高原の女王~仁香~霊気  

☆現代霊気ヒーリング協会公認霊気マスター
☆スピリチュアルメッセージ
☆スピリチュアルヒーリング
☆エッセイ

☆見捨てられた村~

2015-08-17 | レイキメッセージ

☆見捨てられた村


【物質の乏しさよりも心の貧しさのほうが惨めである。。。】
近い過去に引いたおみくじに込められた~心に残るスピリチュアルメッセージでもあります^^


神の声。。。といってしまうと、何故かまがまがしい印象を受ける方も多いのでしょうが。。。

この言霊を理解?又は、正確な解釈を求められると、それぞれの人生観、生まれ育った現在までの蓄積~に聞いてくれ!などと、どこからか反論、野次などが飛び交ってしまうのかも知れませんが、純粋かつ正確な真理にたどり着くまでには個人的な広がりという無秩序な倫理観が生まれてしまうのかもしれませんが。。。

消去法というひとつの方法を駆使することで、自分とじっくりと向き合える場合も多々あるのを実感させられます。
そして、そんな時間こそ~失うべきではない~失ってはいけない~豊かな未来に向け~生き抜く為の必須アイテムなのだと感じさせられてしまいます。

人生を受容し、一つ一つ自分自身に降りかかる出来事に対し、笑い、楽しみ、怒り、泣き~五感を情緒豊かに~心のままに表現し、消化させることによって、自分自身のありのままの人生の答えを見出すことが出来ます。

自分はいったい何を求め~何に向かって進み続けているのか?社会自体が不安定であるがための連鎖なのか?
はたまた、熱いこの季節だからこそ血迷ってしまうのか?
あるテレビ番組で、一定の気象現象に左右されるであろう説。。。というものに共感できる部分があり、面白い!と思ってしまった瞬間でもありますが、一定の気温差を超えると、人は怒りを感じるパーセンテージが上昇する~
実際にそのような場面に出くわす事実は否定できない~と感じたひとコマではありますが、子育てに関するデーターとでも言うべきか?

特に、親の前で良い子ちゃんに徹する子供と言うのは、親の立場からの死角ともなる瞬間~ドサクサに紛れる状況を見逃さない嗅覚が発達し、それを鬱積度解消に活かす事が得意であると言う事実に遭遇^^;;;

本来は子供と言うものは無邪気で素直、純粋であることが望ましいのではあるが、気ぜわしい死角に溺れ~意識的~無意識であるにせよ、潜在的家庭の事情、大人の事情、刷り込まれ染み付いた年齢なりの代々受け継がれる伝承というものを背負うものである。。。ということを考えさせられる経験をさせられ、世が崩れつつある恐怖感に~その空間は染められたのでありました。
親の要求を先読みする、喜んでもらえるであろう自分に成りきる。。。

家族がもし?無関心を装い、子供のま違い。。。子供だから仕方ないを容認し続ける。。。という行動を悪用し、消耗品(くつ)の寿命を延ばす~すり替え行動を、繰り返したとしても、誰一人事実とは向き合わず傍観者になり続けたとしたら。。。心に隙間が生まれ、言い知れぬ孤独感を抱く場合もある。。。
そして、成長するにつれ、その空虚感は大きく膨れ上がり、もがき苦しむ。
他人と自己との境界線を見失う。
本物の人間関係が困難になっていく。

子供の成長を見守り~本物の幸福を願い実現させることは、家族の使命でもあり、最低の責任でもある。

公共施設や癒しの空間であったとしても、他人の持ち物に平然と手をつけたり、ドサクサに紛れ~自分の持ち物と他人の持ち物をすりかえる。。。

具体例を挙げると、心を癒す温泉施設などで、鍵あり、鍵なしの靴置き場で、自分の擦り切れた運動靴が窮屈になってしまったのか?どのような心理状態かは知らないが、サイズの大きい靴とすり替え、自分の靴がこの場所に収めたはずなのに他人の靴が置いてある~不思議!どうしてこのようなことが起こるのか?と、フロント?と呼ぶべきか?ひなびた温泉の管理者に向かい大声でクレームをつけている母親を発見。

他人事と思っていたら、我が家がそのストレスの対象にされてしまっているなどとは思わず、お風呂上りはやっぱりコーヒー牛乳だ!^^などと、くつろいでいたのも束の間^^;;;

暑い日の一定気温超えの怒りの波動が充満しやすくなる環境下で、同時に別の空間では~何の根拠があるのか知らないが、【言いがかり】【ゆすりたかり】の的(まと)にでっち上げられ~脚本がドンドン悪役キャストとして早送りされ、悪者子役を押し付けられ、くつろいでいるところに~風呂管理者が登場。
大根芝居を始める。。。

お宅の子供が他人のお宅の子供の靴を入れ間違えたのではないか?確認しろと言う横暴な態度。
金銭的な基準に重点を置くわけではないが、子供の成長とはめまぐるしく早い。
靴のサイズも変化する。

クレーマーの母親が必死で管理者に詰め寄り、こんな間違いが何故起こるのか?と我が家をターゲットに大騒ぎをされてもいい迷惑。
同じ靴だと訴えてはいるが、明らかに相手の子供の靴は擦り切れきった、お下がり。。。

同じ靴ですか?ただ単にサイズの大きい、新しいほうの靴と摩り替えたかったということでしょう!一時間前のことも覚えていませんか?
我が家が下駄箱に靴を収納すると同時に、気ぜわしく入ってきて鍵なしの下駄箱を探し、騒がしかった状況を思い起こせないものか?と言葉にすると、現実が把握できたのか?これ以上言いがかりをつけることで不利な状況に発展することを察したのか?逃げるように去っていきましたが、駐車場で待ち伏せし、後から付いてきました。

【住所の特定でもしようと思ったのか?お礼参りにでも訪問しようと企んでいるのか?】は定かではありませんが、私は神様ではありませんので、【お礼参り】は不要です^^;;;

言いがかり親子は、威嚇するかのように、自分の存在を示すかのように~タイミングよく我が家の車を追い越し、無言の圧力をかけ~住所を突き止めた後に、方向を変え去っていきました^^;
そんなに、靴のセキュリティーを求めるのであれば、鍵付きの靴箱は他にも空があったはず。。。
そして必ず確認してからその場を離れるものです。
危機管理能力の指数が高い人間ほど、チェックは厳重に行うはず。。。
私は、そのような可能性を感じた時点で、貴重品は、お風呂の中に持ち込み手放すことはありません。
ここまでして何かおかしなことがあるのであれば、どうしてこんなことが起こるのでしょう?と、意図的な言いがかりを押し通すことも出来るかもしれませんが、あまりにも幼稚すぎます。

ひとつ面白いことに、観光の方ですか?それとも別荘族ですか?と尋ねると、母親は、別荘族だと返答。別荘族はリーズナブルな運動靴くらい必要経費とし、子供に買い与えることくらい可能でしょうが。。。
これで、別荘族の富裕層家族は、はしたないお礼参りなど、することは無いでしょう~
このエリアは、こんなこと良くありますよ。
少し、お金がありそうな人と判断されることで、たかられる場合も多々ある。。。
気をつけられたほうが良いですよ!
と、差し出がましいようですが、注意を促させていただきました。

実際に、当時覚せい剤末期の若者が、当時私が勤務していた会社社員をターゲットに、この会社の社員であれば、お金を持っていると思った。。。と、幼稚な言い訳をし、現行犯逮捕されたことがあったのです。
車のガラスを割られるなど、何件もの個人情報収集は、大昔からあったようです。
このような黙認こそが、未来を担うものをより腐敗させるのです。
良い意味での郷土愛であれば団結力があり、理想的ではありますが、凝り固まった閉鎖は、もういい加減終戦を迎えるべきではないかと思う現実です。

傍から見て、青いと思われる隣の芝生に居住するものは、【ゆすりたかり】の対象にされやすい。。。という事実もあります。
それと、よそ者と呼ばれる、原住民ではない人たち。。。には手厳しいだけならともかく、執拗な嫌がらせをしても良いという?おかしな法律が今でも存在し続けるようです。

受付(老人の男女)にも、不特定多数の人間が、勝手に鍵を扱えるのか?そうでない限り、管理側か不審者の出入りが想定される?
管理者としての自覚を持って欲しいとも思い、質問すると一切返答せず、迷惑をかけたことも詫びず、見下し笑顔で女性は、体制崩さず。
観光客が来ない~魅力の無い地域はこうして形成されるのであろう。。。とあきれ返るひとコマでした。

言いがかり集団よりも,我が孫のほうが、冷静で、監視カメラ、防犯カメラが設置されているはずだから、確認すればすぐわかるよ!と穏やかに言っていました。
今の世の中、子供のほうが余程頭が良いのではないか?世の中を純粋に洞察していると感じさせられました。 孫に教えられた教訓の巻でした。^^;

長野県中部の地域格差がより強調されたようです。
意識革命が優先と言うことでしょう。。。
このようなでっち上げがまかり通る~置き去りにされた村。。。でした。

このような状況であれば、客が鍵をなくすなどのアクシデントもあることを想定し、管理者だけが使用することを許されている合鍵があるはず。
公共施設であればなおさら、行政管理という管理責任、対応力、サービス、機転、などという言動が求められる。
様々なものを背負い、癒しの空間を訪れる場なのだからこそ、気のきいたおもてなし向上意識が必要であろう。

ゆるみきった公共施設というぬるま湯だけは、今現在も一定温度を保ち続けているようです。

そして、その天下りで得た職場に君臨し続ける老職員も場を去らない~若い者には席を譲らない現状があるようでした。

その延長戦には、【誤魔化し】という、公務員だけに与えられる特許が存在するのでした^^;

暴力団もカルト宗教団体も行政も三位一体と言うことでしょうか?

曲げられないもの~妥協することによって自分を失う何か?そして、譲れないもの~前向きに人生に挑み続け、模索し続け、どのくらいの寿命と言うものが終着点であっても、どのような未来展開が待ち構えていようとも、自分自身に妥協し、自分自身を消失してしまうことこそが、自分を取り巻く家族~コミュニティー~国境を越える諸問題等を結果的には裏切ることに相当する。。。という真実にたどり着く。

国家のピンチこそチャンスに変える~発想の転換は出来ないものか?

柔軟な頭脳革命も同時進行を求められているようです。

どこにでもあるようでないお話でした。。。^^;;;


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