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☆育てる
ハーブや作物を育てるのは楽しいですね^^
そんなに過保護に育てているわけではありませんが、眺めているだけでもレイキが浸透し、ぐんぐん育つようです。
昨年からプランターに植えられ、根詰まりをおこしそうになっている幾つかのハーブやお花たちを、地面に植え替えると、それはのびのびとした表情になり、今まで狭いところに押し込められていましたから、思いっきり空気や大地のエネルギーを吸って、生き返っているのが伺えます。。。^^;
植物も狭いところで育つものと、広くのびのびとした空間で育つものとは、放つオーラが違ってきます。
しっかりと大地のエネルギーも吸収できますし、そこを拠点とし、思う存分根を張り成長できます。
人間も植物も狭い枠に固定され、深呼吸すら間々ならない、栄養分も充分に吸収できにくい環境で生きるのは、苦しくもあり、根も詰まってしまうのでしょう。。。
心の大切に守るべきところが、根詰まりを起してしまったら大変です。
植物を見ていると、かなりの根詰まり状態であっても、そこそこは生きていられるのです。。。
掘り起こすと、根っこが絡まっているばかりで、土の分量がかなり減っています^^;
このような状態であっても、見た目はあまりわからないのですが、中を少しだけ覗いてみただけでも、根が複雑に絡み合い、すっきりしないのが感じられます。
表面は水をよく吸い込みますし、何の問題もなさそうに感じられるのですが、人の心と同じで、表面に出ている部分だけでは判断しにくいようです。
ですが、不充分な環境に植えられたものたちは、大きく成長できないのが特徴です。
毎年大きくなっていくはずのものが、成長が遅くなってしまいます。。。時にはどんどん衰弱し、やせ細り、枯れてしまう事も。。。
これは、枯れるまでのサインに気づいてあげられなかったという事です。
少し土が渇き気味だったり、活気がなかったり。。。
サインが全く感じられないことなどないのですが、表面上では、まだ大丈夫そうだ。。。と楽観してしまい、土の中がどうなっているのかを思いやり、理解してあげられなかったという事のようです。
このように、環境が破綻したとしても、少しの間は今までの名残りで生きていられるのです。
少しずつそのものを蝕みながらも、完全に枯れるまでは、他の正常なものたちと同等に扱われてしまうのでしょう。。。
心や身体を蝕んでいるものに気づくのは難しいのだと感じますが、少しの変化にも、もう少しだけ敏感になり、思いやりの心を向けていたならば、大事に至らなかったという事でしょう。
我慢強い日本人。。。人間も、何らかの兆候が現れても、今は弱音を吐く時ではない。。。と我慢し、気づいた時にはストックしてある栄養分も枯れ果て、養分の吸収も悪くなってしまうのでしょう。。。
環境を無視し続けた結果は。。。というと、根詰まりだらけで、精根尽き果てた、今にも枯れそうな一人ぼっちの自分が残されるだけのようです。
管理し続ける。。。ということがいかに難しいかを感じます。
泣き言ばかり言い続け、弱音ばかりの人生では成長はありえませんが、弱い自分に気づき認めることは大切です。
困っている自分、悩んでいる自分、誰かの助けを必要とする自分、病んでいる自分、傷みを感じる自分を、内にこもらせることなく、上手に表現出来たら楽になるのですが、中々そうもいかないようです。
ですが誰かに弱音を吐くのではなく、自分自身で認めることで解消の手がかりがつかめるようです。
もしかしたら、誰かが自分を追い詰めているのではなく、自分自身で追い詰め、虐めているだけかもしれません。。。
被害妄想の強い人などは、事ある毎に、周囲に敵意を向けますが、自分をコテンパンに虐める犯人はというと、自分自身が作り出す妄想に雁字搦めにされているだけで、窮屈な人生へと向かわせているのは、自分自身に他ならないという事は、そう簡単には気づかないのかもしれません。。。
この人間の根詰まり状態も、自分の力ではどうにもならない環境化にいてそうなってしまうものと、自分で自分を縛り付けるがために、苦しみへと追い込んでいる場合があるようです。
やはり人間には、植物とは違い、意思や行動力がありますから、自分の方向性はある程度決められるのです。。。
どんな環境にいたとしても、行動力や心の持ちようで、何とか生き延びられる所もありますが、最近?完全に植物化し、受身でしか生きられない人が多いのを感じます。
植物や家畜などであれば、従順で文句も言わず、与えられるものに満足しながら、その枠に中に楽しみを見出し、感謝の心を持ち生きているように感じますが、人間は?と言うと、無償で与えられているだけでも有難い事なのに、いつしか文句が出始め^^;、現状に満足しきることはないようです。
水をくれ!食べ物をくれ!心を満たしてくれ!と、他人や周囲の環境に対し、呆れるほど要求が時と共に高まりますが、自分は?と言うと、自分以外のものに愛を与えるなんてとんでもない様子。。。
人には与えたくはないが。。。または与え方を知らない。。。が、自分の利益の追求だけは、おぞましいほどの欲をあからさまに表現する。。。
清らかな?植物達のような心を取り戻して欲しいものです。。。
物質世界に雁字搦めにされていると、自分自身を育てることすら出来なくなってしまいます。
競争社会の中でいかに自分が得をし優位に立つか。。。目立つか。。。しか、考えられなくなっていきます。
この社会の中に価値観を見出せば、当然誰よりもお金持ちで、誰よりもきらびやかで、持ち物を見せびらかす事に執着してしまうのでしょう。。。
中身が空っぽな?見た目の良いものしか自分の周囲には置きたがらなくなっていきます。
見た目も良くて、中身も充実しているものであれば良いのですが、物質的なものを追求する心に映るアイテム達は、決して心を満たしてくれるものではなく、気を紛らわすだけのもののようです。
ですが、本当の自分の魂が欲するもの。。。を知らずに、気づかずに生きる人たちは、それこそが最高の幸福だと信じ疑わないのです。
この状態を永遠とキープし続けられれば幸福ですが、いつしか本心が求めるものとのギャップに苦しむ現実を迎えてしまうこともあるようです。
そうなった時に、何をどうしたら、心が満たされるのか?に苦しみます。
これほどまでの名誉や富、地位を獲得し、これ以上何を求めるのか?。。。
がむしゃらに戦士となって生きてきた人は、心を満たす事や、心を癒す事を忘れきってしまい、そこで自分自身の中での大改革が始まるのです。
今までの人生を覆すような、真逆の人生を生きることが、真の幸福だと悟った時。。。失った時間を恨みますが、これも本物の人生に向かうための過程だったということです。
そして、長い時間をかけて、自分を育む。。。ということの意味を知るのです。
それがいかに重要で、どんなものよりも?満足感や幸福感、達成感を感じられるものだということを知らされます。
人はいろんな事を経験しながら、たった一つの大切な事を学ぶようです。
そのたった一つの重要な学びを得るために、時間をじっくりとかけ、熟成させ、豊かに実る時を待つのです。。。
そしてここで初めて、自分を育てるキッカケをつかむのです。。。
ハーブや作物を育てるのは楽しいですね^^
そんなに過保護に育てているわけではありませんが、眺めているだけでもレイキが浸透し、ぐんぐん育つようです。
昨年からプランターに植えられ、根詰まりをおこしそうになっている幾つかのハーブやお花たちを、地面に植え替えると、それはのびのびとした表情になり、今まで狭いところに押し込められていましたから、思いっきり空気や大地のエネルギーを吸って、生き返っているのが伺えます。。。^^;
植物も狭いところで育つものと、広くのびのびとした空間で育つものとは、放つオーラが違ってきます。
しっかりと大地のエネルギーも吸収できますし、そこを拠点とし、思う存分根を張り成長できます。
人間も植物も狭い枠に固定され、深呼吸すら間々ならない、栄養分も充分に吸収できにくい環境で生きるのは、苦しくもあり、根も詰まってしまうのでしょう。。。
心の大切に守るべきところが、根詰まりを起してしまったら大変です。
植物を見ていると、かなりの根詰まり状態であっても、そこそこは生きていられるのです。。。
掘り起こすと、根っこが絡まっているばかりで、土の分量がかなり減っています^^;
このような状態であっても、見た目はあまりわからないのですが、中を少しだけ覗いてみただけでも、根が複雑に絡み合い、すっきりしないのが感じられます。
表面は水をよく吸い込みますし、何の問題もなさそうに感じられるのですが、人の心と同じで、表面に出ている部分だけでは判断しにくいようです。
ですが、不充分な環境に植えられたものたちは、大きく成長できないのが特徴です。
毎年大きくなっていくはずのものが、成長が遅くなってしまいます。。。時にはどんどん衰弱し、やせ細り、枯れてしまう事も。。。
これは、枯れるまでのサインに気づいてあげられなかったという事です。
少し土が渇き気味だったり、活気がなかったり。。。
サインが全く感じられないことなどないのですが、表面上では、まだ大丈夫そうだ。。。と楽観してしまい、土の中がどうなっているのかを思いやり、理解してあげられなかったという事のようです。
このように、環境が破綻したとしても、少しの間は今までの名残りで生きていられるのです。
少しずつそのものを蝕みながらも、完全に枯れるまでは、他の正常なものたちと同等に扱われてしまうのでしょう。。。
心や身体を蝕んでいるものに気づくのは難しいのだと感じますが、少しの変化にも、もう少しだけ敏感になり、思いやりの心を向けていたならば、大事に至らなかったという事でしょう。
我慢強い日本人。。。人間も、何らかの兆候が現れても、今は弱音を吐く時ではない。。。と我慢し、気づいた時にはストックしてある栄養分も枯れ果て、養分の吸収も悪くなってしまうのでしょう。。。
環境を無視し続けた結果は。。。というと、根詰まりだらけで、精根尽き果てた、今にも枯れそうな一人ぼっちの自分が残されるだけのようです。
管理し続ける。。。ということがいかに難しいかを感じます。
泣き言ばかり言い続け、弱音ばかりの人生では成長はありえませんが、弱い自分に気づき認めることは大切です。
困っている自分、悩んでいる自分、誰かの助けを必要とする自分、病んでいる自分、傷みを感じる自分を、内にこもらせることなく、上手に表現出来たら楽になるのですが、中々そうもいかないようです。
ですが誰かに弱音を吐くのではなく、自分自身で認めることで解消の手がかりがつかめるようです。
もしかしたら、誰かが自分を追い詰めているのではなく、自分自身で追い詰め、虐めているだけかもしれません。。。
被害妄想の強い人などは、事ある毎に、周囲に敵意を向けますが、自分をコテンパンに虐める犯人はというと、自分自身が作り出す妄想に雁字搦めにされているだけで、窮屈な人生へと向かわせているのは、自分自身に他ならないという事は、そう簡単には気づかないのかもしれません。。。
この人間の根詰まり状態も、自分の力ではどうにもならない環境化にいてそうなってしまうものと、自分で自分を縛り付けるがために、苦しみへと追い込んでいる場合があるようです。
やはり人間には、植物とは違い、意思や行動力がありますから、自分の方向性はある程度決められるのです。。。
どんな環境にいたとしても、行動力や心の持ちようで、何とか生き延びられる所もありますが、最近?完全に植物化し、受身でしか生きられない人が多いのを感じます。
植物や家畜などであれば、従順で文句も言わず、与えられるものに満足しながら、その枠に中に楽しみを見出し、感謝の心を持ち生きているように感じますが、人間は?と言うと、無償で与えられているだけでも有難い事なのに、いつしか文句が出始め^^;、現状に満足しきることはないようです。
水をくれ!食べ物をくれ!心を満たしてくれ!と、他人や周囲の環境に対し、呆れるほど要求が時と共に高まりますが、自分は?と言うと、自分以外のものに愛を与えるなんてとんでもない様子。。。
人には与えたくはないが。。。または与え方を知らない。。。が、自分の利益の追求だけは、おぞましいほどの欲をあからさまに表現する。。。
清らかな?植物達のような心を取り戻して欲しいものです。。。
物質世界に雁字搦めにされていると、自分自身を育てることすら出来なくなってしまいます。
競争社会の中でいかに自分が得をし優位に立つか。。。目立つか。。。しか、考えられなくなっていきます。
この社会の中に価値観を見出せば、当然誰よりもお金持ちで、誰よりもきらびやかで、持ち物を見せびらかす事に執着してしまうのでしょう。。。
中身が空っぽな?見た目の良いものしか自分の周囲には置きたがらなくなっていきます。
見た目も良くて、中身も充実しているものであれば良いのですが、物質的なものを追求する心に映るアイテム達は、決して心を満たしてくれるものではなく、気を紛らわすだけのもののようです。
ですが、本当の自分の魂が欲するもの。。。を知らずに、気づかずに生きる人たちは、それこそが最高の幸福だと信じ疑わないのです。
この状態を永遠とキープし続けられれば幸福ですが、いつしか本心が求めるものとのギャップに苦しむ現実を迎えてしまうこともあるようです。
そうなった時に、何をどうしたら、心が満たされるのか?に苦しみます。
これほどまでの名誉や富、地位を獲得し、これ以上何を求めるのか?。。。
がむしゃらに戦士となって生きてきた人は、心を満たす事や、心を癒す事を忘れきってしまい、そこで自分自身の中での大改革が始まるのです。
今までの人生を覆すような、真逆の人生を生きることが、真の幸福だと悟った時。。。失った時間を恨みますが、これも本物の人生に向かうための過程だったということです。
そして、長い時間をかけて、自分を育む。。。ということの意味を知るのです。
それがいかに重要で、どんなものよりも?満足感や幸福感、達成感を感じられるものだということを知らされます。
人はいろんな事を経験しながら、たった一つの大切な事を学ぶようです。
そのたった一つの重要な学びを得るために、時間をじっくりとかけ、熟成させ、豊かに実る時を待つのです。。。
そしてここで初めて、自分を育てるキッカケをつかむのです。。。