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尖閣問題 日米で中台共闘阻止 台湾に自制要求 奏功

2013年03月08日 | 過去記事


尖閣問題 日米で中台共闘阻止 台湾に自制要求 奏功

<中国と台湾が領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島をめぐる日本政府の働きかけの結果、米政府が台湾側に尖閣諸島周辺海域の公船航行について自制を求めていたことが2日、分かった。台湾公船は1月27日以降、尖閣周辺の日本の領海の外側にある接続水域を航行しておらず、馬英九総統が尖閣をめぐり中国と共闘しない方針も表明した。日米の連携で中台の共闘を阻止した形だ。複数の政府関係者が明らかにした。

 台湾公船が1月24日、26日に相次ぎ尖閣周辺の接続水域を航行したのを受け、日本政府は対台湾窓口機関・交流協会を通じて台湾側に抗議するとともに、米政府に対して台湾側に自制を求めるよう働きかけた。米政府は「台湾の戦略的利益を考えるべきだ」として、台湾に尖閣周辺海域での行動自粛を求めたという。

 1月24日に台湾の海岸巡防署(海上保安庁)の巡視船4隻と台湾の活動家を乗せた遊漁船1隻が尖閣周辺の接続水域に入った際には、台湾側が日米両政府に対し「抗議船の出航は合法的で阻む理由がない。接続水域に入る前に折り返すよう誘導する」と事前通告していた。しかし台湾船は接続水域を航行。中国公船が接続水域内で台湾船に近づき、尖閣をめぐる中台の共闘を印象付けた。米政府はこの経緯を問題視し、台湾側に自制を求めたという。

 台湾側は1月27日以降、尖閣周辺海域での公船航行を自粛し、同月24日に接続水域に入った抗議船に3カ月の出港停止処分を下した。2月8日には台湾外交部(外務省)がホームページ上で尖閣について「中国大陸と合作(連携)しない立場」と題する声明を発表した。馬総統も同月18日の会合で中国との連携を拒否する理由を説明した。

 日本政府は台湾側の動きについて「馬氏の発言や外交部の声明は積極的に評価できる」(外務省幹部)と歓迎。台湾が求める尖閣周辺海域での日台漁業協定について、安倍晋三首相は関係省庁に早期合意を目指すよう指示した。日台双方は週明けにも漁業協議再開に向けた予備協議を行う方向で調整している>







「恥ずかしながら帰って参りました」が流行語になったのは1972年。私は1歳だった。実際、横井庄一氏は「恥ずかしいけど帰ってきました」と普通だったが、日本のメディアが弄った。

グアムで発見された横井庄一氏の28年ぶりの帰国。担当したのは日本の厚生省だった。出迎えには援護局長が出向き、政府や民間から2400万円が贈られた。帰国後は著作を書き、NHKは特集番組を組んだ。日本中がちょっとした「横井ブーム」になった。

その2年後、1974年3月にはルバング島で小野田寛郎氏がみつかる。遊撃戦の任務を与えられた際、横山静雄中将から命ぜられた「玉砕は一切まかりならん」を30年守り、ずっと戦っていた。だから「投降」に応じない。トランジスタラジオを改造した短波受信機があったから、小野田氏は東京五輪も東海道新幹線も知っていたが、それは「アメリカの傀儡国家・日本」だと信じて疑わない。また「日本の亡命政権が満州にある」とも信じていた。

仕方がなく、山下奉文大将名で任務解除、帰国命令が下る。それでようやく「投降」となるが、その投降式にはマルコス大統領も参列。小野田氏は30年間で30名以上のフィリピン警察や米軍を殺傷していたが、これも日本の外務省などが尽力して「戦争が続いていると思っていた」と主張。恩赦が受けられた。出迎えには大臣代理の事務次官と4名の係官がフィリピンに飛んだ。贈られた手当などは3500万円。これまた帰国後、著作を書き、NHKが特集番組をやった。

実はこの年の12月、もうひとりの日本人がインドネシア・モロタイ島で発見されていた。中村輝夫氏だ。ただ、中村氏は高砂族のアミ族だった。その当時の日本は「日中国交正常化」の熱が冷めていない。パンダも大人気だった。そこに元日本兵の台湾人が生きていた。日本政府は御苦労さまでした、と横井氏や小野田氏のように出迎えることもしなかった。当初こそちらほら、日本のメディアも報じていたが、中村氏が台湾に帰国した際、日本国内で報じた全国紙は産経だけ。さわらぬ支那共産党に祟りなし。なんとも情けない話だ。

中村氏は「最後の皇軍兵士」だった。しかし昭和19年7月、日本人兵士としてモロタイ島に上陸、30年ぶりに発見されると「祖国」を奪われていた。台湾は日本ではなくなっていた。それではアメリカなのか、と思ったら中華民国だと知って驚く。名前は中村輝夫から「李光輝」に変えられていた。アミ族の頃の「スニヨン」という通り名も失っていた。

中村氏は昭和18年、後に「台湾高砂義勇隊」となる「高砂挺身報国隊」に入隊した。募集は計7回。都度、300倍以上の応募者が殺到。狭き門だったが、中村氏は台湾新竹州湖口で入隊してマニラ戦線に配備された。当時の高砂族の総人口は15万人。6000名が激戦地に送られて7割が戦死している。戦争に行った台湾の日本人は20700名。戦死者は30306名。内27864柱は靖国神社に祀られている。

中村氏が発見されたときの所持品は、三八騎兵銃が1丁、銃弾18発、水筒、山刀一振、米軍の服、一銭銅貨一枚、神社の御守り、穴のあいた茶封筒、それから肌身離さず持っていたと思しき「日の丸」だけだった。日の丸には寄せ書きが薄ら残る。かすかな文字で読み取れる兵士の名前と共に「赤城」「武運」があった。台湾に戻ってからも「陛下にお返ししなければ」と日本語で憂いていた。中村氏は日本語とアミ族の言葉しか話せなかった。モロタイ島では「国民愛唱歌」を歌った。骨の髄まで皇軍兵士だった。

日本政府は中村氏に帰還手当として3万円、それから昭和19年以降の「未払い金」として給料の3万8279円を支払った。それでお仕舞いだった。

1974年には支那共産党の「中華人民共和国」を承認する国が101カ国に達した。比して台湾承認国は32カ国に激減。日本もこの流れで台湾を見捨てた。命を賭けて「祖国のため」に戦った同胞(はらから)を、戦争に負けたというだけで切り捨てた。沖縄左翼の「沖縄は犠牲にされた」は半分嘘だが、日本が台湾を見捨てたことは歴史的事実である。

いちばん助けてほしいときに、いちばん助けなければならない日本から国交を切られる。30年間、日本軍兵士として生きてきた中村氏も「はした金」で切り捨てる。すべては支那共産党に「配慮」してのことだ。急遽立ち寄った台北空港で2時間も飛行機内に籠り、その後の北京で「自分は台湾の土地を踏みませんでした」と支那共産党に褒めてもらった河野洋平を日本人は笑えない。

朝鮮人の売春婦に謝罪したり、賠償したりと騒ぐなら、本来はこちらが先だろう。当時の三木政権もさすがに後ろ暗かったのか、その翌年1月には「政府見舞金」として200万円、それに各閣僚が5万円ずつ、政務次官が1万円ずつと新年会費じゃあるまいし、はした金にはした金を足したが、そういう問題でもない。日本人として戦争したんだから、日本人として迎え入れて労え、と言うだけのことだ。台湾人になるかどうか、中村輝夫か李光輝か、話はそれからだ。カタコトの支那朝鮮人は簡単に受け入れるくせに、公用語が日本語である中村氏を言葉も通じない台湾に問答無用、送り返して知らぬ顔とは非道も過ぎる。

中村氏が台湾に戻ると、奥さんは再婚していた。これも仕方がない。空の遺骨箱もあった。必死で祖国日本のために30年間、ジャングルの奥地で生き抜き、出てきたら祖国は知らぬ顔、嫁さんも再婚、名前も無くなって6万円弱の小遣い渡されて、いったい、なにをどうしろと言うのか。中村氏からすれば発狂するほどの裏切りだったと察する。だから中村氏は荒んだ生活を送った4年後、肺癌で死去している。

そんな台湾は反日教育にもめげず親日的だ。尖閣の件でも<台湾側は1月27日以降、尖閣周辺海域での公船航行を自粛し、同月24日に接続水域に入った抗議船に3カ月の出港停止処分を下した。2月8日には台湾外交部(外務省)がホームページ上で尖閣について「中国大陸と合作(連携)しない立場」と題する声明を発表した。馬総統も同月18日の会合で中国との連携を拒否する理由を説明した>ということだから、日本はこれに応えねばならないし、きちんと応えることは日本と台湾の国益に適うことだ。

2009年から中断していた「日台漁業協議」も昨年の11月に予備協議が始まっている。台湾の船が日本との協議によって海に出る。日本外務省は「北緯27度以南の漁場を条件付きで台湾側に認める案」も用意している。これは支那共産党にとっては困ることだ。それに日本が台湾という国家を認めている、と公言するに等しい。日台両国の国益になり、且つ、両国の友好が促進され、支那共産党は地団太を踏む。つまり、やらない理由はない。

左巻きのくるくるぱーの言を敢えて使うと「日本は戦後の清算をしていない」のである。負けたことは仕方ないにせよ、いつまでも戦勝国に付き従うことは日本の国益だけではなく、なにかと世界基準で具合が悪い。「日本が強い」ほうが世界は平和なのである。それは歴史が証明している。

それによく考えるまでもなく、支那共産党も朝鮮半島も戦勝国ではない。もちろん、被害者でもない。朝鮮半島は同胞だったし、支那共産党は匪賊だった。つまり、振り回される覚えもない。それより感謝すべき国はあるし、謝らねばならない国もある。それから、ちゃんと反論して黙らせねばならない国は多い。名誉に関することだ。同盟国でも関係ない。

あったことはあったし、なかったことはなかったのである。「専門家に任せる」もよろしいが、先ずはじっくりと調査して理論武装を行い、日本国としての態度をしっかりと表明する。認めないモノは認めないで結構だし、政治家が「外交問題になる」と怯めば舐められる。外交問題になっても望むところ、というか、既に支那朝鮮の外交はそれしかないし、アメリカやヨーロッパも都合がよろしいから乗っかるだけだ。参院選までもヘチマもない。知らん顔で黙っている、はもう止めよ。




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