昨日、障子の張替えが終わった。
一つ前のエントリで述べたように、張替えの腕は後になるほど上がるので、一番目立つ場所は最後に回した。
少し気が早いが、これで来年の正月も気分よく迎えられるだろう。
障子紙が少々余ったので何に使おうか考え中。
清少納言 枕草紙より
「何も何も小さきものはみなうつくし」
小さいものは皆かわいらしい。
肯く相手が清少納言とするとおそれおおいのだが、まったく同意するしかない。
私も小さいものは大好きで、見かけるとつい購入してしまうからだ。
ただ、私の琴線に触れるものには特徴があると思っている。
それは道具であることが多く、装飾品やマスコットは非常に少ない。
実際に使えるのだけれども規格外に小さいもの、というのに惹かれる。
実用にこだわるのは多分に自分の貧乏性気質によるものと思われるが、ただ小さいという以外の条件とか制約を設けることで、収集物に個性を反映した一本の筋が入るように思っている。
自分が作るものも小ささを追求することがよくある。
例えば
世界一小さいスケジュール手帳カバーであり、キーホルダーにつけるコインホルダーであり、98対応式マネークリップであり、チビRHODIAカバーであり、がまプチである。
いずれも実際に使用できるものであり、ミニチュアでもなく、オブジェの類でもない。
先日、ブログ開設当初にネット上で知り合ったchiezokunさんのプレゼント企画に当選した。
とてもおしゃれな巾着に入れられたかわいらしい小物類で、妻へのプレゼントとさせてもらった。そこで感謝の意を込めて極小の財布をハンドメイドしてプレゼント返しさせていただいた。↓
chezokunさんとはまだリアルで対面したことはないのだが、何せ5年も交流があったので趣味嗜好の一端をよく知っている。
chiezokunさんは何を隠そう、私と同じ「ちっちゃいもの好き」なのだ。しかもハンドメイドの達人でもあり、住宅は我が家と同様、「ミシン室」を備えていたりする。僭越ながら心の友のような気さえしている。
相手のことを知っていると、製作時間はより楽しくなる。「こういうものなら喜んでもらえるのじゃないか」と考えながらモノ作りができるのは作り手にとってとても幸せなことなのだ。
この感覚も清少納言のいう「うつくし」に通ずるように思う。
↑ごらんのように1000円札と500円玉が入る。ちゃんと「使える」のだ。
頻繁に使うのではなく、いざという時に活躍するはずのものと認識してほしい。
すでにchiezokunさんのところに嫁いでいって私の手元にはない。
chiezokunさんのブログ「* Mon petit chateau *」で紹介していただいたのでトラックバックする。