忘憂之物

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             渋沢栄一

政治評論家の三宅久之氏死去

2012年11月16日 | 過去記事


政治評論家の三宅久之氏死去

<三宅 久之氏(みやけ・ひさゆき=政治評論家)15日午前8時46分、東京都内の病院で病気のため死去、82歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男彰(あきら)氏。
警視庁によると、15日早朝、東京都目黒区の自宅で「トイレに行きたい」と家族に訴えた直後に意識を失った。救急隊が駆け付けたが、既に心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。三宅氏の事務所の話では、10日に退院した後、自宅で静養していた。
三宅氏は早稲田大卒で、元毎日新聞政治部記者。同社退職後に政治評論家となり、テレビ番組などで活躍した。主な著書に「宰相を争う男たち」がある>








1年ごとにくるくる変わる総理大臣、と揶揄される日本のトップが「16日に解散」を党首討論で言った。びっくりしたとかどうかよりも憲政史上、こんなのは前代未聞の出来事。追い込まれて後ろから撃たれ、いろいろと大変なんだろうが、野田はもう涙目だった。

同じ頃には女優の森光子さんが亡くなったというニュースも報じられた。くるくる変わるどころか、こちらは舞台「放浪記」を2017回、くるくるしたのは「でんぐり返し」だけだった。御冥福を祈りたい。

それから三宅氏の訃報があった。これは職場のテレビで初見だった。ええぇ!と声を出してテレビに見入ってしまった。倒れる直前、三宅氏は「トイレに行きたい」と言っていたとか。もしかすると党首討論を観ていた可能性もある。野田の発言を聞いて安心したのか、いずれにしても民主党政権の解散前日、アメリカ大統領選直後、支那共産党中央大会で国家主席が交代した日でもあった。なんとも言えないタイミングだった。

森光子さんは92歳。三宅氏は10歳下だった。共に戦前を知る。三宅氏は学生だったが、森光子さんは日本軍慰問団として、師匠の「ミスワカナ」と一緒に支那戦線を巡っている。

戦前を知るマトモな世代がどんどんいなくなる。残るのは戦中生まれ、例えば三宅氏の喧嘩相手、左翼にもなれなかった馬鹿の田嶋陽子は1941年生まれだ。つまり、戦後はまだ幼児。物心がつくころには進駐軍がうろうろしていた。焼け野原も見ている。「大変な時代だった」に異論はないが、戦前から「生き抜いてきた」親の世代、兄姉世代とは、ちょっと「大変」の意味が変わってくる。

「太陽の党」の石原慎太郎は1932年生まれ。戦後は13歳だ。当時、日本人の13歳がどれほどしっかりしていたか、は言うまでもない。それにそのとき、少年少女だった世代は焼かれる郷土をみて、自身も空襲から逃げている。友人や親、知り合いが殺されるのを直視した世代だ。だから石原氏は通学路の途中、道いっぱいに広がって歩く進駐軍を避けず、そのまま真ん中を歩いて進み、米兵からアイスキャンディで顔面をはたかれている。いまなら「米兵、中学生をアイスで殴打」とか沖縄タイムスとか琉球新報が放っておかない。性格もあるだろうが、多くの「この世代」には共通する反骨精神ではなかろうか、と察する。

話を党首討論に戻すと、多くのメディアは「安倍氏は虚を突かれた」とかやった。「虚を突かれた」のは民主党だ。また「久しぶりに真剣で斬り合うような討論だった」とか、褒めているモノが多かった。たぶん、安倍さんが驚いたのは事実だろうが、そんなことはどうでもよろしい。それよりもうひとつ「面白いこと」があった。野田が公然と「トラストミー」を馬鹿にしたことだ。「トラストミーという言葉が軽くなったのかもしれませんが>という件だ。

いくらアレとはいえ、自党の元総理である。それに引退もしていない。どころかいまでも党内の外交における最高顧問である。安倍さんも思わず笑っていたが、これはいったい、どういうことか、と考えるに今年の夏頃から、なぜだかワシントンポストが野田を持ち上げていたと思い出す。北東アジア総局長をしていたこともあるフレッド・ハイアット論説委員の記事では<全く無知な2人の前任者と違って、堅実な野田は歓迎>と書いた。

日本人なら<全く無知な2人の前任者>という前文には同意できるし、あの馬鹿二人と比せば誰でも<堅実>になれる。それでも「書いてあることは全力でやる。書いてないことはやらないンです。それがルールです」の野田をして<堅実な>と思えというのは少々無理がある。しかしハイアット氏はさらに<この課題で日本の有権者を説得できれば、野田は他の民主主義国家の手本となるリーダーになれるかもしれない>という。これは明らかに持ち上げ過ぎだ。ここまでくると「妙だ」とわかってしまう。

だから要するに「消費税引き上げ」をやれ。原発再稼働はよろしく、米軍基地問題も抑え込み、最後はTPPに参加する。NODAよ、わかってるな?ということだった。このワシントンポストというのは、まあマトモな新聞だ。アメリカの新聞がアメリカの国益重視、というスタンスは「おかしく」はない。朝日新聞なんかを「おかしい」というのが普通だ。

ちなみに鳩山を「ルーピー」と書いたコラムを掲載したのもこの新聞になる。また、このハイアット氏は2005年の反日デモについての理由、日本が悪かった、に対しても「中国の身勝手な記憶」とばっさりやった人でもある。歴史認識については「中国では歴史解釈はひとつしかなく、変わるのは共産党がそう決めた時だけだ」と事実をやる。比して「日本では開かれた議論がされている」と論評する。マトモだ。「(支那共産党は)アジアで先導的な役割を果たす上で、日本を便利な悪役に仕立て上げる」も秀逸、その通りである。

そこで「野田への指令」を考えてみる。もちろん、根本にあるのは「アメリカの国益」だから、例えば私なんかとは意見が違う。あっさり書くと私は先ず、消費税引き上げには反対、原発再稼働は賛成、米軍基地問題はいまのところ仕方ない、TPPには反対、となる。つまり、この「反対」の部分、これが「アメリカの国益に反すること」だとわかる。

「消費税」と「TPP」だ。そこで気付く。野田が政治生命を賭けてと言った「消費税」と、割れた民主党をまた割ってでもやる「TPP解散」だ。つまり、野田はアメリカの意に沿うことにした。いまさらだが、日本の総理はアメリカに嫌われたらやれない、とわかる。党内からは公然たる「野田降ろし」。「16日解散」はこれを黙らせる効果はあった。また改造内閣は何度でも、いろんな「田中」に足を引っ張られた。「田中」だけじゃない。巷の声はもう「民主党にはこんなのしかいない」とまで言っていた。

3年ほど前は「クリーンな民主党」という看板だったが、いまではもう、閣僚にする人材がいない。つまり「クリーン」が見当たらない。気を抜くとすぐ「外国人献金」が湧いて出る。自公政権時代に振り回した「政治とカネ」がブーメランで戻ってくる。それも「外国人から」というオマケも付いた。「失言」もそう。反日メディア必死の擁護も虚しく、どうしようもない暴言、妄言が飛び交った。野田を庇う気は毛頭ないが、それでも頭が痛かっただろう、ラーメンも日本酒も不味かっただろう、と気の毒には思う。

組織は内部崩壊、機能不全。「マニフェスト」どころか、復興も外交もどうにもならない。まさに四面楚歌。自公が味方に見えてくるのも仕方ない。財務省のレクチャーを受けて、アメリカに泣きつくしかなかった。

三宅氏は先月14日のブログでこう書いた。


<野田首相にも申し上げておきたい。あなたは「私は一度いったことは必ずやりますよ。私はブレません」と私にいったではないか。しかし、この1年間にあなたのやったことは、消費税の引き上げだけで、社会保障をめぐる国民会議は全くメドさえたっていない。懸案を一寸のばしにし、政権を少しばかり延命したところで、事態はますます悪化する。後世の歴史は全く評価しませんよ>


党首討論で「16日解散」を言ったのは「潔い」みたいな論調がある。野田も「副産物」として狙っていたかもしれない。鳩山も菅も行使しなかった「解散権」だ。それをこれ以上ない表舞台、涙目でやった。三宅氏の言う「消費税しかやっていない」には「でも解散もした」が付け加えられるだろう。そしてそれは「よくやった」と褒められることだ。

16日を待たず、よくぞ解散してくれました、という国民の声とは、ようやく人質を解放された安堵感や、強盗が盗るモノ盗って逃げ出した後の開放感に似る。勘違いしないことだ。安堵感や開放感が収まってくれば、今度は思い出したような復讐心、報復感情が芽生える。

テレビはもう庇えない。援護射撃としては「安倍自民党」への攻撃だけになる。つまり、民主党に対する応援とは「触れないこと」になる。取り上げないこと、触らないこと。いくら恥知らずなコメンテーターでも「それでも民主党は消費税を引き上げました」と持ち上げることは出来ない。だからなんだと。それは自民党も言っていただろ、となる。

いま、有権者は民主党とか元民主党議員に対し「落ちろ」ではなく「落とす」と言っている。「60議席しか確保できないかもしれない」はまだ甘い。わかっていない。というか、そもそも真冬の街頭で「もう一度ヤラせてください」とか言える民主党議員はいるのか。元民主党はどうするのか。小沢の「国民の生活が第一」は、その腐臭を放つフレーズをまた連呼するのか。貧すれば鈍する。小沢もババを引いて去っただけだった。

武士の情けだ。

クソ寒い選挙になる12月16日。有権者の声を聞くなら「出ない」という選択もある。



三宅久之氏の御冥福を心からお祈りし、この拙稿を捧げる。


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