2月21日の金融政策決定会合で日銀が追加利上げを決定した。
これから家を建てる人や、短期固定や変動金利の住宅ローンを抱えている人は悩むことが増えてくる。
いつ借りればいいのか、いつ借り換えをすべきか、いつ繰り上げ返済をしようか…
これから家を建てる人にとっては、本当に切実な問題だろう。
具体的に進んでいる人はもう後戻りもできないので割り切って突き進むしかないが、これから計画を着手する人は簡単に割り切ることもできない。今後の金利動向をどう読んだらいいのか、難しいからだ。今がいいのか、先がいいのか、という悩み。しかも選択して、それが良かったか悪かったかの判断ができるのは何年もかかる。つまりすっきりしない。
福井日銀総裁の発言
「『極めて低い金利水準を維持しながら』という言葉を使っている間は正常化の余地が残っている。 ・・・(中略)・・・ 『極めて低い金利水準』という言葉を使わなくなるまでは正常化のプロセスだと思っていただいていい」
この言葉から読み取られること。
・ 現在は極めて低い金利水準である
・ 極めて低いということは正常化していないということである
・ 正常化のプロセスということは利上げの機会をうかがう期間が続くということ
以前も言ったが、長い目でみれば、金利が極めて低い現在はお金を借りるのに相対的に不利な時期ではないのはわかるだろう。だから、具体的に家づくりが進行中の人はそんなに悪い環境ではないと思う。じゃあ、これから計画する人はどうかというと、ここ1年くらいの間にローンを組むところまで持っていけるのであれば(長い目で見て)不利ではないのではないか。日本経済はそんなに急ピッチで利上げできるような状況にないから。
ただ、私は構想には時間をかけるべきと思っており、あわただしく家づくりをすることをすすめたくない。資金面でさほど損をしなくとも、出来上がったものに満足できなければ元も子もないからだ。
2、3年先はなんともいえないが、例えばバブル経済崩壊初期のころの金利に比べたらまだましかもしれない。最近封切りした「バブルへGO!!」という映画では主人公が1990年3月の世界にタイムトリップするそうだが、そのころの公定歩合は5.25%である。
どのくらいの長さの時間軸で捉えるかによって、ポジティブシンキングはできなくもないが、それこそそんなに簡単に割り切れるものでもない。
住宅ローン金利の変遷グラフ↓をにらめっこしてもそんなに簡単に答えは出せそうにない。
http://realestate.yahoo.co.jp/docs/myhomeguide/01_66_01l.html
これもかつて言ったことだが、実は消費税率引き上げの方がもっと恐い。
こっちは近い将来の引き上げは色濃い。この場合、
駆け込み需要のリスクも気になる。
建材価格の上昇も気がかりだし、それを考えると今のうち、とも思う。
かといってやっぱりあわただしいのはすすめられない。非常に難しい。
奇想天外な方法をひとつ思いついた。
いつ建てるか決まっていなくて住宅ローンの頭金程度の資金が手元にあるのなら、ひとまず住宅に使えるくらいの成木がある山林を買ってしまうこと。(関連エントリ
*)
山林はいまとても安いし、固定資産税もほとんどかからない。
今後もし材木価格が上がっても、山林を買った時点から材木の値上がりを気にする必要はなくなるし、材木価格が上がるようなら山林の資産価値も上がる。自家消費なので材木分については消費税率引き上げも気にならない。建て終わったら山林は売ってしまえばいい。
当然、条件もリスクもある。
・建設地へと運搬可能な場所で山林を手に入れる必要がある。あまりに遠いと運搬費が問題になってくる。
・樹種はヒノキがいいかもしれない。いろいろな箇所に使えるからだ。ただし、建材が総じて値上がりしてもヒノキに比べればやっぱり外国材のほうが安い、なんていうことは当然考えられる。
・材木を施主支給となると、とてもハウスメーカーは受けてくれない。工務店でも受けられるところを探すのに労力がかかりそう。
・木材価格は上がらないかもしれない。中国やインドなどの大人口国の経済成長によって建材の需要が高まっていくという推測はあるものの、金利が上昇して円高になって外国材が今後も安く手に入る状況も否定できない。
・山林は買い手がなかなかいない。売れなければ成木を使い切ったあとの山林の使い道を考えなければならない。
…こう書いてくると有利になるための条件は厳しいし、リスクのほうが多そうだ。
もし可能ならば、土地は買わず立ち木だけを買っておく、という手がいい。それならばメリットはさほど変わらず、リスクは抑えられる。これは意外によさそうだ。
「相場観」というものを持つことは重要だ。金利動向だけでなく、土地やそのほかのモノについても。
家を持つにあたってそういう視点を持つ人が少ない気がしている。
大学生から東京で暮らしていた私は、バブル期に東京で住居を持つのはあきらめた(やがて新幹線通勤を始めた)。私の相場観ではあまりにばかばかしい住宅価格になっていたからだ。
ゼロ金利政策のときに家を建てた。相場観としてこんな金融政策はいずれ解消されるのは間違いないので金を借りるのはいまのうち、と考えたからだ。デフレで建材も人件費も安いとも考えた。
いまのところ、自分の相場観は当たっている。バブル崩壊で住宅価格は下がったし、やはりゼロ金利は解除された。デフレも脱却しようとしている。この局面で私はお金を手に入れたわけではないが、余計な出費をしなかったことで得はしていると思う。
もちろん、相場観というのは考えていれば当たるというものではない。
人に投資を勧めるプロである証券マンがバブル期に高級マンションを買っていた。彼らの相場観が外れたのは周囲が短期売買を繰り返していたせいだと想像する。「家」という長いスパンで考えるべきものを短期的な相場観で考えたら失敗する確率は高い。
バブル期からゼロ金利解除までの期間を考えたら私は相当に長い期間にわたって家のことをそれとなく考えていたことになる。
ちなみに私の相場観では現在の山林価格は依然として安い。上がる時期に確証はないが自分が生きている間には上がるような気がしている。相当に気が長い投資になる。「投資は自己責任で」ということは一応言っておくが、そんな投資をする人はまずいないから大丈夫だろう。
自分は別に頭がいいわけではない。それなのにこのように相場観があたったのは、祖先のおかげ(もしくは導き)のような気がしている。実際祖先の住んでいた土地で現在暮らしている。気が長い性格は祖先のDNAによってもたらされたという見方もできるし。
祖先に感謝し、伝統行事(
* **)を大事にする、
古屋も残している、それで守られているように思う。だから、古いもの、古い考えを最近の価値観を元に捨て去ることを躊躇する。非科学的に見えるかもしれないが私はそういう暮らしを続けていくことになるだろう。