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忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「七草粥の食しかた」

2008年02月24日 | 過去記事
■2008/01/07 (月) ガチコメ的「七草粥の食しかた」1

今日は「七草粥」の日だ。

春の七草といえば、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・・

「もやしっ!!もやしっ!!」

いや、妻よ。「もやし」は君の好きな野菜だ。で、ほとけのざ・すずな・・

「とうふっ!!とうふっ!!」

いや、妻よ。それはもう「草」ですらない。あとひとつは・・・すずしろだ。

我が家から車で5分。京都伏見の御香宮神社である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080107-00000009-kyt-l26
<名水「七草がゆ」 春の香り 伏見・御香宮神社>

「700食」もあるそうだから、きっと我ら家族の分もある。ありがたいお粥をいただきに行こう・・・・・・と考えていたのだが、なんと、寝坊した。というか、忘れていた。

仕方がないので、昨晩に妻が作った「特製カレー」を無病息災を祈りながら食べる。「せり」も「なずな」も無いが、その代り「にんじん」や「じゃがいも」があるではないか。要は気持ちの問題だ。そもそもだな、七草粥というのは、正月に御馳走ばかり食べて、酒もたらふく飲んでだな、疲れ切った胃腸のために軽くいただくというのが・・・・

ぢゃあ、ダメぢゃないかぁ!

おせちと酒、焼肉にすき焼きに!!どこ行っても「食ってけ・飲んでけ」の騒ぎの中、最後のとどめに「カレー」とはいかがなもんか?私の胃腸は正月休みもないのか?ああ??

ま、まあいい・・・明日には「もやし」でも投入してだな、「七草」ならぬ「八草」にでもして、無病息災を願っていただくとしよう・・・・あ、ダメだ。明日は新年会で「ふぐ」だ。「ふぐ」と「粥」を比べるわけにもいかん。ということは、さらに翌日、そこに「にんじん」でも足してだな、「九草粥」として・・・もう、今年も雑炊のような年に確定だな。

「2」へ

■2008/01/07 (月) ガチコメ的「七草粥の食しかた」2

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そういえば「からあげ」を喰った。ちなみに、妻のつくる「からあげ」は最強だ。世界の食通が、「金はいくらでも払う!!」と欲しがるのだが、銭金の問題ではないから食わさない。私がニワトリであっても、思わず「あんなに美味しくなるなら・・・」と覚悟を決めてしまうほどである。もう、「食べたい!」ではなく「なりたいっ!」というところまでイっているのだ。嗚呼・・・そう!そこから食べて欲しい!という今日この頃、それは、ちょっと、食べ過ぎではないですか?ミスターむぎせんせい!!

改めまして、こんぱんわん。生ライトです。

さて、「からあげ」といえば、全世界の「からあげファイター」を敵に回すような事件があったようである。
http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY200801070205.html
<自転車道脇の空揚げ食べた犬が死亡 青の粉末付着 甲府>

おいおい・・・うちの「むーちゃん」が食べたらどうすんだ?(りーちゃんは拾い食いしない)しかも、私の好きな食べ物ベスト3位に入る「からあげ」を使うとは、貴様、全世界に散らばる犬好きの(広義の解釈で)在日を相手にする気か?

しかもだ。今日は「マリと子犬の物語」を観て、さっきまで泣いていたから余計に腹が立つ。でも、登場人物が一切死なない(ネタばれ)のに、蛭子さんだけが死んでしまうというストーリーにわろたwwなんでだ?監督さんww

<6日午後8時半ごろ、甲府市の30代の女性から「空揚げを食べた犬が死亡した」と、山梨県警南甲府署に通報があった。犬は、同日午後3時ごろ、同市国母4丁目のサイクリングロード脇にあった空揚げをなめたとみられる。空揚げには、青色の粉末が付着していたという。同署は、器物損壊と動物愛護法違反事件として調べている。>

「犬は~~」のくだりでちょっとわろたww

この「青色の粉末」とは、なんや「殺虫剤」の一種らしい。もちろん、詳しくは知らん。

「3」へ

■2008/01/07 (月) ガチコメ的「七草粥の食しかた」3

それにしても、やった奴はしょうもない奴だ。やるなら、せめて蹴り殺せ。なんとネクラ(死語)な奴だ。しょうもない。ンなもん、犬がかわいそうなだけだ。阿呆ぢゃないのか。

この手の事件はたまに聞くが、犯人はおそらく「悪戯レベル」で認識しているのだろう。だが、鳥やウサギを殺したり、猫を惨殺する動画をネットに晒す変態もいたが、いずれその対象が「物言わぬ」動物から、力の弱い幼児や女性に移行する可能性はふんだんにある。

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「なにかやらかす」まで動けないのが警察であり司法である。しかし、今更にそれを嘆く前に、もしくは諦め顔でシニカルに語る前に、考えておきたいことがある。

例えば――――

無くならない悪質な虐め、中退者や不登校が激増している学校。少年はドラッグに耽溺し、少女は援助交際という名の売春で金を稼ぐ。学級崩壊は信じられない速度で増え続け、校内暴力は戦後最高らしい。これを「詰め込み教育、偏差値差別による弊害だ!子供たちの心の叫び声だ!」とする薄ら能天気な連中は横において・・・だ。

原因は色々とあるのだろうが、私が思うのはやはり、この日記でも何度も書いた「家庭の崩壊」であり、また、連鎖的に瓦解するコミュニティ、そして、至極当然に行きつく「国柄」の崩壊であり、国家の崩壊、つまるところ「信頼の崩壊」である。

本日、妻と観てきた「マリと子犬の物語」のようなファミリー映画では、必ずと言ってよいほど、祖父母が一緒に暮らしている。孫は祖父母に甘え、また祖父母も目じりを下げているシーンが必ず登場する。登場人物である祖父母は、寝たきりだったり、体が不自由だったりするのだが、映画の中で起こる様々なトラブルに子や孫が右往左往するとき、なんとも見事な経験則からの至言で解決させることもある。難解な問題が横たわり、家族みんなが途方に暮れるその時、ぼそりとつぶやく至言やヒントが、その後のストーリーを大きく左右することがある。それは往々にして「倫理」を語ることであった。

「4」へ

■2008/01/07 (月) ガチコメ的「七草粥の食しかた」4

大げさに言えば、それ自体が人間の霊魂なるものを救うための倫理神学ともなり、人はどのように行動すべきなのか、と主人公は思い巡らせ、その解決を自省することに求める。

余談であるも、この映画にある幼い兄弟が、「もう死ぬのを見たくない!」と「命の大切さ」叫び、たかが犬コロの命を救いに行くことで「自らの命」をすでに賭けてしまっている矛盾をみて、怪しい地球市民(笑)はどのように感じたのか、もし感動の涙を流したとすれば、それは単なる「被災者の大変さ」のみからなる「哀れみの涙」なのだろうか?非常に興味深いところだ。是非とも感想を聞かせて欲しいところではあるが、論点がずれるので放っておく(笑)。

すなわち、このような幼稚な愉快犯に属するであろう「動機が不明瞭」である犯罪行為は、その倫理観が崩壊しているというのだ。そしてその多くは、いずれ犬猫を殺すだけでは収まらず、徐々にエスカレートするのではないかという懸念を消すことができない。

よく「性犯罪者は再犯の確率が高い」といわれる。それはその「性癖」によるところが尤もな理由とされている。それと同じく「猟奇的な殺人願望」も、その人格形成上においての欠落部分であり、欠損個所、つまり、決定的に倫理観が壊れ始めている兆候であると思う。恐ろしい世の中とはこうしてつくられる面もあるのだろう。

私は仕事柄、帰宅する際も「なんらかのシミュレーション」をしながら歩くことが多い。右手がポケットにあるときは、20数個の鍵がついたホルダーを握りしめている。その握りしめた拳の隙間から、鉄製の鍵がむき出しとなっている。これで殴れば致命的なダメージとなろう。それに携帯電話も警察の番号が登録してある。とあるボタンを2回押すだけでつながるようにしてある。効果のほどはよくわからんが、最悪でも通話記録が残るだろう。場所の特定もそうだが、録音などしてくれる気の利いた担当官がいるかもしれない。

「5」へ

■2008/01/07 (月) ガチコメ的「七草粥の食しかた」5

警戒せざるを得ない世の中である。

一度、倅が「スクリーム」というホラー映画のマスクをかぶって玄関を出て行くことがあったらしい。どうやら、「帰るコール(古い)」を入れて帰宅する私を、階段に隠れて脅かそうという魂胆だったという。いつも豪胆を気取る私の腰を抜かせて、家庭内におけるイニシアチブを握ろうという企てだったのかなんかしらんが(笑)、偶然にもそれを見た妻は慌てて倅を止めたという。言うまでもなく危険だからである。

倅はプラスチック製の「おもちゃの包丁」を持っていた。そのグッズに付帯する小物であった。それにしても、不意に「わぁ!」と「包丁のようなもの」を握って飛び出してきたら、私は反射的に全力で攻撃するだろう。恐らく倅は成人式を迎えられず、どうにかなったと思う。危ない危ない。一生の後悔をするところだ。お互いにな。

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まあ、昔から阿呆もいるだろう。しかし、少年の凶悪事件はともかく、今の豊かな日本(かろうじて・・)においてすら「少年の強盗事件」なんかが増えていることは、その安易な動機からして深刻な問題であると思う。「食うに困って」などではなく「遊びたいから」という軽い理由で、実に安易に犯罪行為に手を染めるということが気味悪いではないか。

なんかで読んだが、支那大陸では月に十万件以上の少年犯罪が起こるそうだ。気になる人は、スマンが調べてくれ。それは「ひとりっ子政策」の弊害だと言われているらしい。甘やかされる環境がよろしくないと、支那人でも気づいているようだ。で、もはやどうしようもないと諦観するほかないそうだ。さすが支那人だそうだ。そうだそうだ。

これで更に、日本が如く「少年法」などがあればどうなるのかは推して知るべしであろう。嗚呼・・・恐ろしい。日本に支那のちびっこギャングが跳梁跋扈する日も遠くない。なにやら、4,000人単位の交流があるそうぢゃないか。玄関の鍵は2つ以上がスタンダード。日本国においてのセキュリティ保守料金は米塩の資となろう。嗚呼・・・恐ろしい。

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というわけで、今日も残りのカレーをいただく。

これに「からあげ」が入ると、まさに「盆と正月カレー」となる。

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