忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

橋下発言で政府に見解要求 国連拷問禁止委

2013年05月25日 | 過去記事



橋下発言で政府に見解要求 国連拷問禁止委

< 【ジュネーブ共同】国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は21、22の両日、ジュネーブで対日審査を行い、従軍慰安婦は必要だったとの日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長の発言に関し、日本政府の見解を求めた。

 日本政府側は、慰安婦問題は太平洋戦争での出来事で、1987年に発効した拷問禁止条約の対象にはならないと主張。その上で「心が痛む問題で、アジア諸国に多大な損害を与えたという事実を謙虚に受け止めている」と説明した。拷問禁止委は政府回答や追加質問を基に、近く日本政府に対する勧告を発表する>







妻の作るカレー。十数年前はとてもアレだったが、ここ数年から抜群になった。しかも私がバンチョッパリだということで「激辛」にしてくれていたが、不惑を過ぎて勘弁してもらった。なんというか、胃腸は大事だ。心臓もアレだし。

あんまり美味いので、どうやって作っているのか、と思って覗き見た。すると、鍋に湯を入れて唐辛子をぐらぐらやる。それを濾して「殺し汁(命名・妻)」を用意する。それに他のスパイスをアレして、ソレをコレしてからベースにするわけだ。これ以上は秘密だが、この「殺し汁」をカレーベースにするのではなく、捕まえたチョッパリなどの顔に濡れた布をかぶせ、その目や鼻に流し込むと、由緒正しい朝鮮式拷問「コチュゴモン」になる。

朝鮮の拷問は支那伝統を引き継ぐ。正当な後継者を自慢していい。李氏朝鮮時代に訪れたシャルル・ダレとか、多くの外国人も腰を抜かしている。ダレがみたのは例えば「足を鋸で引き落とす」とか。これはもちろん「生きたまま」やる。あと有名なのは「足折り」だ。足の親指と膝を縛り、横から棒を2本差し込んで回す。まさに「へし折る」感じになる。

後ろ手に縛り上げて吊るす。「なんだ、それなら日本の時代劇でも」と思うが、よく思い出すとそれは胴体も巻いている。それをしなければ両肩が逆にへし曲がって折れる。だから朝鮮の職人はこれをされるともう、それ以後は仕事が出来なかった。足を折られて両肩が折れたら死ぬしかない。

また、日本でも江戸時代、拷問はあった。よく知るのは罪人が正座をして石を置かれる、いわゆる「石抱き」とか「算盤責め」と呼ばれるモノだ。これはちゃんと「公事方御定書」にある。1722年だ。しかし、この「石抱き」と「鞭打ち」は拷問ではなく「牢問」に分類された。拷問は「海老責め」と「釣り責め」だ。いずれにしてもこの4つしかない。基本的にコレ以外、火傷させたり骨折させたり、はやってはならない。

これをやられるのは「火つけ」と「強盗殺人」。それも共犯者が口を割り、証拠品もあるのに「白状しない」罪人だ。それに老中の許認可制だった。場所もどこでもやるのではなく、ちゃんと定められた「拷問蔵」があった。必要悪を世間から隠す、まあ「慰安所」みたいなものだ。

自白がなければ死刑もやれない。だからマニュアルがある。「釣り責め」にする際には縄と手首が直接当たらないよう、紙と藁を巻き付けるとか。朝鮮はそれをやらないから肉が裂けて骨が出る。傷口が化膿して腐り死ぬ。女性ならばレイプしたあとリンチして捨てるとか、あちらは必要悪ではなく「悪」だから拷問に理由がない。生死も関係ない。やりたい放題になる。

「鞭打ち」も日本人のイメージでは背中を打つ。罪人が縛られて後ろを向かされ、執行人が鞭を振り下ろすシーンを想像すると思う。だから「北斗の拳」でもそう描いてあったが、実際、江戸時代はそうだった。でも、朝鮮は顔面を打つ。「目を狙う」。だからまず、鞭打ちされた朝鮮人は失明する。繰り返すが、それは残酷かどうか、ではなく、理由があるかどうか、に尽きる。目的があって仕方がないからやるのと楽しいから、優越感に浸りたいから、やりたいからやるのとでは天と地の差がある。

この顔面を打つ鞭打ち刑は日本の併合から「朝鮮笞刑令」が発布されるまで続く。「ウリらは罪人に厳しいニダ」とかいう馬鹿を宥め、回数を決めて叩く箇所を「尻」に決めた。叩く相手も16歳から60歳までの男性にしなさい、と教えた。

また、1906年に朝鮮に取材に来た「ロンドンデーリーミラー」の記者は伊藤博文に対し、朝鮮の監獄の現状と拷問をして「改善すべき」と非難した。当時から白人は「建前論者」だった。自分らだけは善人だ。日本はまだ、朝鮮半島を併合する前だったが、もちろん、日本はちゃんと動いていた。当時、法務補佐官として赴任していた長浜三郎などが、牢屋で拷問されて殺されるだけの囚人を管理して働かせたりした。朝鮮半島に初めて「刑務作業」という観念がやってきた瞬間だった。

日本は囚人が社会復帰できるよう、仕事をさせて読み書き算盤も教える。牧師や坊さんを招いて話をさせ、罪を悔い改めさせたりもする。入浴をさせ、清潔な衣類を用意した。食事も改善されて白米が出た。残っていた「鞭打ち刑」も斎藤実が総督の時代に廃止もした。

「日帝は朝鮮を植民地にした」とか、いまの日本の国会で社民党や共産党は叫ぶが、1920年には朝鮮人判事が民事、刑事共に担当していた。つまり、朝鮮人判事が日本人の被告を担当する。「建前」かなんかしらんが、それが同化政策だった。そんな植民地が地球のどこにあったのか、是非とも教えてもらいたい。

韓国自慢の「世界大統領」がいる国連の「拷問禁止会」というところが「対日審査」という危ない名称の会議を開いて、日本政府に「橋下の発言だけど、どう思うよ?」をやった。日本政府はステレオタイプの<心が痛む問題で、アジア諸国に多大な損害を与えたという事実を謙虚に受け止めている>を言ったけれども許してはもらえず、同会は<近く日本政府に対する勧告を発表する>とか。阿呆らしいと思わないか。




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