
憲法記念日の3日、妻と倅を連れて久しぶりに大阪に行った。「中之島まつり」だ。そこでこれまた久しぶりに虹の会長御一家にも会い、そのまま「大阪ブルーリボンの会」の署名活動に参加させてもらった。有本さんのご両親にも久しぶりにお目にかかった。虹の会長はなぜだか「半袖」だったが、この日、ちょっと肌寒かった。高齢になるご夫妻には御自愛いただきたい。そしてなにより恵子さんを含めた拉致被害者全員、1秒でも早い奪還が望まれる。北方領土も結構だが、領民を取り返せないで領土交渉もない。期待する安倍政権にはどうか、口だけではなく「最優先事項」として取り組んでもらいたい。
また、言っても詮無いことだが、これまた久しぶりにストレスもあった。署名のお願いをしている女性が差し出す「手板」を迷惑そうに払いのけるのがいる。自分だけが可愛くて、他人のことなど興味ないなら、せめて素通りすればいい。ただでさえ路上コンサートを挟んだ隣には「憲法9条を守れ」とか「沖縄米軍基地移転反対」の連中が屯していて気分が悪かった。冷たくあしらって通り過ぎるのは「その連中」だったかもしれない。
あと近くのブースにいた「コスプレ」のブサイクどもだ。
不細工なだけなら我慢もするが、入口付近にてビラを配っていると、その中でも最強クラスの不細工が来て「ブルーリボンさん、こっちは止めてもらえますか?」とか言ってきた。みればコスプレの写真か何かしらんが、案内板のようなモノがあった。それを隠すなと。
もちろん、それは「あ、すいません」と言って場所を変えるが、不細工デブはメシも多いんだろうが、文句も一言多い。若干の怒気を含んで「見えないと意味ないんでー」とか追い打ちをやる。オノレの不細工を世間に晒したいのか知らんが、せめて普通に言え普通に。
こんな不細工に求めるだけ無駄だが、なんというか、某在特会の気持ちがちょっとだけ分かった。秋田訛りのメガホンで「なんだこの朝鮮不細工!貴様、そんな不気味なコスプレは平壌でやれ!」「ぴょんやんでやれー」「ぴょんやんでやれー」「ブスのブースは金日成広場にいけー」「いけー」「しゅぷれひこーる!」とかやりたくなったが我慢した。
というか、だ。はっきり書くが、しれっと素通りする大阪の日本人よ、署名くらいしろ阿呆。べつに「MKタクシーを守ってください」とか「美術館の閉鎖に反対」で署名を集めているんじゃない。何度でも言うが他人事じゃァない。
コスプレデブは不細工だから拉致されなかったかもしれないが、昨年11月、警察庁が公開したデータによると「特定失踪者」として捜査対象となるのは、各都道府県警レベルで721名。警察本部が共同で捜査するのは147名、合わせて868名だ。救う会徳島の陶久敏郎会長は<この868人にもそれぞれ家族、親族がおり、情報を待ちわびている厳しい現実がある。捜査当局に徹底した捜査をお願いするとともに、知り得た情報を可能な限り家族に知らせてほしい>と懇願する。
この国に普通に暮らしている人々がいなくなる。普通に育っている子供らがいなくなる。その犯人が隣の独裁国家だともわかっている。政府が特殊部隊を投じて取り返してもくれない。どころか経済制裁をするのかどうか、相手を刺激せずに国交正常化すればどうか、と押し問答、遅々として進まない状況も長く続いていた。だから普通の庶民が手弁当でやっている。一文の得にもならぬのに公園で駅前で、見知らぬ人々に頭を下げてお願いしている。なんとかならないものかと抗っている。抗っている相手は悪い行政や官僚、大阪市長ではなく、北朝鮮の独裁政権、それから実行動する工作員だ。
「ご協力ありがとうございます」は私以外の誰かが言うから任せるとして、正直、私はやはり、これだけじゃダメだと思う。だから日本政府や関係省庁に腹も立つ。いつまでも民間だけにやらせて、なにをしとるのか。はっきり言うと、有名人とか「人を雇え」ということだ。民間だけでやれることはもう少ない。タレントでもなんでも、メディアでもなんでも導入して国民世論を喚起させろ、というのである。
国の事業として「動員」しろと言うのだ。もっと大規模にせねばならないのである。まだまだ巷には拉致問題をして「政治的な問題」と受け取る傾向もある。以前、協力を願い出ると「政治的なことはちょっと」と断られることも実際にあった。署名をお願いすると、どれほど値打ちのある名前なのか知らんが「簡単に人様に名前を貸してと言ってくるな」と説教するのもいると聞いたこともある。「じゃあ、オレはそれに署名してやるから、サラ金の借入書にお前の名前を書いてくれるか」とか、安モンの頭を精一杯使った「喩え話」をする阿呆もいたとか、まったく下衆に過ぎる。
言うまでもなく、たしかに単なる誘拐事件や行方不明事件とは違うかもしれないが、まだ拉致されていない国民を含む被害者からすれば「政治的」もヘチマもない。愛する人が戻ってこない、という結果は同じだからだ。大阪で下校途中、行方不明にあった少女と同じく、横田めぐみさんも下校途中に拉致された。未だ帰ってこないという親の嘆きに差異などないが、横田さんらは犯人が北朝鮮というだけで「政治的」と敬遠される。こんな理不尽なことがあっていいはずない。
五月晴れとはいえ、まだ薄ら寒い野外で年寄りを立たせたままなら、拉致問題に「真の解決」はない。国が「国家の意志」として具体的、且つ、効果的に人も金も使わないから「他人事」みたいなままなのだ。わかっていない、認識不足なのである。「自分らに関係ない、あんたら、なにやってんの?」という寒々とした態度はコスプレの不細工だけではない。
憲法改正もよろしいが、その前に法律を作る。例えば朝鮮総連は潰すとか、朝鮮学校は「最低でも国外」に作らせるとか、政治家でも企業でも北朝鮮に縁故があれば社会的に制裁するとか、民主党や社民党には破防法を適用するとか。どころか、この国では北の関連団体、支援組織に資金援助する管や鳩山が首相になった。辛光洙の釈放嘆願書に署名した江田も千葉も法相をやった。「拉致問題の解決は国家としての最優先事項」と言いながら、その一味に権力の座を簡単に明け渡す。これは「誤ったメッセージ」どころの話でもなく、日本という国は分裂国家なのか、と不思議がられても仕方がない。どこの主権国家が自国民を1000名近くも拉致されて、30年以上も軍隊を出さないのか。それならばせめて、連日メディアでやればいいのだが、NHKからして「いわゆる拉致」を言い続けた。
政治家もそう。2002年、安倍総理が副官房長官だったとき、管と土井たか子を指して「極めて間抜けな政治家」としたら、民主党は国対委員長が「断じて許せない。このような発言は政治家としての資質が問われる」とブチ切れた。11年経った今、断じて許せないのはどの連中で、政治家としての資質が疑われたのはどの政党の馬鹿だったのか、当時の国対委員長、佐藤敬夫は説明できるのか。
また、社会党も「人格とか品格の問題にかかわる」と怒ったふりもしたが、それから11年経過した今、国民から人格とか品格を問われているのはどの連中だったか。その証左に社会党は消滅したわけだが、その残りカスの社民党も衆院議席は2議席か。石原家だけでも3議席ある。有権者はもう社民に用がないのだ。同じく、民主党も脱民主党も地方選挙でボタボタ落ちている。有権者からのいらない、という意思表示である。
比して、当時の副官房長官だった安倍氏は<(社民党などの反論は)言葉が不適切という批判かもしれないが、事実を受け止めていただきたい。(辛容疑者に拉致されたとされる)原敕晁さんは今、ものが言えないわけで、原さんとご家族の気持ちを私は代弁した>(朝日新聞・2002.10.21)と堂々たるモノだった。その結果いま、総理大臣の再登板となり支持率は右肩上がりが続く。つまり、そういうことだった。
安倍官房副長官(当時)が「間抜け」という、まあ、一応のところ「辛辣な言葉」を用いたのには他にも理由がある。安倍氏が国会で拉致問題を質問した1997年当時も、北朝鮮の拉致が明白であるにもかかわらず、警察も外務省も動かなかった。国会では「いい加減なことを言うな」と野次が飛んでいたからだった。野次の主は社会党、それから民主党の国会議員だった。安倍氏はわざわざ「間抜け」の意味を説明もした。<広辞苑を調べたら『マヌケ』は『ぬかりがある』ということ。(菅氏らに)確かにぬかりがあった>(同)。
実は当時の安倍氏は誤認している。事は間抜けで済まない。明確な反日工作だった。
ところで、管直人の事務所からは安倍事務所に苦情の電話があったそうな。内容は<蓮池さんらが拉致された78年当時の 官房長官は、(安倍氏の父の)晋太郎さんですよね>(週刊文春)ということらしく、類は友を呼ぶ。管直人に使われる人間など下衆の極み、やはり「この程度」ということだが、嘆願署名対象になったのは29名、じつにその内10名以上が朝鮮スパイだった。仕事は日本に滞在して工作船の接岸ポイントをつくる。自衛隊と米軍の情報を探って本国に連絡する。そして日本国民を「獲得」することだった。
多くは朝鮮総連の非公式組織「烽火山グループ」の朝鮮人で、責任者は総連東京本部の金学根副委員長(当時)ということまでわかっている。管直人や千葉恵子、土井たか子や江田五月らの御蔭で辛光洙の共犯者・金吉旭も釈放された。釈放嘆願書には日本に何度も出入りしてスパイ活動を繰り返していた地下工作員らの名もあった。日本国に対して拉致攻撃を仕掛ける工作員を救助する、これも立派な破壊工作だった。その釈放嘆願書には<彼らが一日も早く釈放され、家族の元に帰ることができるよう切に願って おります>という文言がある。管直人や千葉はこの台詞を「拉致工作員実行犯を救うため」に吐いたわけだ。民主党に政権を盗られる、というのはそういう意味だったわけだ。情けないことだ。
また、釈放嘆願書の中には徐勝もいた。在日をスパイに仕込みソウル大学などで活動をさせる、いわゆる「学園浸透スパイ団事件」の首謀者とされた。事件は「拷問の末の虚偽自白」だったかもしれないが、徐勝は自ら「北朝鮮工作員」だったことを否定もしない。もちろん労働党員だったし、北朝鮮の工作船にも乗り込んでいる。この「救援運動」を盛り上げたのが朝日新聞だった。紙面に徐勝の母親のインタビューを大きく載せて同情を誘う。メタミドホスを餃子に入れて、日本人の女の子を殺しかけた支那人を庇うのと同じ手法だ。
これを社会党や民主党、和田春樹が手伝う。土井たか子は国会で雑誌「世界」を持って人権がどうの、人道がどうしたとやった。その結果としての釈放嘆願書だった。徐勝はいま、肩書きが「元工作員」だけではなく立命館大学コリア研究センター長、法学部教授でもある。工作員時代を反省するどころではなく、土井たか子への「恩返し」のつもりか、靖国神社でロウソク持って騒ぐ「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」の共同代表もやる。日本の税金で北の工作員を育てたいから、朝鮮学校の無償化適用外についても「本質は朝鮮圧殺政策」と公の場で発言する。反日メディアの御用学者の役割も果たす。
外国人参政権を寄こせ、に「じゃあ帰化しろ」と咎められたら「皇民化政策の延長」と筋違いの批判もする。朝日新聞や売国政党の政治工作員らは、こんな「今でも工作員」みたいなのを釈放させたばかりではなく、日本国内において重宝しているのである。
しかし、だ。
思い起こせば、1989年の「マドンナ旋風」とやらは「消費税反対」の一点突破、多数の女性議員に「やるっきゃない」と、援護射撃で宇野首相(当時)のスキャンダル叩きもやった結果、参院で自民党は過半数を割った。土井たか子は「山が動いた」を言った。メディアはそれを何度も繰り返しお茶の間に届け「おたかさんブーム」と盛り上げたまま、翌年の衆院選に突入。社会党は議席を大きく伸ばしたが及ばず、自民党は275議席を死守して政権交代を防いだ。日本の有権者は2009年より賢い人が多かったが、実に危なかった。
議席が増えて露出が増えた社会党は国会で馬鹿をやった。悪い意味での平和と人権、それから支那朝鮮への謝罪外交と「拉致はでっちあげ」をみた有権者は呆れて反省し、後の村山政権で左巻きのアホンダラも四散して弱小化、有権者は1991年の統一地方選で意志を示して土井たか子の首をとると、その2年後の衆院選で止めを刺した。
2009年の夏に有権者はまた「やってしまう」が、これも社会党と同じく、与党になった民主党は散々な阿呆を晒した。前からバレていたが、民主党内の反日史観も広まった。しかし、旧社会党との差異は奇しくも政権交代を成し、民主党が政権与党になった所為で「工作機関」だとバレたことだ。思想信条、主義主張の問題ではなかった。現職の総理大臣を含む重要閣僚が次々と支那朝鮮から、あるいは総連や民潭から具体的な見返りを得ていたとバレた。これは嫌悪感などという抽象的な危機感ではなく、可視化されて眼前にある「現実の危険」だった。
この巻き返しは「社会党が半分になった」どころではなく、308議席あった民主党は消滅しかけた。今も順調に減退して夏には消えてなくなる予定だ。そして秋、拉致事件が音を立てて動く。ようやく憲法改正だ。国軍が憲法で規定される。何度かの段階を経て日本はいわゆる「普通の国」になる。そして普通の国なら自国民を救う。経済と軍事、すなわち実力を伴う効果的な外交アクションも可能になり、現政権にはその覚悟、意志もある。
それを支那朝鮮が露骨に嫌がっている。形振り構わず、奇声を発して無茶苦茶をやる。いま、この断末魔に世界が呆れているが、しかしながら、それは「中之島公園」で拉致被害者奪還の署名の前を素通りする人にすら理解されない。圧倒的多数の「素通りする人」は反日もどうでもいい。日本のことも気にしないのに、他国の心配などするはずもない。良くも悪くも、どこまでいっても「素通り」なのだ。だから「脱原発」の一点突破も虚しく、琵琶湖のおばはんもどっかに行った。鈍化したのか元からなのか、まったく時代の変化を読めず、そんなのを利用しようとした岩手の剛腕も根本からぽきりと折れた。もう誰も相手にもしない。
また、たしかに素通りする人はいつか立ち止まるかもしれない、いつかは振り向いてくれるかもしれない。「呼びかける」ことの大切さは否定しない。これからも続けるべきだし、微力ながら私や家族もお手伝いしたい。しかし、それだけを待ってはいられない事情もあった。
署名してくれた心ある人に、ブルーリボンのおばちゃんが言った。
「ありがとうございます、これは必ず、安倍総理大臣に届けます」
署名した人は、え?総理大臣に?と一瞬びっくりした。
「届かない」とあきらめていた。「無駄だ」と冷笑する者もいた。しかし、日本の意志は静かに動いていた。日本には「素通りしない人」もいた。だからまた「安倍政権」が成った。
署名であれビラ配りであれ「拉致問題の解決にご協力お願いします」の中には少なからず「拉致被害者奪還にご協力願います」があった。拉致の問題を「解決」するには「奪還」しかない。謝ってもらっても仕方ない。嘘を吐かれて納得してもしょうもない。そこには「奪い還す」という能動的な国家的意志が存在せねばならない。良心からなる義憤でもない。まさに同胞を奪われた、という憤怒の「感情」である。戦う「意思」のことである。ナショナリズムとか偏狭な愛国心とか、言いたい連中は言っていればいい。「極右だ!」と騒いでも意味はない。「きょくう?」でお仕舞いだ。どうせ「素通り」には届かない。そして「素通りしない人」には馬鹿にされる。それがいま、だ。
