忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ぎょぎょ~~~!!」のはなし

2011年08月31日 | 過去記事
とある日の夜勤明けだった。前日、昼寝もできなかった私は、さすがにちょっと眠かった。私は最近、何もなくとも5時か6時には目が覚める。なにせ「初老」である。年寄りの朝は早いのである。つまり、その日は都合、30時間くらい起きていることになる。当然、頭も冴えないし、体中に疲労がまとわりつく、あの感じがあった。

こういう日は早く帰宅し、ゆっくりと熱めのシャワーでも浴びて、午前中ながら酒の肴を並べて一杯飲るに限る。録画していたテレビを見ながらもいいし、その日の朝刊を読みながらでもいい。私はさっさと帰り支度をしていた。

そこに大量のゴミ袋を運び出す職員さんがいた。公然と「阿呆呼ばわり」されている古いパートのおばちゃんだ。たしかに仕事の要領は悪く、機転が利くわけでもない。コンビで仕事をすると、気付けば私ばかりが疲れることになることもしばしば、だ。みんなはソレをとても嫌がるのだった。聞こえる声量と距離ながら「辞めればいいのに」「なんでいるのかわからない」などと言われながらも、その天性の鈍感力で数年間、今日も明日も職場に来るおばちゃん、仮に「藤井さん」としよう。

藤井さんは独りでゴミ出しをする。それはまるで「藤井さんの担当」のようだった。もちろん、施設の外にあるゴミ捨て場は「藤井さん専用」ではない。つまり、誰がやっても良いのだが、これがなかなか多いし重いし汚いし臭いし重労働なのだ。だから藤井さんが率先してやっていた。藤井さんは自分で「コレはわたしの仕事だから」と言いながら、今日も明日も大きな台車にゴミ袋を載せて、フラフラしながら運んで行くのだ。

帰り支度を終えた私はソレを見つけてしまった。ああ、もう、ということで、私もゴミ袋を手に持ち、藤井さんと一緒にエレベーターに乗り込んだ。すると、藤井さんは「ちよたろさんは夜勤明けでしょう?お疲れなのに、いいですいいです。帰ってください」と何度も言う。他の職員が「手伝うと言うのに、いらないと言うんです。ンじゃ、勝手にしろということで」と言っていたのを思い出した。私も何度か断られたが、その度に「私がやりたいんです。やらせてください」と強行に押し切り、半ば強引に手伝うこともあった。藤井さんはそういうとき、諦めたような感じで「じゃ、すいません」と言うのだった。

藤井さんの旦那さんはアル中だ。近所でも評判のダメ亭主らしい。先ず、40代から仕事をしていない。ずっと藤井さんが喰わせてきた。今は藤井さんと同じ50代半ばであるが、まだ家にいて酒を飲んでいる。藤井さんの給料日には小遣いをもらい、その金で駅前の酒場を飲み歩き、グダグダになったところを藤井さんが迎えに行く。店にも謝って金を払う。

それが元で娘さんも若くして家を出た。それから夫婦二人、二部屋しかない長屋で暮らしている。藤井さんは仕事を休まない。休んだら喰えない、と言う。そして藤井さんはゴミ捨て場で汗を流しながら、私がなにも問うていないのに「生活保護だけは絶対にお断り」だと宣言した。他人の世話にならず生きていくのが、自分のせめてものプライドなのだと。

私が感心と同情を示すと、藤井さんは笑顔で「でも、わたしがいなかったら旦那は生きていけないから」と言った。職場のことについても「わたしはそういうの気にしないから」とのことだ。そして―――「どうせ、わたしみたいなのは、どこ行ってもドン臭いから」とまた笑った。

自己評価が低く、自己愛、自尊心が乏しい。相手からの依存に対してのみ、自身の存在価値を見出す。間違いない。典型的な「共依存症状」だ。

世にある様々な依存症の周囲にいる家族はコレに陥りやすい。「アル中の妻」で「共依存症状」ならば、その旦那はアル中でないと困る。自分が支えていないと生きていけない対象が必要なのだ。だから依存症患者の回復、自律を拒む。藤井さんの旦那も強盗してまで酒は飲まない。嫁はんが金を渡す、酒を買ってくるから飲めるわけだ。

原因と責任。旦那がアル中になったのは仕方がない。しかし、それに対してアル中の妻なんかイヤだ、女に暴力を振るうのもイヤだ、自分ばかりが働いて、あんたを喰わせるのもイヤだ、酒は飲んでもいいけれど、ちゃんとあんたも働いて、共に家庭を守って、自分のことも大切にしてくれないとイヤだ、と言い続けないのは「自分の人生に対する責任放棄」である。それでも、どうしても酒を止めぬならば勝手にどうぞ、あんたと一緒になったのは失敗でした、自分は娘を連れて家を出ますから、と言うのが子を持つ親の責任、母親としての覚悟、そして女としての義務だ。

人間は苦労には慣れる。耐えられる。怖いのは変化だ。このアル中亭主が酒を断ち、心を入れ替えて真面目に働き、毎年の誕生日や結婚記念日に花束を抱えて帰宅する「変化」に応える自信が藤井さんにはない。自分の人生にはそんなことが起こり得るはずがない、と勝手に決めてしまっている。旦那はアル中で家庭は崩壊、娘は愛想を尽かして出て行ってしまうような人生が、くだらない自分の人生にはお似合いだというニヒリズムに陥る。

周囲がいくら、そんなことはない、あなたも幸せになっていいのだと言っても、あなたのような幸せ者にはわからない、あなたのような有能な人間には縁のない話、と悲劇の主人公を気取って悦に入る。だから常に、自分よりも劣っている人間をそばに置く。必要なのだ。アル中亭主が藤井さんを頼っているのではない。つまり、逆なのだ。



そんな藤井さんが、最近、一週間ほど職場を休んだ。東北に行ってきた、とのことだ。ボランティアのツアーに金出して参加、重機の入れない被災地の泥を掃除したり、ガラス片やコンクリート片を運んだりしたそうだ。朝は8時半から15時まで、びっしりと復旧作業を手伝って来た、と言う。もちろん、やらない善意よりやる偽善、大いに被災地のお役に立ったことだろう。御苦労さまである。


ところで、仕事場のテレビでも「民主党代表選」をやっていた。相変わらず、職場の皆様方は「なんで前原じゃないの?男前なのに」とか「子供手当くれるなら誰でもいい」という熱が出るレベルながら、一週間も仕事を休んで被災地にボランティアしに行った藤井さんに対しても「阿呆や。阿呆」と手加減なしだ。中には「被災者が羨ましい」と言う人もいた。耳を疑った私は理由を問うた。



「タダでモノもらえるやん」―――民主党が政権交代を果たすはずだ(笑)。

「借金も無くなるわけやろ?」

い、いや、それはどうでしょう・・・?

「借家の人なんか得やんか。国から金もらえるし。儲かるやん」

ま、自分の財産ではないでしょうが、なかなか、どうでしょう・・?


藤井さんは無反応だ。いや、よく見ると薄ら笑いが浮かんでいた。






夕方、私はまた藤井さんと一緒に、大量のゴミ袋を積んだエレベーターに乗り込んだ。しかし、

「いいですいいです。ちよたろさんは、わたしと違って、他にやることもあるし」

藤井さんはまたそう言った。


私はあっさりと、あ、そういえばそうですね、私にはいろいろとやることがありましたね、藤井さんと違ってね、と言ってからエレベーターを出た。エレベーターの扉が閉まる瞬間、藤井さんはさばさばした表情で、台車に積まれたゴミ袋をパンパンと叩いていた。

その様子を見ていた他の職員が、嬉しそうな顔で私に「どうしたの?」と問うてきた。私がその職員の期待通り「いや、なんか、断られたから、もう、いいかと・・」と言ってみると、でしょう!!と我が意を得たり、あの人はそうなんですよ、と納得していた。

その職員はなぜだか、私と共通の価値観を有したと勘違いし、それからも藤井さんの話ばかりしてきた。どれほど、藤井さんがダメ人間で無能であるか、要領が悪く、すっとボケていて、不器用でドン臭く、鈍感でせこくて、気持ち悪くてウザいのか、を延々と話だしたから、私は手で静止してから次のような話をした。

『クリスマスクラブ、というカニがオーストラリアにいます。このカニは産卵する際、わざわざ森に移動して卵を産みます。理由はわからないそうです。もちろん、その産卵の旅でたくさんのクリスマスクラブが死にます。外敵にも襲われるし、海に戻れないこともあります。生まれた子供のカニも海に辿り着けず、ほとんどが産まれた森で死ぬそうです。また、このクリスマスクラブ、と実際のクリスマスには何ら関係がないそうです。おまけに、このカニは人が食べることができません。食用に適していないそうです』

さて、この話をここまで聞いて、あなたの感想を教えてください。

①;どーでもいい
②:どーでもいくない

無論、職員さんの答えは「①」だった。つまり、私の今の感想と同じです、それではそういうことで、と相手の話の腰を風車式バックブリーカーでへし折った。私はちょっと機嫌が悪かった。






着替えて施設を出ると、駐車場近くに藤井さんを見つけた。原付バイクにまたがったところだった。私はエレベーター内で聞きそびれたことを聞いてみた。




東北のボランティア、どうして行ったんです?




藤井さんは「一週間も休んですいませんでした」と改めて詫びたあと、あんなことがあって可哀そう、自分みたいな人間でも何かの役に立てるかも、家族も家も流されて打ちのめされているだろうから―――まあ、そんなところが返ってきた。



被災地の方々、避難所の方々は絶望してましたか?



藤井さんはしばらく考えたあと、表には出さないけど、とても悲しいはずだと言った。



もちろん、それはその通り。しかし――――



で?藤井さんはどうでした?行く前と行ったあと、感想は?私からすれば、とても元気に、明るくなったような、以前にも増して動じない強さ、みたいなものを感じるんですが?



藤井さんは原付バイクのスタンドを立てた。そして、その表情からは警戒心が消えて、ぱっと明るくなった。案の定だった。


元気がもらえた、パワーが戻った、人間は凄いと思った、などと言った。


そして、不思議、だとも。



――――不思議ですか?そうですかね?



藤井さんは、またちょっと警戒した。



『現状を何とかしよう、と思っている人は強いからです。強い人は周囲にも影響するんです。良い影響です。そして、その“なんとかする”という決意は、現状を否定する強さのことです。なんでこんな不便なんだ、なんでこんなに悲しい思いをしなきゃなんないのか、よし、絶対に前のような便利で快適で安心な生活を取り戻して見せるぞ、という決意なんです。被災者の中に、どうせ自分は被災しても仕方がない、自分に復旧する資格なんてない、でも絶対に国や地域、企業やボランティアの世話になんてならない、それはダメな自分のせめてものプライドだ、という人はいませんね。それは問題がリアルに過ぎるからです。それは喰い詰める、生きていけないかもしれない、というリアルです。甘いこと言っている余裕が無いんです。だから、そこには本物の強さ、本当のパワーがあったんです』


『藤井さん、あなたは100%良い人です。良すぎるんです。今日、藤井さんはまた、私がゴミ捨てを手伝おうとするのを断りましたね。私には罪悪感が芽生えました。藤井さん、あなたの所為です。周囲の人も同じなんです。そしてね、人は自分の中に芽生えた罪悪感を正当化するために、藤井さんは変わった人だ、という刷り込み、自己暗示が必要となります。それを職員が共有し合うんです。人間は弱いから、です。自分は間違っていない、悪いのはあの人だ、という共通認識が欲しいんです。つまり、周囲の近しい人は“この人はこうなんだ”と納得するしか、自分を正当化できないんです。これがもっと酷く、近く、長くなると――』


『――――わかりますね?』


『自分はダメだという人のそばにいれば、ましてや、その人が大切な人だったとすれば、です。自分はもっとダメにならないとバランスが取れない。だから必死にダメになろうとします。人の嫌がることも率先する、不遇な環境に文句も言わず、ひたすらに明るく勤める良い人過ぎる人が、常に自分なんかダメだと言っていれば、その人に迷惑をかけている、その人に甘えている自覚がある人からすれば、その人は自分がもっとダメじゃないと理屈が合わない。職場の人間関係如きならば、私も他の職員と同じく、あなたは“変わった人だ“で済みますがね、人間にはそれで済まない大切な人もいます。私にも命より大切な人がいます。だから、私は、自分をダメだとは言いません。ダメだと思うなら“なんとかする”だけです』





それじゃあ、お疲れさまでした、と私は駐車場のほうを向いた。あ、それと、




『ひとつだけ、職場の仲間として約束して下さい。次からは決してゴミ捨ての手伝いを断らないと。どうか、私を助けると思って。もちろん、無理なときはお願いします。いいですね?』




翌日、藤井さんがエレベーターの前で「ちよたろさん、いま、手は空いてますか?」と問うてきた。顔は真っ赤だった。私は「すいません、いま、ちょっと無理です。お願いします」と言った。周囲にいた職員は「ぎょ」っとした。私はその「ぎょ」っとしているヒマそうな職員に、ということで、それではお願いします、と言った。「ぎょ」っとした職員は「ぎょ」っとしたままゴミ袋を持った。


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