ながらあまり縁があるとは思われないのだが(泣),ベートーヴェンの方は別だ。
そもそも年末に第9を聞く習慣は日本のものであって,音楽の本場たるドイツやウィーンのものではない筈である(と思っていたら,ドイツでも年末に第9をやる習慣が無い訳でもないらしい)。
そんな大衆迎合的なことを私が敢えてする筈はないのだが,どうも第九となると話は別なようだ。
本来ベートーヴェンという作曲家自体が音楽史上極めて複雑な時代に生きた作曲家である。
中学校で習うような音楽史上の分類だと,
1.ルネッサンス期の音楽
2.バロック音楽-バッハ(1685-1750),ヘンデル(1685-1756)
3.古典派-ハイドン(1732-1809),モーツァルト(1756-91),ベートーヴェン(1770-1827)
4.前期ロマン派-シューベルト(1797-1828),ベルリオーズ(1803-69),メンデルスゾーン(1809-47),シューマン(1810-56),ショパン(1810-49)
5.後期ロマン派-ワーグナー(1813-83),ブルックナー(1822-96),ブラームス(1833-97),マーラー(1860-1911),R・シュトラウス(1864-1948)
6.国民楽派-サン=サーンス(1835-1921),チャイコフスキー(1840-93),ドヴォルザーク(1841-1904)
・・・といった分類となるが,ベートーヴェンの活躍した19世紀前半という時代は,既に次世代のロマン主義の作曲家たち(シューベルト,ウェーバー,ベルリオーズ,あとはウィーン・フィルの初代指揮者のニコライとか・・・)が活動を開始しているのである。
例えば,ベートーヴェンはシューベルトと生前かろうじて会い,この若者こそ次代の担い手である,と思ったというエピソードがあるし(尤もシューベルトはベートーヴェンが没した翌年に無くなってしまったが),近代管弦楽法を著したベルリオーズも既に活動を開始して華やかなオーケストレーションを駆使した楽曲を提供し始めていた。
つまり,19世紀前半はロマン主義の萌芽の時代,と言っても良いと思う。
これは何も音楽史に限ったことではなく,美術史や文学史でも多少の年代のずれはあっても同様のことが起きていたはずである。
では,古典派とロマン派の音楽の決定的な違いは何か。
ずばり言ってしまうと,モーツァルトとベートーヴェンの違いということだと思う。
つまり流麗・典雅と剛直・重厚の違いか,となりそうだが,それではいささか不十分である。
以下の文章でこの二人の偉大な作曲家の決定的違いと古典派・ロマン派の違いを述べてみたい。
以前,モーツァルトとベートーヴェンの髪型の違いで古典派とロマン派を論じたことがあったが,つまりモーツァルトの楽曲は師匠のハイドン同様ウィーンやプラハの王侯貴族からの委嘱で曲をかき,演奏を披露していた。
つまり,貴族の社交場に出入りする訳であるから鬘を被ってひらひらのついた服を着るのである。
それに対して,やはりハイドンを師匠と仰ぎモーツァルトの弟弟子たるベートーヴェンの方は,もうロマン主義の足音がすぐ傍まで近づいてきているために,より主観的・主情的な楽曲をかいたと言える。
蓬髪はベートーヴェンのトレードマークだが,王侯貴族の社交場に出入りするよりも在野を貫いたということだろう。
有名な「田園」の名で呼ばれる第6交響曲。
第1楽章には「田舎に着いた時の愉快な気分」,第2楽章は「小川のほとり」,第三楽章は「人々の祭」,第4楽章は「嵐」,そして異例とも言うべき第5楽章は「嵐のあとの感謝の気持ち」といった副題が付く。
これらは決して風景を描写した標題音楽ではなく,あくまでも古典派の絶対音楽であろうが,もうこうしたところにロマン派に通じる標題性や物語性を見出すことができる。
後にハンガリーの作曲家フランツ・リストが完成した「交響詩」という標題音楽を先取りしたような感もなきにしもあらずである。
また,古典的な構成感と均整のとれた美しさが顕著で,4つの楽章がかっちりとまとまった感のある交響曲に第5楽章を導入したのはおそらくベートーヴェンが最初であろう。
続くのがベルリオーズの「幻想交響曲」であろうから。
また,当時オペラやオラトリオにしか使われていなかったトロンボーンを第5交響曲に導入したり(モーツァルトは絶筆の「レクイエム」に使っている),通常典雅なメヌエットを置く交響曲の舞踊楽章(主に第3楽章)により一層テンポの速いスケルツォ(諧謔曲)を取り入れたり,と後にロマン派の作曲家たちの規範となることを先駆けて実戦しているのもベートーヴェンである。
そういう意味でも,ベートーヴェンを古典派の作曲家と位置づけるのは異存がないが,ロマン主義的書法でかかれた古典的構成感を持つ作曲家,と言うべきなのかもしれない。
尤も,同じ時期にウィーンでハイドンに学んだという共通項のせいか,モーツァルトとベートーヴェンの初期作品は似ている部分がかなりある。
もしかするとこんなことを言っているのは私だけかもしれないが,例えばモーツァルト中期の名作であるピアノ協奏曲ニ短調k.466(第20番)とベートーヴェンの第3ピアノ協奏曲はいずれも終曲のロンドの弾き出しが似ているし,あまり有名ではないのが私のお気に入りのピアノ協奏曲ハ長調k.503(第25番)の第3楽章とピアノソナタ第21番ハ長調(献呈された貴族の名をとって「ヴァルトシュタイン」と呼ばれる)の第1楽章にはそっくりなフレーズが出てくる。
初めて聴いたときは「成る程な」と納得したものである。
・・・でもってようやく第9である(前振り長すぎ・・・)。
これはもはや完全に古典の様式感を随所に残しながらも,完全に独自の世界観に達したもの,と呼ばざるを得ない。
音のカオスの中から悲劇的緊張と闘争心が湧出するような第1楽章,異例なことにスケルツォを置いた第2楽章(前半の白眉とも言える),後のマーラー(1860-1911)の緩抒楽章を思わせる長大な第3楽章,そして宇宙が鳴動する合唱付きの終曲。
4人の独唱と大合唱が荘厳且つ開放的に「歓びの歌」を歌い上げるが,交響曲への声楽の導入という点ばかりではなく,様式感を無視したようでいて絶妙な構成感を誇る点でも希有の成功作と言えると思う。
また,合唱の導入部の後,「歓びの歌」がテノール独唱によって高らかに歌われるalla marcia(行進曲風に)では,おそらくトルコの軍楽隊の影響であろう打楽器の使用が画期的である。
(尤も,先輩モーツァルトは歌劇「後宮からの逃走」で先んじて使っているが)
おそらく最後に大合唱で締めくくるというアイディアは,おそらくバッハの「マタイ受難
曲」やヘンデルの「メサイア」,ハイドンの「天地創造」といった宗教曲やオラトリオの影響ではないかと予想されるし,ベートーヴェン自身が第9の作曲直前に「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」をかき上げたことも影響していよう。
シラーの「歓喜に寄す」を何故ベートーヴェンが使用するに至ったかは,私が駄弁を弄するよりこちらをお読みいただけると有難いが,18世紀末から19世紀にかけての欧米各国の市民革命(アメリカ独立とフランス革命を端緒とし,ナポレオン政権誕生という反動も含めて)と共和制の誕生と関連していることが実に興味深い。
政治と芸術の結びつきは今は亡き某大国のように時にはよろしからぬことになる場合があるが,歴史を俯瞰していくとやはり少なからぬ影響があるということなのだろう。
・・・ということで,間もなくBS2でN響の第9も始まるし,今日は久々に第9でも聴いてみようか・・・。
ベートーヴェンを滅多に自分から聴くことはなくなったが(八重奏曲だけは例外),今からCD棚を漁ってみよう・・・。
第9といえば,何と言っても巨匠ウィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年にワーグナー演奏の聖地であるバイロイト祝祭劇場のオケを振ったライブ(こちらも)が有名だが,さすがに私の世代の演奏というわけにはいかない。
やはり1979年に当代随一の独唱者陣を起用し,アメリカの活力とウィーンの伝統の幸福な融合を見せたバーンスタイン指揮ウィーンフィルのライブか,珍しいところでは1963年に日生劇場のこけら落としで演奏されたベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団(昭和末期に突如発売されて以来廃盤のようだ。レンジは狭いが奇跡的にステレオ録音)あたりを聴いてみよう。
80年代以降四半世紀以上に渡って,これらを凌ぐ決定的名盤が無いことも気にはなるが・・・(ディジタル録音だと82年録音のこれも素晴らしい。又してもライブか・・・)。
因みに,今まで第9を演奏したことは三度ほどある。
一度は合唱,残り2回はオケであるが,ひとことで言えば「とんでもない代物」というところか・・・。
昨日の小林研一郎特番では演奏の不揃いを父が指摘していましたが、ぴったり時報の1秒前にTV生演奏で終わらせることができたのは軌跡だと言っていました。すごいですね。でも、演奏が一番ですけどね。
私は演奏した記憶は無いようなあるような。たぶん耐えられないと思いますが。
演芸大会で演奏したことはもちろんあります。
私が持っているライブ盤でも第二楽章の出だしのアインザッツが乱れたり,終曲のpで入るシンバルが待ちきれなくて音を出してしまったり(練習で私もやりました),とものがものだけに綱渡り的な曲でしょうね。
コバケン氏が振ったのは日フィルでしょうか。
N響はここ30年聴いてきましたが,デュトワが音楽監督を務めて以来,随分上手くなったと思います。
今のアシュケナージは個人的に???ですけど(アメリカ公演は良かった・・・)・・・。