忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

馬に謝ったほうがいい国

2013年04月20日 | 過去記事



ドラクエには欠かせないが、日本の時代劇に「馬車」は出ない。この理由はいろいろと言われていて、例えば「日本は山が多い」とか。たしかに今でも森林面積はラオスに次いで世界5位。国土の7割ほどが森林だ。それから川もたくさんある。要するに「地形の問題」だったとか。

あとは去勢をしなかったから馬が大人しくない。日本人は動物を「モノ」ではなく「生き物」としてみていた。馬を背負って崖を下った畠山重忠の如く(一ノ谷の戦い)馬や牛に「使い捨て」の感覚がない。それに江戸幕府は馬車ではなく、荷車の通行規制もしていた。理由はいろいろあっただろうが、だから大名行列でも人足を使っていた。

もちろん、ちょっとは牛や馬に荷車を引かせたりはあった。しかし、主流にはならなかった。狭い日本、自分の足で歩けばなんとかなったのもあるだろうが、私は個人的に糞の問題もあったのではないかと思う。牛でも馬でも生き物だから排泄をする。これが道端にぼたぼた、垂れ流しながら歩く。この掃除も大変だし、なにより清潔を好む庶民に受け入れられなかったのではないか、と想像するわけだ。

中には「違う。それは朝鮮半島で広がらなかったからだ」という人もいる。日本の文化はすべからく朝鮮半島経由でやってきた、と信じているような人だ。しかし、これはちょっと無理がある。たしかに日本は明治維新から馬車が普及する。「東京馬車鉄道」の開通は明治15年だ。でも、そのずっと前には平安貴族が「牛車」に乗っていた。あの有名な「日本最古の物語」に出てくる竹から生まれたお姫様も牛車で月に帰って行った。つまり、なんらかの「くるま」はあった。それを牛に引かせるか馬に引かせるか、それだけだ。

朝鮮半島は違う。「車輪」が作れない。鉄どころか木を曲げる技術がない。平安時代から100年経っても「樽」も作れない。だから李氏朝鮮時代の商人は「背負子」に重い「カメ」を背負った。なんと土器だ。李朝末期の半島に訪れたアーソン・グレブストなども<最小限の力で最大限の重さを運ぶ秘訣は、彼らにはもはや秘訣と言えないものだった>と驚いている。つまり、なんでも背負って運んでいた。逞しいモノだ。

その点、ヨーロッパの白人らは馬車が大好きだ。もちろん、アメリカでも駅馬車があった。ステージコーチだ。どころか、セントルイスからサンフランシスコまで3週間以上、走り続けるという長距離輸送もやっていた。車内には「気晴らしに銃を撃つな」とか「インディアンかコヨーテに襲われるから馬が暴れても外に飛び出すな」などの貼り紙もあった。万が一、なにかの都合でタイムスリップしても乗りたくないが、本当に怖かったのは駅馬車強盗。そりゃ金持ちが乗っているし現金も運ぶ。そんなのが荒野の真ん中、がたごと走っている。襲わない理由がない。だから乗客にはシャープス銃と100発の弾、コルトの回転式拳銃とナイフなどの装備を「推奨」している。元来、今も昔も物騒な連中なのだ。

比して日本の江戸時代、庶民はもちろん、岡っ引きも十手だった。それと「梯子」とか「縄」だ。下っ端は刀すら持っていない。百万都市の江戸の治安は町奉行がふたり、その下に25名ずつの与力、またその下部の同心らが数十人で守っていた。一応、放火とか押し込み強盗など凶悪犯用として、いまの武装警察みたいな「火付盗賊改」もいたが、要すれば他は非武装だった。日本の平和ボケを舐めてはいけない(笑)。

人間を平気で奴隷にする白人からすれば、日本人の呑気さは想像を絶する。先ず、家畜を「いきもの」として扱うなど考えられない。家畜とはモノであり動力に過ぎない。死んだら取り換えればいいだけ。無論、キリスト教には供に養う「供養」も、霊を慰める「慰霊」の概念もない。あるのは哀しんで悼む「哀悼」だ。牛や豚、鶏を殺して喰って「哀悼」すれば分裂症になる。だから白人にだけ「神が与えたもうた」ことにした。そこには当然ながら奴隷も含まれる。

そういえば「ペットセメタリ―」というホラー映画があったが、あれも単に「ペットの墓」なのであり、そこでは「哀悼の意」が捧げられるだけだ。日本みたいに家畜の供養祭をしたり、実験用動物の慰霊碑をつくったりなどはない。妙な言い方だが、日本には「魚」まである。私の住む宇治市の公園にも「魚霊」を供養する石塔がある。本当はどちらが「信心深い」のか、よくわかる。


また、古い話だがヨーロッパ人に「去勢」を伝えたのはスキタイ人。紀元前8世紀頃になる。スキタイ人はいわゆる騎馬民族。それも奴隷が逃げ出さぬよう眼を潰すような性質だった。似た者同士のヨーロッパ人はそれを喜んで受け入れて、それからは大型獣を運搬用だけではなく軍事力にもした。騎馬戦車とか、馬の権利(馬権?・笑)を考慮すれば、とてもやれない残酷もやった。奴隷と家畜は同じステージ、消耗品だった。

騎馬民族に支配された経験のない日本人には思いもつかない。有名な「武田騎馬隊」も黒沢映画の「影武者」ほどもなかった。実際のメインはやっぱり長柄足軽だ。「騎兵」は一備え(千人ほど)に6~7騎だった。それもファイアーエムブレムみたいに馬に乗って戦わない。イエズス会のルイス・フロイスも<われらにおいては馬上で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる>と不思議がっている(日本覚書)。しかし、これはよく考えれば当たり前で、その頃はもう鉄砲だ。伊達の騎馬鉄砲隊も敵前で停止、発砲したらちゃんと後退している。そのもうちょっと後になる南北戦争でも、重騎兵の突撃は歩兵の銃に無意味化していた。

ま、ところでオバマが米上院での銃規制法案の否決を受けて「恥ずべき日」とか凹んでいるらしい。べつに恥ずかしがることもない。銃社会はとくにアメリカだけの問題だけでもない。ヨーロッパ諸国の一般家庭にも銃はあるし、中東は言わずもがな、東南アジアやアフリカなら子供でも所持している。拳銃見て驚く日本人は、世界からすれば極少数派だ。

エジプトやイスラエルでも結婚式になればアメリカ人みたく、空に向かって銃を乱射する。最近、それが危ないから「空砲にしましょう」という法律も出来た。元来、野蛮人は火薬とか爆発とか、発射とか銃声が好きなのだ。今更、すぐにどうにかなることでもない。

オバマが本気で「銃社会を止めたい」と思うなら、先ずはキリスト教を止めて家畜の供養をせよ。日本の家畜事業団が家畜の慰霊碑を建て、敷地内に銅像をつくる「日本的マインド」を学ぶことからやったほうがいい。文明まで合理的に「じゃあ規制法案で」とはいかない。



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