家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

子供のお気に入り

2005年01月31日 | 我が家のスペシャルな仕様
職人さんに、お茶出しに行くとき、子供もついてくることがある。
その機会に子供に現場を見せる。

子供部屋はまだがらんとしており、それほど興味を示さないが、現在気に入っているのは、階段の2階手摺に開いた穴である。ここにくると、必ず穴から覗き込む。

「これ、かくれんぼうにいいね。お父さん」

さすが、子供の視点である。

にわかに、手垢べたべた、なんてのを恐れ始めた。

「これは『オシャレ』で開けてあるんだよ」

色気をかもし出すにはまだ時間がかかる娘に通じたかどうか・・・。

1/29、30の記録

2005年01月30日 | 建築現場記録
大工さんに加え、板金工事屋さんが作業中だった。
新しく引きなおした工程表をみると、各種工事が入り組んで、手順の差配がデリケートになってきている。しっかりやってもらいたい。

・ 1階洗面・脱衣所、トイレの壁が設置された
・ 1階デッキテラス(縁側)上のガラス屋根設置準備のため、古屋の庇を一部切断
・ 1階ミシン室の床完了
・ 1階の玄関、ミシン室、駐輪場の天井完了
・ 2階デッキテラスの防水工事完了
・ 古屋の屋根の葺き替え開始

その他、キッチンの床タイルについて、家族と意見擦り合わせ。



ワークショップ 2

2005年01月27日 | 我が家のスペシャルな仕様
身のほど知らずにも大上段に振りかぶったような話がそんなに嫌いではない私は、つい調子に乗って、住宅業界の問題や課題のような話を展開しがち(注:ただし、あくまで施主の視点にはこだわっている)なので、少し反省してミクロな我が家の紹介をば。

以前のエントリ「ワークショップ」にコメントをつけてくれた方がいたのをいい機会に、前の週末に確認した現在のワークショップについて。
前回はバーチャルといっていい存在だったが今回はリアルになった。

 造作家具が配備されたことで、だんだん空間としての役割が見えてきている。
 一番、目立つのは長いデスク。
 4mを超えており、ここで家族は勉強したり、趣味にいそしんだりする。
実際にはないだろうが、この長さだと6人家族全員が座って作業することもできないことはない。

 その両脇に棚を据え付けた。下には大判の紙(レザークラフトの型紙用)や、革素材を収納できるようにしてあり、私の趣味に配慮してある。

 写真では左側の空間があいているが、そこは子供達の部屋になる。ワークショップとの間仕切りは、これから据え付けられる造作の本棚と引き戸がその役割を果たし、その上は欄間となる。
 つまり、できあがった時、ワークショップは廊下の役割を担う。

ワークショップのつきあたりから向こうは夫婦の部屋で、さらにその向こうに書斎が続く。引き戸なので、すべて明けておけば奥行きが豊かな空間に見える。

上部は越屋根。子供部屋にある地窓から欄間を通って越屋根の窓から風が抜ける。越屋根は夫婦の部屋の上部まで伸びている。

ワークショップの窓から透けて見えているのが古屋の屋根である。



施主予備軍のBLOG活用――依頼先探しにどうか

2005年01月25日 | 家について思ったことなど
 施主のBLOGはかなり増えてきた。建築記録とその後の暮らしぶりを紹介しているのが多い。
 だが、よく考えたら施主予備軍のころからBLOGを始めると、いろいろと展開が広がるのではないかと思い始めた。

ばくぜんと家を建てようと考え始めたころは、何から手をつけていいのかわからない。
そうしたところから、いろいろと情報を集め、各種制限と相談しながら自分の考える家の姿をまとめていく。それをBLOGに記録する。
望む家の姿や、時期、予算がだんだんと見えてきて、期が熟したら、ビルダーや設計事務所に対し、これから家を建てる施主候補がBLOGを立ち上げており、具体的に依頼先を探していることを宣伝する。そうした施主が集まる場がネット上に用意されるといい。

ビルダーや設計事務所にしてみたら、そうした人達は有望な顧客候補であり、BLOGをしっかり読んでアプローチすればいい。
そのころまでには、家に対するピュアな要望・希望や、施主の嗜好や人柄がBLOGにたっぷり書き込まれているだろうから、ちゃんと読めばポイントを押さえたアプローチができるはず。どうにも自分と合いそうにない人とは接触しなければいい。

一方、施主予備軍側は、あてずっぽうに足で回って依頼先を探す無駄を減らせる。
BLOGを斜め読みして調子のいいことばかり言ってくるビルダーないし設計事務所は除外できる(さらにSPAMのごときアプローチをしてくる輩は施主同士の連絡で評判を落とす)ので、ツボを押さえたアプローチをしてきたビルダーや設計事務所とコンタクトすればいい。

着工・竣工予定時期が差し迫っていない施主予備軍に限られてしまうだろうが、BLOGをパートナー探しのツールとしてうまく機能させることができるような気がするのだが、どうだろう。
多くのそうした施主予備軍が集まる場があり、そこをできるだけ多くのビルダーや設計事務所が覗きにくれば、いいマッチングが生まれる可能性は高まると思う。

実は、(失礼ながら)施主予備軍暦の長いrattleheadさんのBLOG「家の記録の妄想」を見ていてそんなことを考えた。

 rattleheadさんのところはまだ家の姿が具体的ではないが、人となり、思考経路は伺えて、そろそろ設計事務所の方から接触してきてもおかしくないような気がするのだが・・・。
いや、もしかしてもう・・・。

住宅本の読み方

2005年01月24日 | 家について思ったことなど
住宅関連書籍(住宅本)を読むときこそ、読者はリテラシーのようなものを意識すべきだ。
リテラシーとは、所属する世界によっていろいろな使い方があるが、私としてはおおまかに、「情報の優劣、正確さを判定または推定し、取捨選択しながら正しくまたは有効に情報を使いこなすこと」であるというような認識でいる。
なぜ、そのようなものが必要かといえば、いたずらに施主を右往左往させるパブリシティ(宣伝)本やら、住みやすさとはこういうものと決め付けたような本が多すぎるからだ。健康関連本の世界と似たような状況といえばわかりやすいだろう。

本格的に住宅本を読み始めたのは、自分が家を建てると決めてからと言ってもいいが、それでも手当たり次第といってもいい感じに(税金を有効活用して)数十冊は読んだ。

 読んでいくうちに、不必要に施主を混乱させると感じたのは、特定の工法や建材を推薦する本だ。
 いろいろ出ているが、だいたい構成は以下のようなもの。

① 施主が陥りやすい家づくりの<誤解>を紹介
② <勘違い>した・させられた施主がひどい目にあった実例
③ なぜそんな状況になったかの解説
④ 失敗しないための<すぐれた>やり方を紹介
※上記<>は、あくまで本の著者がそう主張しているという意を持つ。

このような構成からして、注文をつけたい。前段で他社・他者のやり方に対する懸念や、ひどいときには恐怖をあおる。ここで施主を不安がらせて引き込む。そんな、推理小説みたいな導入部にしなくたっていい。施主、施主候補は、こういう構成の本は引いて読むべきだ。
 こすっからいと思うのは、他社・他者のやり方に対する傍証が非常に偏っていること。他社・他者の失敗例を持ち出すのはいいが、まるで「このやり方だと必ずこうなる」みたいな論調で書いてある。
 車を買ったら必ず事故を起こす、というのに近い表現をして恥ずかしくはないだろうか。「必ず」でなくとも「危険性が高い」みたいな言い方をする。

施主が知りたいのはそんなあやふやなことではない。問題が発生しているとして、それがどのくらいの頻度で起きているのか、ということだ。
 程度に差はあるだろうが筆者達のやり方での失敗例だってあるはず(皆無とはいわせない)。他者の「数少ない」失敗例をあたかも頻繁に発生しているような紹介が卑怯な行為であることになぜ気がつかないのか。頻繁に発生しているのが事実だという自信があるなら、100件中で10件、などと具体的なデータを出して欲しいものだ。
 そして施主としては、「同じ工法で、失敗したときとしないときにどのような違いがあったのか」ということこそ知りたいのに、自分達の工法の成功例と、自分達以外の工法での失敗例しか載せていない。

ここまで述べてきたようなことは、住宅業界にいる人間にしてみれば、「いまさら、そんな分かりきったことを何をぐだぐだと言っているのだ」というような話だろう。しかし、その「わかりきったこと」を多くの施主予備軍は知らない。
住宅本の問題点はまだまだある。反面、ベタな本はベタなりに役に立つ部分もある。「施主のための住宅本の読み方」って本をだしたら、そこそこのニーズがあるように思う。何人かの施主がグループになって、家の建て方ではなく、住宅本の読み方に関して議論すれば、中立的スタンスで役に立つ本ができあがるのではないだろうか。


1/23の記録

2005年01月23日 | 建築現場記録
 日曜日だが、作業あり。
2階のデッキテラスから、涼み台に上る螺旋階段の取り付け。
私が現場に行ったときはもう終わっていたが、クレーンで吊り上げて設置したもよう。
ウチは直線が多いため、螺旋階段のアールはいいアクセントになる。

工務店の専務(社長の息子さん)が来ていたので、いろいろ話をする。
螺旋階段の塗装はわざわざ他県に持っていってやったという。
塗装といっても塗るのではなく、大きな桶に階段ごと漬け込んで被膜した。そのような大きな塗装施設を持つ塗装屋は地元にはあるにはあるのだが、仕上がりが全然違うのだと鉄骨屋さんがこだわったという。
 こういうプロのこだわりを聞くと何かうれしくなる。

家の内部では、ワークショップの造作家具が取り付け終わっていた。


前日夜、町内会の新年会に出席した。自然と我が家の話題が出てきた。
みなさん好意的に見てくれていて、こちらとしては助かる。
ただ、「5月くらいまでかかるんじゃないの?」と真顔で言われたのには困惑した。1月下旬には竣工を予定していた家が5月までひっぱられたらたまらない。経験豊かな60、70のおじいさん達にそんなふうにいわれると少し心配になる。からかわれたと思っておくことにする。

うれしい言葉はたくさんあった。「骨組みがしっかりしていて頑丈そうだ」「ていねいに作っている」など。
特に良かったのは大工さんに対する評価。
「『熱い』仕事をしているよ」と、遠くにいる私より現場を見ている北側の家のご主人は言ってくれた。
「できあがるのが楽しみだ」なんてご近所の方から言われると、いろいろな人に感謝しなければならないと思う。


「家ほめ」

2005年01月22日 | 家について思ったことなど
 古典落語に「牛ほめ」という噺がある。この噺、「家ほめ」ともいう。

 与太郎が、家を新築した叔父さんから小遣いをもらおうと、家をほめに会いに行く。事前に、家のほめ言葉を親父さんから教えてもらうのだが、与太郎のことだから全然覚えられなくて・・・というような話。(ちなみに最後の「落ち」が牛をほめて終わるため、「牛ほめ」というお題)

この噺の中に、昔の家の「ほめ言葉」がいくつか出てくる。

「家は総体ひのき造り、天井は薩摩の鶉木理(うずらもく)、左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁(ごぶべり)でございます」

「総体ひのき造り」は柱から板からすべて檜を使っているということ。
「うずらもく」は木目が美しい板で、うずらの羽の模様に似ているからこの名前がついている。
「砂摺り」は川砂を混ぜたしっくいで塗ってあるということ。
「備後の五分縁」は、高級畳の代表的なもの。

さて、現代における家の「ほめ言葉」ってなんだろう?

建材をほめるというのは昔も今もかわらない。
木材は、昔よりグレードダウンした水準でも自慢ができるようになっているかもしれない。「すべて国産材を使用」とか「床は無垢材」というくらいでほめることができそう。
壁などは、塗り壁というだけでもいいかも。ここのところは珪藻土とか使っているとほめやすい。壁紙でも、輸入物や和紙はほめる対象になりそう。
畳はあんまりほめる対象として意識されていないのではないか。縁(へり)つきの畳が高級だった昔と違って、縁なしの琉球畳の方が高くなっていたりして・・・。

昔はほめる対象にはなりにくかった住宅設備もほめる対象になっていそうだ。
グレードの高いシステムキッチンやバス、洗面、水栓金具などならほめられるだろう。
木製サッシなども対象になるか。

単純にみれば、昔も今も価格の高いものがほめる対象ということだろう。
ただ昔のように、ほめ言葉は定番化していない感じ。価値観多様化の表れなのか。

そのほか、最近は昔にはない「ほめ言葉」が出現しているように思う。
「○○ハウスの最高級グレードの△△」
「高気密・高断熱・24時間計画換気の□□工法」
「建築家が設計」
これらはあらたな切り口のほめ方と言えそうだ。
ただ、この3つ、それぞれの陣営がライバル同士という感があって、ちょっと面白い。

参考:

うずらもく→LINK

備後の五分縁→LINK

和室の選択

2005年01月21日 | 我が家のスペシャルな仕様
和室ばかりだった昔の家から様変わりして、現代の家づくりにおいては、和室を作るかどうかということ自体が検討事項となっている。
自分達もどうするか考えた。
 
 古屋を残すので、和室は最低1間は確保できている。それ以外に作るかどうかということになる。
古屋は客間なので、普段の生活の場としての和室(畳の部屋)の必要性がテーマになった。

 ありがちなのは、老人の居室を和室にするという発想だが、我が家の場合、それは最初から考えなかった。
 今後のことを考えると、むしろ両親達はベッドのほうがいい。寝起きが楽だからだ。
両親も最初からその考えだったため、両親の寝室はすんなりとフローリングに決まった。

そのほか、畳を敷く場所の候補としては、居間と私達夫婦の寝室があった。
居間はダイニングでもあり、キッチンともつながっていることを考えると、全面を畳にするという選択はできない。一部なら可能、といろいろ考えたものの、ピアノを置いたりすることと、広さの限界からあきらめた。

残る夫婦寝室をどうするかで、決め手になったのは、仕事スペースだった。
私の妻は、家に持ち帰る仕事が多い職業に就いている。そのため夫婦の部屋の横に小さな書斎を作ることにした。妻は床の上に資料を広げて仕事をするので床座りを望んだ。
書斎を和室にするのなら、寝室も和室でいいということになったのだ。

 消去法的な過程を経て和室をつくることになったものの、今から考えると夫婦の部屋を和室にしてよかったと思う。地窓からの涼しい風を受けるには床に座っていた方がいい。畳なら布団を敷かなくてもごろっとなれるから、いい風が吹いているときはそのまま昼寝ができる。

 和室をなくすというのがトレンドになりつつあるなかでは、逆に将来は和室があるほうが価値のあることになるのではないか、などとも考えた。
 私が学生のころは、フローリングの部屋ということだけでうらやましがられた。ところが今やフローリングはあたりまえすぎて、そのことによる付加価値はない。
今後、畳の部屋がうらやましがられる時代もくると踏んでいる。

ニセモノ自慢の憂鬱

2005年01月19日 | 家について思ったことなど
 家を新築することになってから、業者からダイレクトメール(DM)がよく来るようになった。家具、照明設備、カーテン、外構工事・・・。
私は住宅展示場などで氏名を書いた覚えはない。建築確認申請を出して以降、届くようになった気がする(当局に出した建築確認申請のデータは個人情報保護法上、どのような扱いになっているのだろうか)。
 まあ、いまのところそれほど迷惑ということもなく、ヒマがあればDMを読んだりもする。
そんな中で・・・。

つい先日届いた外構業者のDMに、物置の商品チラシが入っていた。そこにこんなコピーがあった。

 本物を超える質感
 レンガ部や木部は、ディズニーランドなどで使われている本物そっくりの強化プラスチック製です。とても強い素材で、お手入れ不要のノーメンテナンスです。

 
谷中M類栖」のm-louisさんには私のポジティヴリーディングの手腕を評価(?)していただいているが、今回はたったこれだけの文章について、かなり辛い読みをさせてもらう。

いきなり、製品の根幹をなすレンガと木がニセモノ(フェイク)であることを告知というか、むしろアピールしていることに複雑な思い。
「本物を超える質感」という見出しだけでいろんなことを考えさせる。

まず、ウソだということ。触ればニセモノであることはすぐわかる。「質感」ではなく、せいぜい「見た目」であろう。
百歩譲って、その見た目が質感(のようなもの)をもたらしているとしたら、新品の本物より、経年変化したように見せる演出のせいだ。
しかしその演出は、偽レンガや偽木に付けられた細かなニセ傷やニセの色褪せによってなされている。

何もかもニセモノという事実にげんなりする。傷だの、色褪せだのは、そのモノが家族とともに過ごすことによって纏う、歴史ともいえるもの。そこに、どこかの誰かの家にあったレンガや扉からコピーされたものが置かれる。結果、家の歴史や風貌にまでニセモノ感を漂わせることになるのだ。

ディズニーランドの建造物のように、フィクションの世界、かつ、たまに目にするものであるならば、そんなニセモノの利用もさほど問題ではない(私は好きではないが)。しかし、毎日暮らす自分の家に導入しようというのだ。いつまで経っても、自分が刻んだわけでもない傷(のコピー)がついた、時が止まったような物置。
そして、通常なら、もし住人がうっかり傷をつけても、「味」につながることがあるが、ニセモノの場合、本物のレンガや木ではありえない変な傷になり、醜さにしかならない。それでいいのだろうか。

モノの経年変化をゆっくり楽しませることもなく、刹那的にニセの経年変化つきのモノを提供する。それでは生活・暮らしが虚ろになるとは思わないのだろうか。私が考える家の「完成」とは程遠い発想でまったく賛同できない。

 3年も経つと、その場所の日光の当たり方からして不自然な色褪せであることがわかってくる。何回も訪問する人にはやがて、傷や色褪せも認知されてくる。たまにしか家にこない、関係が希薄な人々にはニセモノであることはばれにくいが、むしろばれてほしくない親しい人々には早晩ばれる。そしてニセモノだとわかると、何も言わずともハリボテをみるような視線に変化していくことだろう。

結局ニセモノを使いつづけるということは、いずれ、持ち主がそのジャンルのモノに対して薄っぺらな認識しかないことをさらけ出すことになるのだ。
高級な本物をコピーしたニセモノより、安い本物の方がましだと思う。私は家に限らずニセモノをやむなく使うときは目立たないように使うことにしている(あるいはニセモノ宣言をしてから使う)。しかし、この商品は「おしゃれ」であることを強調し、目立つ位置に置けと言わんばかりの推奨文付き。
チラシの裏面に載せられた「消費者の喜びの声」を、むなしい気分で読むことになった。

 ノーメンテナンスの問題点についても言いたいことはあるが、長くなったので別の機会に。

<オマケ>
 業者にいいたいこと。
DMを受け取るにあたって、個人データの不正入手懸念のある業者からは何も購入しないと決めている消費者もいることを忘れないように。そして無差別DM配布によって、こんな時代遅れのカタブツ施主のネタにされるリスクもあることを・・・。

要望しなかった要望

2005年01月18日 | 我が家のスペシャルな事情
 設計にあたっては、要望を軽重つけて書き出して建築家に渡した。
しかし、最初から実現をあきらめていて出さなかった要望というのもある。
それらを出さなかったのは、土地の広さ、切実度、資金力など、理由はそれぞれだ。
その妄想レベルの要望をちょっと書き出してみる。

ジャグジー付の露天風呂ないし展望風呂
空中庭園
地下室
ビリヤード台置き場
ミニシアター
コレクションルーム
天文台
隠し部屋
プール

あんまりたいしたことはない。MJのように遊園地を自宅内に、などという大それた発想は出てこない。
今の建築費の3、4倍も払えば出来そうである。(ホントか?)

プライスレスな家のスペック

2005年01月17日 | 家について思ったことなど
「プライスレス」なる流行り言葉をもたらしたCMを見ていて、ふと思いつき、家のスペックにおいて以下のような分類をしてみた(当然のことながら、主観かつ大雑把)。

・プライスを付けられるもの、付けられそうなもの
広さ、建材、空調機器、水周りの住宅設備機器、照明機器、防音性能、換気性能、断熱性能、気密性能、耐震・免震性能、防蟻

・プライスを付けられないもの、付けにくいもの
外観、内観、眺望、採光、通風性能、掃除のしやすさ、照明のレイアウト、住人に適した動線、素材の経年変化、収納物の出し入れのしやすさ、理由不明の居心地の良さ

 ほかにも、分類すべき住宅の構成要素があるかもしれないがご容赦のほど。

建築素人である私の勝手な分類にすぎないが、並べてみると、何かいろいろなものが見えてくる気がする。
<その1>
 プライスを付けられるスペックはハード面からのコストアプローチがしやすいからであって、付けられないものの多くはソフト的な付加価値である。
例えば照明器具にはプライスがあるが、それらをどのように配置するかという技術に定価的なプライスはつけにくい。どんなにいい器具を使おうとも配置次第で台無しになることだってありうるので、配置の仕方には間違いなく価値がある。
<その2>
 住宅の良さを論じるのにプライスが付けられるものばかり題材にしてもしょうがない。特に、施主を絡めた最近の家づくりの議論を聞いていると、この方面の話が多く、何か欠けている感が否めない。プライスレスな価値を放っておいて、いい家ができるとは思えない。
<その3>
 プライスがつけられる要素のグレードを高めることは、ローコスト化を難しくする。何も工夫しないままコストを落としたら「安かろう悪かろう」になりそう。いいローコスト住宅とは、もしかしたらプライスレスな価値の拡大を目指すことによって価格以上の満足感を得たものではないのか。
<その4>
 建築家のテクニックはプライスレスな価値部分に、より大きく機能する(注)。プライスレスなものに無理にプライスをつけるとすれば、設計への対価の一部分になるのかも。
<その5>
施主の知恵・能力・経験を加えることによって機能が向上する可能性のある要素はプライスレスなものの方に多い。

 分類をにらめっこしていれば、まだ何か浮かんできそうだが、とりあえずここまで。

 (注)必ずしもすべてプラス方向とは限らない。例えば、掃除のしやすさ。家の中に大きな足場を組まなきゃ掃除できないような住宅を平気な顔してつくる建築家はそこそこいるもよう。

1/15、16の現場

2005年01月17日 | 建築現場記録
 写真は庭の南東方向から見た風景。越屋根の垂木が並んだ図が気に入っている。今回の進捗とは関係ない。

 2階ではワークショップの机や、書斎の本棚など造作家具の取り付けが始まっていた。がらんどうの空間が、徐々に生活のための空間へと変貌していく感じ。
 14日に設計事務所と工務店で打ち合わせがあり、詳細仕様について確定したようで、これから追い込みが期待される。

 これまでの進捗具合から、計画どおりの日程での竣工は無理であることは目に見えていた。近々、工程を正式に再調整する場が設けられる。
遅れは、昨年秋の悪天候のせいもあるが、設計と施工で建てながら調整していく事項が多い家づくりであるせいでもある。人間系の部分による遅れはなんとかなる場合もあれば、どうにもならない場合もある。
工期の短縮には役に立たないので、現在ぐだぐだとその原因究明をするつもりはない。手を抜いて遅れているということはなく、むしろ、手を入れようとして遅れている感もあり、遅れはマイナス面ばかりではない。
とはいってもこの状況を歓迎するということはありえず、なんとかなる部分で少しでも遅れを取り戻してもらいたい。


工務店の完成見学会

2005年01月15日 | 我が家のスペシャルな事情
 施工を依頼している工務店が完成見学会をやるというので見に行った。

 その家は工務店の設計・施工で、設計事務所を絡ませた我が家とはスペックが違っている。したがって、どのような家なのか興味はあったものの、家そのものを参考にしたいというより、完成見学会のやり方を見ておきたいという気持ちが強かった。
我が家も竣工時に見学会をやることになるだろうからだ。

竣工なった施主と施主予備軍、見られる人と見る人では見学会に臨む姿勢は相当違うだろう。そういう意味でそろそろ竣工が意識されてきた施主としての私は微妙な立場にいておもしろい。

 施主の立場からみたオープンハウス・完成見学会での懸念といえば、得体のしれない人間による間取りのチェックや、見学者に汚れ・キズをつけられたりしないかということ。
 その大きな2つの懸念については予防策はしっかりしていた。
氏名、住所を書かない方は入場お断り、ときっぱり。小さいお子さんをお連れの方はしっかり手を握っておいてくださいと注意喚起(実際にはそういう人は来ていなかったが・・・)、見学者には白い手袋を渡していた。雨天で来客数が限られていたせいかもしれないが、マンツーマンでうまくさばいていた。

「住宅メーカー、工務店、設計事務所等、同業者の見学はお断り」とあったのは盗まれては困るノウハウがあるということだったのだろうか。
写真撮影も禁止だったが、施主候補者は撮りたい人もいそうに思うがどうだろう。

ローテクを見直したい

2005年01月14日 | 家について思ったことなど
 実はこの週、永年勤続で得た休暇をとった。初日はタンスの搬入につかったが、その後、山小屋に籠もった。
何も考えずに、ただ空の雲を眺めるという時間がほしかった。肉体労働をしたかった。何回も風呂に入りたかった。酒を飲みながら映画を見たかった。燃える火を眺めたかった。本を読みたかった。
たったの2泊3日ではあったが、とりあえず、大方の目的は果たすことができた。

やっていて特に充実感が得られたのは肉体労働だ。
薪ストーブ用の薪割りのほか、山林で枝打ちをした。背筋や上腕二頭筋が突然、重い役割を与えられて喜ぶ。当初は喜びだったが、2日目はハードさに悲鳴を上げる。悲鳴をあげつつ喜んでいる。
筋肉達が筋肉界での話をしている一方、頭の方はいろいろなことを考える。

薪割りをしながら考えたことのひとつが、ローテクな道具・器具の良さである。
ハイテクが未踏の分野への挑戦であるのに対し、ローテクは変える必要のあまりない分野に所属する。
 薪ストーブはローテク器具だが、道具として実によくできている。
下に空気の取り入れ口があり、煙突効果で実に簡単に薪に火をつけることができる。
火を燃やせば鋳物の本体が熱せられ、輻射熱で空気を汚さずにクリーンに部屋を暖める。本体だけでなく煙突部分もたっぷり熱を出す。
また、使用する過程がハード面でもソフト面でも、循環や副産物をもたらす。
火が燃えるのを見ていると落ち着くというかなごむ。
準備段階の薪割りはいい運動であり、ストレス解消にも効果抜群だ。丸太がきれいに割れるとスカッとする。
山にいるからこそでもあるが、薪は端材を有効活用できている。

ハイテク製品はスイッチひとつで望む環境をもたらしてくれるが、その環境に至る過程がない分、副産物もないし、循環もない。

陳腐化ということについても考えた。
ハイテクの世界は常に陳腐化リスクにさらされる。パソコンなどは最新のものを買っても、1年後には時代遅れ扱いされていたりする。
一方、ローテクな技術は陳腐化リスクが小さい。薪ストーブなど、原型となったものからほとんど変化していないのではないだろうか。これから100年くらいたっても陳腐化しないような気もする。

現代の家にハイテク製品は不可欠だが、ハイテクによってもたらされた機能を自慢できる期間は短いのではないだろうか。

 住宅には薪ストーブは導入しないが、家の中のローテクな道具や要素をもっと見直してみたいと思った。

「夏涼しい」とは

2005年01月12日 | 我が家のスペシャルな仕様
 住宅の供給サイドから、「夏涼しく、冬暖かい家」などという住み心地を表したキャッチコピーをよく聞く。
 このうち、「夏涼しい」ということに関して最初はとまどわされた。
涼しいとはどういうことなのか?
① 冷房が効いている(効きやすい)から
② 冷房をつけなくても外の熱気を遮断しているから
③ 風が通るから

むろん、正解などというものはない。涼しさに対する考え方はそれぞれで異なるということだ。ただ、その考え方次第で家のつくりは違ってくるはず。

私の場合は夏の暑さを完璧に遮断するような過ごし方をしようとは思っていない。暑いからこそ夏なのだ、という考え方である。四季は感じていたい。
 そうはいっても暑さに無防備に身をさらすわけはなく、イメージで言えば「木陰の涼しさ」の中に身をおきたい。だから、家屋自体が熱を帯びないような遮熱・断熱の工夫があったうえで、風が通るのがいい。
 それでも去年のような、どうしようもない猛暑の日が続く場合があるので、ダメなときには冷房機器を使うという2段構えで考えている。

 巷でよく聞く「夏涼しい家」の多くは、家の断熱の優秀さを強調しているものの、風通しについては語られていない。それがわかってからキャッチコピーにそれほど魅力を感じなくなった。

暑くなれば真っ先に冷房を入れる、という生活パターンの家ならば風通しなど考えなくてもいいが、我が家は違う。このため、しっかり風が通るように窓配置や間取りを考えて設計してもらってある。
越屋根や、地窓欄間、引き戸などはその工夫の一つといっていい。