忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「まんじゅう」は怖いのか

2011年02月27日 | 過去記事
「まんじゅう」は怖いのか



つい最近、右肩が上がらなくなった。無理して動かすと激痛が走る。1週間ほど前から違和感があったのだが、酷く痛むわけでもないから気にしていなかった。しかし、ある朝、ついに痺れていた。上手い具合に休日だったこともあって、さすがに病院に行った。

診断の結果は「肩腱板損傷」とのことだ。コレが断裂するというか、切れてしまうと手術することになるというから慌てたが、それでもまあ、施設の人らにも事情を説明して「無理なく」仕事をすることが出来ている。当初は「動かしてはいけない」と言われたが、痛みが引いたら少しずつでも動かさねばならないとかで、ゆっくりと腕を回していたりすると、施設の利用者さんらが体操だと思って真似しているのが面白かった。10人ほどの高齢者が一斉に「長州力の真似」をしている姿はシュールだった。

原因は不明だ。お医者さんに「思い当たることは?」と問われたが、そういえば若い頃の交通事故が2度、あとは17歳のときに崖から落ちた程度だ。いずれの出来事も「死んでいても何ら不思議ではない」ほどの事故だったが、幸いにも大した怪我もなく、お医者さんも警察もびっくりしていた。だから、まあ、不惑を直前にして四十肩か五十肩か知らんが、肩が痛くなるくらいは問題ない。辛いのはキーボードを打つ際、長く使っていると右手が痺れてくることだ。だからいま、小さなぬいぐるみを置いて右手の負担を軽くしている。我ながら、そんなところが可愛いと思う。

また、先日の帰り道、呑気に歩いていたら右足首を捻挫した(笑)。呪われているのかと思ったが、まあ、これもコケて骨折したりするよりはマシだ。そういえば、私は右手の小指も動かない。思想だけでなく体の重心が右に偏っているのかもしれない。それに首も右側が痛い。親知らずを抜いたのも右の奥歯だった。ともあれ、右には気をつけたい。私はもう、明日から右折しない。

職場で痛そうな顔はしないよう心掛けているが、それでも利用者の人が肩をさすってくれることがある。エプロンなんぞもつけるのだが、その際、後ろに手を回すと痛みが走るため、これも利用者さんが結んでくれる。もちろん、認知症を患っているのだが、私がエプロンを持つと、誰かしらが結びに来てくれる。私も結構な人気者だ。私は40歳からしばらくは「モテ期」に突入して、50歳にはピークに達するはずだが、早くも認知症の高齢者にモテ始めている。若い娘にモテなくてほっとしている。

また、利用者の人は私を呼ぶ際には名前を呼んでくれる。相手は認知症であるから、ほとんどの職員さんが名を呼んでもらえぬのに対し、私だけは名前で呼ばれることがほとんどだ。この理由は簡単だ。私の胸には「カタカナ」で大きく名前が書いてある。つまり、覚えているのではなく、見て読んでいる、わけだが、それでも「名を覚えてもらえる」というのは好印象だ。それに私は働く前にちゃんと確認もした。「この施設は名札がないようですが、自分の名をカタカナで書いて胸に貼り付けてもいいですか?」と問うていた。担当の人は「別に構いませんが・・・名札は無くてもいいですよ?」と言っていたが、このような希望をする人は少ないんだそうだ。ともあれ、私はちゃんと許可を得てから胸に名前を貼っている。大きさはとくに指定もなかったから、私の好みで大きくした。

先輩方からは不思議そうに見られた。40歳目前の太った中年男が、胸に大きく自分の名を書いてウロウロしているから気味悪かったのかもしれない。また、何人かの親切な先輩からは「名札はなくていいですよ?」とも言われた。私が好きでやってると言えば、ああ、そうですか、とちょっと引いてもいた(笑)。

しかし、御蔭様で初対面の先輩にも業者さんにも家族さんにも名前を覚えてもらえる。というか、忘れても会えばわかるわけだから、いつでも名前で呼んでもらえるわけだ。

ある日、ベテランの看護師さんが「どうしてカタカナで大きく名前を書いているの?w」と問うてきた。見れば何人かの職員さんもいて、クスクスと笑い声もした。ちょうど何か話していたのだろう。そこに私が通りかかったから、ベテランらしく、その看護師さんは直接聞けばいいじゃん、とのことで私を呼び止めたのかもしれない。

ま、しかし、だ。こんなこと聞くまでもないはずだ。ここは特別養護老人ホームだ。当然過ぎることであるが、利用者の人は認知症で高齢者ばかりである。「名前を大きく書いている理由」など問わなくとも察しはつくはずだ。現に私はあんたらの名前をまだ知らない。

私はベテラン看護師の期待通り、利用者さんがわかりやすいかと思いまして・・・と答えてみた。すると、隣にいた別の若い看護師さんが「えらいねぇw」と言った。

以前は「名札」があったらしい。しかし、誰も付けなくなったとのことだ。だからいま、施設内で名札を付けている職員は私だけだし、また、私は利用者さんの名前と顔は全て完璧に記憶しているが、共に働く職員さんは数名しか自信がない。一ヶ月が過ぎたが、頭の悪い私は未だ呼び間違えることもある始末だ。実に失礼極まりない。申し訳ない。

また、利用者さんは居室に顔写真と名前が「ひらがな」で明記してある。持ちモノ全てに名前も書いてある。毎日毎日、座る場所も同じにされているから、私からすれば覚えないほうがどうかしている。しかし、職員さんはわからない。誰がどこに何人いるのかも定かではない。全員が自己紹介するわけでもないし、こちらが「お疲れ様でした!」と挨拶すると、30代半ばの男性職員さんは金髪を触りながら、ピアスのついた口で「うっす」というだけだから記憶にも残らない。

そういえば先日、その彼が施設内の廊下を車椅子を押しながら疾走しているのを見かけた。もちろん、車椅子には利用者さんが乗っていた。車椅子は前輪が持ち上がり、いわゆる「ウィリー」をしていて、一瞬、正面から見た利用者さんの表情は恐怖で硬直していた。周囲の職員はそれを見ながら爆笑していたり、見ていないふりをしていた。久しぶりに殺意に近い憤りを覚えた。転べば馬鹿は鼻血を出すだけだろうが、車椅子にシートベルトはないから、身を預けているお婆さんは、かなりの勢いで放り出されることは馬鹿でもわかる。結構な衝撃で壁に激突するかもしれない。引き倒された車椅子と共に固い床めがけて後頭部から転落する可能性もある。

いずれにせよ、死亡する程度の大怪我をする。また、この名も知らぬバカタレの「だいじょうぶ、だいじょうぶw」には何の根拠も責任もないことは言うまでもない。私はこの馬鹿の顎に一撃を喰らわせてから鳩尾を踵で踏み、血塊を含んだ吐瀉物を吐く茶髪を掴んで口のピアスを引きちぎる代わりに、場所と日時、車椅子に乗せられていた利用者さん、周囲にいた職員の名前などを調べてメモしておいた。いずれ使うことになるが、次は我慢できないかもしれない。自信がない。


ある昼食時、男性の利用者さんが私の名を連呼していた。先輩方は「呼んでるよw」と笑っていた。無論、はい?なんでしょう?と近寄っても無反応だ。それでも離れてしばらくすると、また、私の名を連呼する。その日によって「~さん」だったり「~くん」だったり、呼び捨てだったりするが、いずれにしても、近寄って接すると大人しくなる。おそらく、何か用があったのだが失念してしまったのだろう。私は何も言わず、適当に肩を揉んだりして誤魔化す。また、ちゃんと話せる人は「肩治った?」とか「だいじょうぶか?」などと声をかけてくれる。先日など、女性の利用者さんだったが、私の左頬に吹き出物を見つけて「あんた、なんか出来てるから看護婦さんに診てもらいなさい」と頬を触りながら言ってくれた。もちろん、その吹き出物が無くなるまで、会う度に言ってくれるのだ。

オムツ交換をしていると、隣のベッドから「もぉ~!!」という大きな声がした。ベテランの女性職員さんだ。名前は忘れた。同時に利用者さんの叫ぶ声もする。暴れているのだ。

「もうぉ~~!!じっとしてや!」

そして、「うっわぁ~~!最悪~~!!」と聞こえた。聞こえただけではなく、臭いもしたから何が起こっていたのかはわかった。その後も不満を含んだ命令口調が続いた。ある男性職員はオムツを交換しようとした女性の利用者さんから顔を叩かれたとき「なにすんねん!おまえ!」と思わず怒鳴ってしまっていた。食事もそうだ。先ほどのベテラン女性職員は「きったなぁい~!なんで、こんな汚いことするの!」と怒声を浴びせていた。

でも、少し考えればわかる。自分で「すいません、ちょっとトイレに行ってきます」と言えて、自分で「いただきます。あ、これはホウレン草のおひたしですね」と言えれば、誰も好んであんたらの世話になどなっていない。新米ママさんが子育て奮闘、心にもない「もうぉ!やってられない!」を言ってしまうのとはわけが違う。これは賃金労働だ。しかも、通常の労働条件である。消防士が「火事ばっかりとかやってられねー」とは言わないのと同じで、魚屋さんが「魚の内臓とかチョーキモイ!」というのと同じく、つまりは仕事にならない。先日も浮腫がある利用者さんの患部を見ながら数人が囲み、「うわぁいたそー」とか「グロ~」とかやっていた。その利用者さんも認知症とはいえ耳も聞こえるし、何のことかはわかっている。お医者さんがメスを入れて「うわぁ~グロ~」とかやっていいなら、私は手取り17万円でいいと思う。つまり、その程度の価値しかない。


このブログにも登場している「男気のデフレ」こと、32歳の男性職員さん。私よりも1週間後に採用された人だ。今度、一緒に飲みに行くのだが、彼も私の右肩を案じてくれて、現場では色々と助けてくれる。終業時間が重なれば、相変わらず、走って私を追いかけてくる。先日はついに「缶コーヒー」を御馳走してくれた。その日も駅前まで送ってやって小一時間話すことになった。面白くない男だが、話くらいはしてやってもいい。

事務所にあるフェイルケースに名前が貼られてある。そこは個人用とされていて、必要な書類やら個人に向けた連絡事項などが放り込まれることになっている。若い子らはそこにタバコやら携帯電話やらを入れて、ちょっとした私物置き場と化しているようだ。そこにお菓子類が入れられていることがある。その日も、私の名を書いてある引き出しには、クッキーやらチョコレートやら饅頭やらが数個入っていた。誰がくれているのか知らないからお礼もできない。古い職員さんに問うと「お土産の類」だと言われた。気にせず、休憩のときなどに喰えということだ。また、引き出しはたくさんあるから、入っていない引き出しもあるのだという。つまり、優先順位がある。私の引き出しには数個ありました、と言ったら「人気者やねぇw」とからかわれた。腹が減っているように見えるんですかね?と答えたら「どうやろねw」と笑っていた。

車の中で「男気」に問うてみると、彼は「入っていたことがない」と傷ついた(笑)。しかも、自分の引き出しは目の高さにあって、書類等も少ないから開けやすいのに、と分析もしていた。そういえば、私の引き出際は机のすぐ上にあり、本人である私が未だに少し探すほどだ。

私は「その日に入っていた菓子類」を取り出し、見せびらかしてからかった。「なんでですか?」と悔しがる彼に私はジャンパーの前を開けて名札を指で示した。コレだョ。

「感情残像の法則」である。お菓子が10個あって引き出しが20あれば、どこかの10人の引き出しは空っぽとなる。また、次の人もいちいち引きだしを調べて入れたりしなければ、同じように優先順位を付けて配り入れることになる。もちろん、土産の菓子を配るくらいは無意識に近い状態だから、そのとき目に入った名前から入れることになる。そして、そこに認知している名があれば、無意識に選択してしまうことになる。すなわち、職場のボス格(笑)から中堅クラス以外は「どこでもいいや」となるから、私の名がある引き出しは「どこでもいい」というカテゴリーの上位に来るわけだ。

「なるほど、それで・・」と感心しかける彼にちょっとマテと、そんなお菓子のためにやっているんぢゃないと説明もした。そもそも「感情残像の法則」というのは認知症患者に対して使う医学用語だ。しかし、健常者にも同じ現象が起こっていることに、普段、我々はなかなか気付かない。フジテレビが「日本で最も好まれている鍋はキムチ鍋」とやったり、歌番組でもないのにK-POPとやらが頻繁にテレビ画面に出てくるのと似ているが、もちろん、マスメディアは失敗している。

「感情残像の法則」とは、その「感情」だけが残像のように繰り返して脳を刺激することをいうからだ。タレントが嬉しそうにキムチ鍋を喰っているのを見て、多くの人は「美味そう」とか「喰いたい」とか思うだろうが、逆説的に言えば、多くの視聴者の中には「またやってるぞ」という悪感情を抱く人もいる。ちゃんと「中身」を知ってしまえば、その番組やら局に対して不信感を抱くことになる。「キムチ鍋が食べたい」という主婦がいれば、「キムチ鍋」という文言を見ただけで拒絶して、今日は絶対に「湯豆腐」だと断言する主婦もいることになる。これは結局失敗に終わる。なぜというに、人間とは「嫌悪感」のほうが強く、濃く、深く、心に刻まれるからだ。「なんとなくキムチ鍋が喰いたい」と「絶対にキムチ鍋だけは嫌」ならば、コレは確実に後者が勝つ。

これは認知症患者でも同じだ。

私が胸に大きく名前を書いて、利用者さんに不愉快なことをし続ければ、私は仕事がやりにくくなる。何をするにも同意や協力が得られないわけだから、仕事は捗らないし、ミスや事故も増える傾向にある。それらはストレスの要因ともなるから、職場自体が嫌になってくる。ならば、今度は「嫌なことばかり」を数え始めるから、日常の不満が鬱積する速度が増す。酒は増えるしタバコも増える。些細なことで夫婦喧嘩したり、職場や家庭での人的トラブルも多々ありそうだ。自分に自信が無くなり、自暴自棄になるかもしれない。

すなわち、私がつけている「名札」は「好感情の増幅装置」なのだ。私は裏表なく利用者さんに接している自信があるから、私はそれが「誰なのか」を強調する。それでなくとも、私は体もでかいし目立つわけだ。これは有利なのである。

例えば、認知症の人の頬っぺたをつねったとする。もちろん、相手は痛がるし抵抗する。不快感を訴えるし、中には激しく怒る人もおろう。しかし、その症状からして、次の瞬間に「原因」だけが失念される。不愉快な気持ちの原因が思い出せない。残るのは「感情」のみだ、とされている。

しかし、である。

そんな上手い具合にボケてる人ばかりではない、というのが実際だ。「何を」の次は「誰が」がくる。この「誰が」までをすっかり失念する人ばかりではないのだ。

介護の現場で働いている人は思い浮かべて欲しい。利用者さんから殴られたり、噛まれたりする人は「ある程度の固定」がなされていないだろうか。もちろん、その日の状態によれば、相手が誰であっても憂い目に遭うことがあろう。私も噛まれたし、引っ掻かれた。しかし、さっきまで機嫌がよかったのに・・・?ということはないだろうか。

言葉使いが荒い者、無礼なことを躊躇わぬ者、扱いがぞんざいでいい加減な者、一見すると、介護の現場に慣れていて、仕事もソツなくこなす中堅クラスの職員に多くないだろうか。利用者さんは年上であり、人生の先輩だということをすっかり忘れ、まるで出来の悪い子供を扱うように接している、あるいは職場で個人的な不満を隠さず、不機嫌に振舞っていることが多い職員などが被害に遭うことが目立たないだろうか。

認知症の人に「否定的な言葉」を使ってはならない、というのは基本である。説明もダメだし、注意や説得もダメだ。これは感情がどうのということではなく、症状を悪化させるのだと介護職なら知っておかねばならない。これらが他の施設はともかく、とりあえず、私が世話になっている施設では守られていない。だから、昨日も噛まれていた(笑)。

この仕事をする上で基本的なことだが、一応、少しだけ書いておくと、だ。例えば、認知症の人に「不衛生にしていたら病気になるからお風呂に入りましょう」と言うのは10年の経験があっても素人だ。これは相手が健常者の不潔野郎に使う言葉だ。トイレに連れて行く際も、利用者さんが拒否すると「どうせ、後で漏らすから」などと言って連れて行く職員がいるが、20年の経験があっても素人と断ずるほかない。この仕事で金もらっているならば「不衛生」やら「漏らす」などというマイナスワードを使うな、というのだ。

驚くのは、リハビリを嫌がる利用者に対し「そんなこと言ってたら寝たきりになる」と説明している相談員やらケア・マネージャーなどがいることだ。どこでなにを学んできたのか聞きたくなる。「リハビリ」という言葉は「尊厳を復活させる」という意味でもある。単なる機能回復における運動療法ではない。利用者さんは当然、我々と同じように「ンなことになるか!ほっとけ!」となる。これはある意味で当然の反応ではないだろうか。

私の場合は単純だ。トイレに誘うときはそのまま言う。「トイレについてきて」と頼む。終われば「ありがとう」と言う。介護学校では「散歩の前に~などをつけましょう」とやるが、そうなればウソばっかりついてなければならないから精神衛生上よろしくない。それに、やっぱりバレる(笑)。入浴してもらう際も同じようなもので、お湯が湧きました、とか、いま、ちょうど入れますよ、などと言う。相手に「どーしようかな?」と考えさせることが肝要だ。もちろん、風呂上がりには「気持ちよさそうでいいですな」と声もかける。「良い感情」というのは「悪い感情」と比して残像が弱いが、それらを繰り返すことでキープすることも可能だ。無論、言うは易し、であるから大変だが、これらを試行錯誤することが仕事なのである。だからカネをもらっている。

また、相手が餓鬼ならば問答無用、親は「入れ」と言えばよろしい。「寝ろ」で十分だ。しかし、相手は年寄りである。スウェーデンの映画監督は「老年は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが、視野はますます広くなる」と言っているが、実にその通りで、自分よりも年を経ているわけだから、世間知らずで若輩者の私ごときが口から出まかせすれば、それはつまるところ「舐めている」わけである。命令口調などもってのほか、そんな無礼者は嫌われて当然だ。

そこで私は胸にカタカナで大きく名前を書いている。「覚えてもらおう」とする謙虚な姿勢を示しているつもりだ。そもそも、この仕事は利用者さんの持ちモノにまで名前を入れねばならないわけで、自分自身は「カッコ悪い」とか「個人情報が~」などという不細工な理由で名札も付けぬとは何様のつもりか。また、他の施設で実習中のとき、一緒にいた覚えの悪い実習生が「利用者さんの名前を覚えましたか?△○さん?」と詰められていたが、その指導員さんは「△○さん」の名を間違えていた。余所様の子供の名字を間違えておいて、名前を覚えましたかも何もないだろうと笑ったが、要するにそういうことで、先ずは「覚えたのか」ではなく「覚えてもらう」ことが大切だ。これは仕事に対する姿勢の問題だ。




「お菓子」をもらえなかった彼は、相変わらず、私の右肩を心配してくれていた。事実、レクリエーションの際、机を動かす作業を私に代わってやってくれた。ありがたかった。

それに彼は「介護器具」の専門家だ。私は不勉強で器具の名前も知らなかったりするし、レンタルのシステムも理解していないから、彼に教わることは少なくない。仕方がないから、私は右手の小指を見せて「実は動かない」のだと言った。とある自業自得の馬鹿な事故から55針も縫って、くっついているだけでも大したもんだと思う、と告白してから、車椅子などの修理は出来るのかと問うてみた。すると、なんとも「それなら得意です。前の職場でもヒマな時間はよくやってました」とのこと。私はメモをちぎって手渡した。

そこには各利用者さんの車椅子の不具合、トイレなどの手すりがぐらついている箇所、入浴介助の際に使用する器具のネジが悪くなっている、などが書かれている。私は右の小指が動かないし、実のところ、300円のザクが作れないほど不器用なのだと言って、それらの修理を彼に頼んだ。もちろん、通常の業務があるから、取りかかるのは仕事が終わった後になる。30分でも残ってやれば3日で終わる。やってくれたら居酒屋を奢ると言った。

3日後、彼の引き出しには「まんじゅう」がひとつあったそうだ。

5 コメント

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Unknown (苺大福)
2011-02-28 09:56:30
車椅子の件は厚生省、市町村に至急通報してください。老健局高齢者支援課、認知症・虐待防止対策推進室等に相談してください。事故が起きてからでは遅いです。

こんなDQN他にも何かやっているだろうし、これから何をしでかすかわかりません。死亡しなくても大怪我、辛い手術、寝たきり、気道切開で呼吸、胃ろう・・・おばあさんにとっては生き地獄です。

車椅子の使用は本当に気をつけて、気をつけて、気をつけていても、いろんな条件が重なった時に事故は起きるのに、これは酷すぎます。
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Unknown (久代千代太郎)
2011-02-28 19:25:50
>苺大福さん

そうか。通報という手がありましたね。


段取りします。私も怒ってます。
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Unknown (苺大福)
2011-02-28 21:48:22
>一瞬、正面から見た利用者さんの表情は恐怖で硬直していた。

傷害罪ですね。事故が起きていれば、笑ってた奴は現場傷害罪で罰せられたかもです。

このDQNチャラ男が夜間勤務の時に必殺仕置人が現れて、翌朝、DQNチャラ男が吊るされているのが発見されてもいいくらいの悪ふざけですね。
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Unknown (二代目弥右衛門)
2011-03-01 20:28:17
介護の現場を知ると、悲しくなってきます。

認知症になったり手足が不自由になることが、自分自身の尊厳まで足蹴にされるほど不幸になるなんて。

普通の感覚を失った人が増えたのか、それともこれが現実なのか・・・怒りを通り越してしまいます。


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Unknown (久代千代太郎)
2011-03-03 14:49:25
>苺大福さん

とりあえず、物の順序として施設長と現場主任に口頭と書面で報告しました。問題の改善、及び、周知徹底と当該者の処分を求めました。次に発見した際は問答無用で通報する、と告げました。相手は青ざめてましたが、本当に青ざめているのは利用者さんです。ったく。


おそらくは「仲間を売った」とか言われるでしょうが、私にはそんなの通じませんし、そんな連中「仲間」なんかじゃありません。

私の職場でありますから、職位とか関係なく、私の責任において、今後、このようなことは絶対に許しません。苺大福さんの「何か起きてからでは遅い」に、私も反省しました。その通りでした。ありがとうございます。

当該者の処分が民主党のように甘ければ、また対処いたします。私は離党も離職もしませんから(笑)、あくまでも「当事者」として妥協は致しません。これからもアドバイス、よろしくです。ありがとうございました。


>二代目弥右衛門さん

そうですね。今回の件でも「幻滅しました」と告げました。また、ブログにも書きますが、まあ、なんとも酷い有様です。でも、ちゃんとしたところもあるんですよ。結局、施設の指針ですね。ま、私は改善の専門ですから(笑)、及ぶ範囲は任せてください。

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