住宅業界の人が書籍やサイトなどで、新築される家のうち、「いい家」はほんの一握りしかないように書いてあるのを見かける。
世の中にほんの少ししか「いい家」が建てられていないと主張する人達による「いい家」という表現は少しばかり問題があると思う。希少な存在だとすると、もはや「いい家」という表現では読者にとって不親切だからだ。「すごい家」とか「すばらしい家」というような表現こそふさわしい。
世の中のいろいろなもので考えてみてほしい。
例えば「いい食材」はどうだろう。そんなに少ない「いいもの」であるならば、「いい食材」というのではなく「特選素材」(by 「どっちの料理ショー」)とでも表現するのが適している。
「いい服」「いい家具」「いいクルマ」「いい料理」「いいカバン」「いい旅館」・・・。
世の中に「いいもの」ってそんなに少ないものなのだろうか。
「特選素材」のような数少ない最高品質のものはたしかに「いいもの」の集合に入るが、最高とまではいかなくとも「いいもの」はあるだろう。
「いい家」を建てたいという熱意の強いビルダーや設計者は、家においての求道者であると思う。求道者ゆえに「いい」と判断するための要求水準が高いのだ。だからそういう人たちの「いい」は、一般人からみたら「すばらしい」に相当するとでも思ったほうがミスリードされない。
アンケートの選択肢をイメージすると分かりやすい。
7択
「とてもいい」 「いい」 「少しいい」 「普通」 「すこしよくない」 「よくない」 「とてもよくない」
5択
「とてもいい」 「いい」 「普通」 「よくない」 「とてもよくない」
3択
「いい」 「普通」 「よくない」
2択
「いい」 「よくない」
求道者の「いい」は、たぶん上記の3択か2択における「いい」で、しかも分布が偏っている。「いい」はほんのちょっぴりで、大半が「普通」(というか「たいしたことない」)か「よくない」という構図。
一方、第三者が家を評価するとしたら、5択くらいはほしいところで、「とてもいい」と「いい」の比率はそこそこあって、分布は求道者よりは平準化しているのではないか。そして、求道者の「いい」は第三者にとっては「とてもいい」に相当すると思う。
求道者が自分の要求水準に達しない家を「ダメな家」と思うこと自体はいい。そう思うからこそ「いいもの」(実はすばらしいもの)を作るのだろうから。
問題は「いい家」の良さ以上に、「いい家」以外の悪さばかり訴える求道者の言説だ。
家の何の要素をもって「いい」とするかも人によって違ううえに、さらに「良さ加減」の捉え方にギャップがあるのだから、「いい」などというアバウトな言葉を用いると読者をミスリードする。
希少な「いい家」を語りつつ、それ以外の「家」のダメさ加減を主張する求道者は、いわば「特選素材」以外は「よくない食材」と言っているのに等しいのである。「すばらしい」もの以外は「ダメなもの」という区分けはまさに求道者なのかも知れないが、(数多い)「ダメなもの」の批判に力を入れて余計な反目を生んでいるのはいただけない。
そういう私も自分の家については求道者的に取り組んだ。自分にとっての「いい家」をめざして。
したがって出来上がった家はベストであると思っている(その証明は年月を積み重ねなければならないが)。しかし、他人から見たらベストではないかもしれない。自分にとってベターな家という結果もありえただろうとも思う。その認識のうえで、他人に向かって自分の尺度によるベストな家のみを「いい家」と主張するつもりはない。
第三者的立場で家を考えれば、「いい家」自体はそこそこ存在すると思っている。
(数少ない)とても優れた家に遭遇したら、「いい家」とは表現せずに「すごくいい家」と表現したい。
「いい」「悪い」「普通」のような何とでも使える言葉に触れたとき、筆者がどういう意味でその言葉を使っているか、読者はよく考えなければならない。