家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

金木犀09

2009年10月11日 | 我が家のスペシャルな事情
 
我が家の金木犀が花開いた。
2階のウッドデッキテラスにいると、そよ風に乗っていい香りが運ばれてくる。

我が家の金木犀は南側に植えてあるのだが、家屋の陰に隠れてリビングからは見えない位置にある。
私は平日は早朝に出かけ日がとっぷりと暮れたころに帰宅するため、花をつけたことに気づかずに落花してしまうことが何度もあった。
例えば2005年がそうだった(→LINK)。

今回はしばらくまえにスターアニスさんがブログで報告していたため、意識していた。また、先日のエントリにコメントしてくれたENEMIさんも金木犀報告をしていたので気づくことができた。
2007年はノアノアさんが気づかせてくれた(→LINK)。
ネット仲間に感謝である。

ざくろの実09

2009年10月03日 | 我が家のスペシャルな事情
我が家のざくろがひさしぶりに一つだけ実をつけた。
前回つけたのは2005年なので4年前になる(LINK)。

4年前は新築後の作庭のため移植したのがきっかけで、種の存続のために老体に鞭打って実をならせたと推測している。
今回実をつけたのは、根元付近からでている枝である。新しい幹とするために伸ばしている部分だ。
こちらに実をつけたということはそろそろ世代交代の時期がきているのかもしれない。

いずれにしろ、ざくろの実は縁起のいいものであるのでうれしいことである。
いつも実をつける木ではないだけに、ごりやくがあるような気がする。

我が家の地震被害状況

2009年08月11日 | 我が家のスペシャルな事情
気象庁によると、今回の地震による我が家の地域の震度は5強ということだが、震度6弱の地域はそう遠くはなく、たいした差は無かったのではないだろうか。
どっちにしろ自分が今まで生きてきた中で経験した地震の揺れの最大だったことは間違いない。

この地震による我が家の被害状況。
住宅そのものは特に損傷は見あたらない。
被害があったのは棚の上に置いていたものである。
・階段の飾り棚の置物のうち、ガラスの花瓶が落ちて一つ粉々になった。その他いくつかの置物が落下したり、倒れたりしたがそちらはほぼ損傷なし
あらわしの梁に乗せてあったバリ島みやげの猫の置物(木製)が落ち、足が割れた
・古屋の仏壇の中の位牌が一つ、置物が2つ倒れたが損傷はなし
・古屋の飾り棚の置物も2つほど倒れたが床には落ちず損傷なし
・妻の衣装ダンスの扉が開き、アクセサリーボックスが落ちる

以上である。

割れた花瓶は、最近でこそ花を生けていないが、もう50年ほど使ってきたものだ。骨董の域に足を踏み入れていたというようなしろもの。
母に聞いたら、父との結婚記念に知人からもらったものという。
同じ飾り棚に、私と妻の結婚記念にいとこからもらったベネチア製の花瓶があった。これはなんと棚から落下したうえに階段を6段分も転げ落ちて、一階の床に転がっていたが奇跡的に無事だった。
モノにも若さの差があるということだろうか。

問題なのは我が子達、大人が飛び起きて家のなかを点検して回っているというのにグーグー寝てる。
地震発生から10分後くらいたって息子に「おまえ気がつかなかったのか」と聞いたら、「気がつくには気がついたけど・・・」と言って、また寝る姿勢。娘もいったん目は開けつつ布団から出ず。
こちらは発生とほぼ同時に飛び起きて、子供達の無事を確認している最中に、くだんの花瓶が落ちる音を聞いたというくらい反応が速かったのに。
鈍感なのか、馬鹿なのか、大物なのか・・・
危険察知能力と状況判断力を鍛えなければならなさそう。

最大の被害といえば、通勤時間。
新幹線は始発から動かないだろうという予想は的中。職場の上司と部下に遅れると電話連絡し、いつもよりゆっくりめに家を出た。
駅に着いた時、いつも乗る列車が出発する時間をとっくに過ぎていたが、その列車すら入線しておらず。
ホームで待ったのは40分ほどだったが、定時より2時間以上遅れて出発し、徐行運転で、東京に着いたのはほぼ3時間遅れだった。
こういう時、キップならば払い戻しがあるのだが、定期券の場合はなし。ちょっと損した気になる。これは「被害」なのか?

ちなみに、新幹線ホームで待っている時、新幹線通勤7つ道具の「折りたたみイス」が活躍した。最近は鞄に入れてなかったが、こういうときこそ、と思って入れて、しっかり役立った。
時間があったので、携帯で初めてエントリをアップする、なんてこともやってみた。
転んだら転んだなりに時間を使おうとする貧乏性の本領発揮である。

雨が降りすぎなのでカメラを購入

2009年08月02日 | 我が家のスペシャルな事情

今夏は雨が降りすぎである。
時には雨を楽しもうという心構えはあるのだけれど、こうも雨ばかりだとなかなか難しい。

ということで、思い切ってデジカメを買いに行った。
「何、その展開」と思うだろうが、もともと購入予定だったのだ。
これまで使っていたデジカメは、以前に雨にさらしてしまってから調子が悪くなっていたのだ。
私はカメラ小僧というようなカメラ好きではなく、貧乏性ゆえに調子の悪いカメラを我慢して使うことにそれほどにはストレスを感じていなかった。「近いうちに買おう」と思ってから、かれこれ3か月ほど経っている。いたってのんきな構えなのである。
ここへきて、あまりの雨続きをきっかけにして腰をあげることにした。雨でデジカメにガタがきたから、雨の日に新調するというのも悪くないと思った。

で、買ったのはリコーの「CX1」
リコーでは、カメラ好きが持つ「GR Digital」が魅力的だが、私にはオーバースペックなので、素人でも使いやすそうなこれにした。

早速使ってみた。
メーカーはマクロ撮影に自負があるようなので、我が家の苔を接写。

 

相変わらず雨の中では元気が良い

これで、雨を楽しんでいることになるだろうか。
次の雨の日はデジカメケースでも作って遊ぼうか。


雨続きを嘆いているネット仲間のaiaiさんにトラックバック。

 


わざと時代に逆行する謹賀新年 

2009年01月01日 | 我が家のスペシャルな事情
 
 
あけましておめでとうございます。

本年元旦は恥ずかしながら自家製年賀状の一部の写真を載せることにした。

最近は年賀状を出さずにメールですます人が増えている。それはそれで時代の流れであると思っている。ところが古い日本人である私は、慣例行事をあっさりとやめることができない。
どうせ出すのならばと開き直って、デジタルなメールとは対極にある徹底してアナログな年賀状にしたい、と酔狂な境地に至っている。
そんな背景があるため、必ず自分でオリジナルの図案を考えてかつ手作り感を前面に押し出すことを自分に課し、宛名もすべて手書きにしている。

無粋な男友達連中の大方はこんな趣向をなかなか理解してくれないが、その奥様方が評価してくれたりすることがあって励みになったりする。
たいしたものではないが手間だけはかかっていることだけは自負したい。

本年は「丑」の字をかたどって新年のあいさつを配置した。「う」と「し」だけ反転しているのがちょっとしたミソのつもりである。

今回は以前から使っていたプリントゴッコを利用した。実は前年に「ケシゴムはんこ」に切り替えて、今後その路線でいってみようと思っていたのだが今年はプリントゴッコに戻したのだ。
というのも、プリントゴッコ本体の販売が終了(消耗品はしばらく継続)したというニュースに触れたからだ。プリントゴッコで作った年賀状は希少になる、と思った瞬間にプリントゴッコにすることを決めてしまった。希少なものは面白い、というのが私の価値観なのである。
これぞヘンなコダワリというべきか。


いつもお世話になっているやまぼうし連合総統のスターアニスさんも自筆の年賀状をアップしていたのでトラックバック。

鏡餅  我が家の幸運を呼ぶアイテム

2008年12月31日 | 我が家のスペシャルな事情
 
この前の日曜日に我が家恒例の餅つき(関連エントリ→LINK)を執り行った。
ついたのは7臼。そのうちの1臼をおそなえ用とした。
できあがった鏡餅は見たとおり豪華さも洒落っ気もない素朴で武骨なものではあるが、我が家では自前で用意するということ自体に意義があると思っている。
鏡餅とは神様と人間を仲介するものだという。自分達が魂を込めて作っているのだから神様への訴求力はそれだけ強いはず、という理屈である。

昔は自家製の鏡餅を用意する家は多かったが今はそういう家は数少ない。ということは需給原則からいって神様のご利益(ごりやく)が集中しやすいのでないか、というような貧乏性的計算もあったりする…。

クリスマスリース

2008年12月14日 | 我が家のスペシャルな事情
 

母お手製のリースをとりつけた。
我が家もやっとクリスマスモードになってきた。


市販品はけっこう高いので、こういうものを実益を兼ねた趣味(前回のエントリ参照)にすれば少しは足しになるかもしれない、などと考えた。
材料は山小屋方面と某所で調達できる(関連エントリ→LINK)し。


金融危機への備え――貧乏性を活用する

2008年12月11日 | 我が家のスペシャルな事情
現在のこれほどまでの金融危機を予測していた人は数少ないだろう。だからこそ社会的には事前に何の備えもなされなかった。
では、予測していた少数の人は「個人的に」どのような備えをしたのだろうか。それに興味がある。

それはおいおい探るとして…

私にはいろいろと備えのようなものがある。
それは貧乏性なるがゆえの「もしも」の状況を想定した備えであって、今回の金融危機を予測して対応したものではない。
しかし金融危機はまさに「もしも」のことが現実化するような状況であるので、貧乏性人間による対策が「たまたま」有効に働くかもしれないと思っている。

私がとっている「危機対策」のようなもの
(1) 大家族主義
深刻な不況(リストラ、大幅な収入源など)になったら家族が少人数だと生活防衛に心もとない。さらに恐慌などになったら、社会的に用意されている福祉インフラがちゃんと機能するかもあやしい。いざというときに助け合える人数で日常生活をしていれば深刻な事態は避けられる。我が家は6人なので別に大家族とは言えないが、人数を多くしておきたいという志向がある。なにより結婚前から「核家族」「DINKS」というスタイルはやめておこうという明確な意志を持っていた。そして同居というスタイルを選択するにあたっては家族の性格と夫の役割について熟考した。

(2) 共働き
これも不況に対する備えになる。夫婦が同時に失職するという確率は低い。ちなみにたまたまではあるが、私達夫婦はそれぞれまったく関連がない業種に就いている。なお、共働きと大家族主義はペアで考えている。現金収入をもたらすものが一人では、かえって大家族化は苦しくなるからだ。そして子育てのこともある。平日の送り迎えとか通院などといったことは両親に助けてもらった。社会常識なども両親の存在によって子供が自然に修得できてくる。

(3) セカンドハウス   
山小屋は資金が無いゆえのセルフビルドだけれど、棲家を作るスキルを修得するという大義名分もある(笑)。自宅以外の拠点を持つという目的もあったりする。自分の空想癖にはあきれるしかないが、戦争時の疎開先確保、という相当飛躍した想像もすることはした(笑)。まあそこまではいかなくとも、恐慌とかになって治安が悪くなったら、しばらく山小屋の方で生活するというオプションが選択できるとは思っている。山のほうなら農家が近いので、いざと言うときの最低限の食料も確保しやすい(クレソンの自給というのはたいして役には立ちそうもないが)。もちろんそんなオプションが主目的ではなく、レジャー利用もあるし、仕事を引退したときの隠棲先という使い道を考えている。

(4) 多様な道具
自分達で最低限のことができるよう道具類が揃っている。いろいろ作れるミシンはとても重要な道具。そのほか、我が家は山小屋をセルフビルドしたおかげで大工道具一式がある。金づち、ノコギリ、ノミなどはずっと前からあったが今は電動工具、チェーンソーまで揃っている。父は陶芸をやるために電気炉を購入した。私のレザークラフト道具もある。こうした道具類によって大抵の日用品は家族が自前で作れるわけだ。非常時に使える七輪もあるし、火鉢もある。おまけに言えば私はサバイバルグッズの類が大好きでいろいろ所有している。

(5) 自前のエネルギー源
七輪や火鉢で使う炭を、自前の炭焼き小屋によって自給できる。材料となる竹は山小屋の周囲にたくさんあり、自由に切ってよいという地主と渡りをつけてある。また、将来薪ストーブで使うことを想定して山小屋の周囲にはコナラを植樹している。

いろいろ書けば書くほど、自分の貧乏性ぶりが浮き彫りになってくる。
だいたいこれは危機対応であるかもしれないが金融危機対応ではないことがわかるだろう。金融資産の保全というような過程をすっ飛ばしている。しいて言えばその先の世界恐慌対応モードになっている。貧乏性に空想好きが重なってエスカレートしているのだ(笑)。

勘違いしないでほしいので言っておくと、貧乏性とは基本「無駄」につながっている。「もしも」の備えがもしものままに終わって無駄になるからこそ貧乏性というわけだ。もったいないと思って処分せずに持ち続けるのも貧乏性の特徴。だから無駄にモノを多く持っている。贅沢はしていなくとも、シンプルライフとも遠い。
防災用具を使用する機会が無いほうがいいように、世界恐慌への備えは無駄に終わったほうが世の中は平和だ。社会の一員としては無駄に終わることを願っている。



さて、筋金入りの貧乏性はそれで終わらない。ここからさらに踏み込む。

そもそも貧乏性は「もったいながり」なので、無駄な配慮をするくせに無駄が嫌いという矛盾を持つ。無駄になることを想定しつつ、無駄にしないことを考える。
それにはどうすればいいか。
無駄を趣味にすればいいのである。そもそも趣味というものは生活には必要性が乏しく、いわば無駄なものだったりするわけだし。
ログハウスをセルフビルドするのも、陶芸で食器をつくるのも、ミシンで服を縫うのも、レザークラフトでバッグを作るのも、炭焼きするのも全て趣味というくくりに入れることが可能なものだ。サバイバルグッズはいっそのことコレクション化する。
ようするに趣味と実用を兼ねるというヤツ。「実用を兼ねているんだ」と言えば、趣味をしていても家族に引け目に感じることを抑えられる。外向けには「暮らしを楽しむ」というカッコイイ言い方もできる。
私はそんなことを考えながら「確信犯」的にレザークラフトという趣味に入り込み、かつ置物系、装飾物はほとんど作らず、「持ち歩いて使うモノ」ばかり作っている。まさに貧乏性が染み付いていることを自覚せずにはいられないのである。

これで、暮らしの上で無駄ではない掃除とか洗濯まで趣味に出来れば最強なのだが、なかなかそうはならないのが貧乏性的にはちょっぴりくやしいのだった。





<おまけ>
いまとなって思えば、私の少年期に貧乏性気質に拍車をかけた本
「サバイバル」 さいとうたかを作