■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 1
「理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 心の駒の行くにまかすな」
日新公(島津忠義)の「いろは歌」の「り」である。意味は、道理も法も乱れた世の中であっても、我儘勝手に振舞うのではなく、こういうときこそちゃんとやろうぜ!という意味だ。・・・まあ、アレだ、言うは易しであるが。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=17073
<菅副総理、小沢幹事長、連合結成20周年レセプションに出席>
大阪の入国管理局が奈良県の高校に通う支那人姉妹に「国外退去」を命じた。それを取り消すようにと大阪地裁に訴えた支那人だったが、最高裁で敗訴が決定したにもかかわらず、千葉法相による「在留特別許可」を得て強制送還を免れた。つまり、法相が「法律などどーにでもなる」と証明してしまった。人権擁護の観点からならば、如何なる無茶も罷り通る世の中になった。そして間髪入れずに独裁コンボ発動である。今度は副総理だ。
<国会で多数の議席をいただいた政権党が、立法府でイニシアチブを取るだけではなく、内閣も組織する。あえて言えば、立法権と行政権の両方を預かる。そして4年間のなかでその結果を、次の選挙で国民の皆さんに審判をいただく、そういうかたちの鳩山政権が誕生したことによって、これまでとは全く風景の違う政治の姿になった>
モンテスキューも開いた口からカイワレ大根が出るのではなかろうか。三権分立とは「国民の政治的自由を保障するもの」であるのに、このカイワレは「圧倒的支持を得たから」という理由で立法と行政を好きなようにすると明言しているわけだ。さらに千葉というオバハンは法相でありながら、己の薄気味の悪い解釈で法を曲げて嬉々としている。さすがは日本人を拉致した実行犯を「釈放しろ」と署名した「心優しい」コンビである。
「2」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 2
ふと、青山繁治氏の「国民が責任者です。政治の責任も、最後に責任を取るのはこの国の主役である日本国民なんです。」という言葉が改めて痛烈に響く。私にはまだ選挙権はないが、これも特別永住者として「連帯責任」ということで迷惑を被るわけだ。子供手当もないしね。どこかに在日特権が落ちていないか探しそうになる(笑)。
また、多くのマトモな日本人が「民主政権になったら大変なことになる」と憂いていたとおり、新しい友愛総理は国会で審議もせず耳触りの良い言葉を連呼して、自国の国益のみを考える諸外国の「マトモな政治家」を喜ばせている。とくに特定アジアからは大絶賛、日本国内の売国マスメディアからも大歓迎である。
まさに日本国民に対する「経済制裁」発動。一回だけの定額給付金にすら「所得制限を設けろ」と反対していた政党が、与党になったら0歳から15年間も「所得制限なし」で定額給付金の倍額以上を気前よくばらまくらしい。
もちろん、その金は民主党の金ではなく、全額が我々の血税から捻出される。友愛総理が言いたかっただけの温室効果ガス25%削減も、要するに「日本人だけ」に負担を強いるものだし、中小企業をゾンビ化させる「モラトリアム法案」で金融株が下がれば「脆弱。銀行を営む資格がない。」と言うぶっ飛び死刑廃止論者を諭すこともできず、主権に関する重大法案も「愛のテーマ」と斬り捨てる。外国人地方参政権も「日本は仏教の国」だから懐を深くしろと説教を垂れる始末だ。
「3」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 3
しかし、なぜだか支持率は8割近い「圧倒的支持」である。八ヶ場ダムを造るのか止めるのかと同じく、世論調査ではその他の公約も含めて「賛成を反対が上回る」数字が出るという不思議な政権となっている。マスコミは「マニフェスト選挙」だと揶揄したが、その結果、308議席を確保し「圧倒的支持」を受けたはずの「民主党マニフェスト」は支持されていないのだ。また、前政権政党ならば一発でぶっ飛ぶような問題発言や、失言を通り越してもはや暴言ではないかと思うほどの発言もマスコミはスルー。あの「田母神論文」での騒ぎを彷彿とさせる徹底的、且つ、意図的な過熱報道と報道規制を繰り返し、それはもう、露骨過ぎて批判するのも怖くなるほどであった。
あのゴミのような「村山談話」をして、「友愛外交」などと不気味な文言を好んで使う友愛総理が踏襲することは当然ながら、「行動を伴わせる」という、いったい何をどうするつもりなのか空恐ろしくなるようなことも外相の口から飛び出し、友愛総理は初の外国訪問の地・韓国に夫婦そろって出かけて行ってキムチを喰い、マッコリで乾杯して怪しげな約束を勝手にしてくる。お陰で少し批判的だった朝日新聞の信頼も回復したようだ。ちゃんと社説で褒めてくれている。民主支持者は大いに喜べ。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<日本と韓国―歴史を直視して、前へ>
友愛外交のデビューを「上々の滑り出し」と評価されている。
「4」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 4
理由はもちろん、「村山談話」だ。
<鳩山首相が強調したのが、戦後50年にあたる1995年に出した「村山談話」だ。「談話を(日本の)政府・国民がたいへん重要だと理解することがまず非常に重要だ」とした。談話重視は当然のことだし、それを隣国で発したことを評価したい。>
保守政党であった自民党を内部から喰い尽した「悪魔の談話」である。この腐った談話に引きずられて自民党のアイデンティティは、日米安保を認め、自衛隊を認めた社会党のアイデンティティと共に瓦解した。政治的なイデオロギー(観念形態)だけではなく、日本を日本国として「独立」させる「手段」すら放り出して、政権与党であるがためにはなんでも差し出すという癖がついた。下野した辛苦を思い出したくもないという理由が正当化され、怪しげなカルト宗教による組織票すら欲しがる「現実主義」が大手を振り、ついには「田母神論文」で「現役の航空幕僚長を即断で切る」という最悪の愚を犯して麻生内閣は泥の中に沈んでしまった。その諸悪の根源が「村山談話」である。
朝日新聞が後生大事にするはずだ。その「亡国の談話」を前面にぶら下げて反日国を歩く友愛総理が褒められないはずもない。自民党と社会党の「腐った妥協」であり「亡国の折衷案」と思しきゴミのような談話を誇らしげに掲げる友愛総理は「故人献金」の問題も、そろそろ朝日新聞が許してくれるかもしれないと期待してよい。
この後もこの薄気味の悪い社説は不気味な文章を続けるのだが、およそ文章でメシを喰っているとは思えぬ一文を書いてしまう。これだ。
<来年は日本が朝鮮半島を植民地として併合してから100年である。>
無理矢理に「併合」まで入れ込むから阿呆みたいになっている。こんな日本語はない。
「5」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 5
辞書を引くまでもない。「植民地」とは「従属関係」である。経済であれ武力であれ「支配されること」を前提としている。比して「併合」とは国際法に基づき「合意の上」というのが前提である。そして、日本が1910年に韓国を併合した際、国際社会のどこからも反対されなかったことはもはや常識であろう。腐れ売国左派は意図的に「委任統治」や「植民地統治」、あるいはこのように「併合」などという峻別を避ける傾向があるが、これは日本人を馬鹿にしているのだ。「どうせ、同じようなものだ」と馬鹿にしているのである。
また、私はこれを在日韓国人というスタンスからも批判してみたい。つまり、韓国を馬鹿にしているのである。朝日新聞は韓国のことを「従属関係を合意した」と書いているのだ。自ら首輪を持って「つないでくれ」と頼んだと言い捨てるに等しい無礼な文章なのである。朝日新聞には謝罪と賠償を求めたい。私の心は深く傷ついた。私の人権侵害である。
ま、でも、許してやろう。理由はこうだ。
「ぬす人はよそより入ると思うかや 耳目の門に閉ざしよくせよ」
「いろは歌」の「ぬ」だ。意味は、盗人は外から来るばかりではない。それよりも自分の耳や目から入ってくる妙な情報に心を惑わされぬよう、戸締まりは己の心にせよ、ということだ。だから我が家は朝日新聞を取らない。拡張員が来て「結構です」の一言で帰らぬ場合は問答無用で警備会社を呼びなさいと妻にも言ってある。たまには来い(笑。
「理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 心の駒の行くにまかすな」
日新公(島津忠義)の「いろは歌」の「り」である。意味は、道理も法も乱れた世の中であっても、我儘勝手に振舞うのではなく、こういうときこそちゃんとやろうぜ!という意味だ。・・・まあ、アレだ、言うは易しであるが。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=17073
<菅副総理、小沢幹事長、連合結成20周年レセプションに出席>
大阪の入国管理局が奈良県の高校に通う支那人姉妹に「国外退去」を命じた。それを取り消すようにと大阪地裁に訴えた支那人だったが、最高裁で敗訴が決定したにもかかわらず、千葉法相による「在留特別許可」を得て強制送還を免れた。つまり、法相が「法律などどーにでもなる」と証明してしまった。人権擁護の観点からならば、如何なる無茶も罷り通る世の中になった。そして間髪入れずに独裁コンボ発動である。今度は副総理だ。
<国会で多数の議席をいただいた政権党が、立法府でイニシアチブを取るだけではなく、内閣も組織する。あえて言えば、立法権と行政権の両方を預かる。そして4年間のなかでその結果を、次の選挙で国民の皆さんに審判をいただく、そういうかたちの鳩山政権が誕生したことによって、これまでとは全く風景の違う政治の姿になった>
モンテスキューも開いた口からカイワレ大根が出るのではなかろうか。三権分立とは「国民の政治的自由を保障するもの」であるのに、このカイワレは「圧倒的支持を得たから」という理由で立法と行政を好きなようにすると明言しているわけだ。さらに千葉というオバハンは法相でありながら、己の薄気味の悪い解釈で法を曲げて嬉々としている。さすがは日本人を拉致した実行犯を「釈放しろ」と署名した「心優しい」コンビである。
「2」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 2
ふと、青山繁治氏の「国民が責任者です。政治の責任も、最後に責任を取るのはこの国の主役である日本国民なんです。」という言葉が改めて痛烈に響く。私にはまだ選挙権はないが、これも特別永住者として「連帯責任」ということで迷惑を被るわけだ。子供手当もないしね。どこかに在日特権が落ちていないか探しそうになる(笑)。
また、多くのマトモな日本人が「民主政権になったら大変なことになる」と憂いていたとおり、新しい友愛総理は国会で審議もせず耳触りの良い言葉を連呼して、自国の国益のみを考える諸外国の「マトモな政治家」を喜ばせている。とくに特定アジアからは大絶賛、日本国内の売国マスメディアからも大歓迎である。
まさに日本国民に対する「経済制裁」発動。一回だけの定額給付金にすら「所得制限を設けろ」と反対していた政党が、与党になったら0歳から15年間も「所得制限なし」で定額給付金の倍額以上を気前よくばらまくらしい。
もちろん、その金は民主党の金ではなく、全額が我々の血税から捻出される。友愛総理が言いたかっただけの温室効果ガス25%削減も、要するに「日本人だけ」に負担を強いるものだし、中小企業をゾンビ化させる「モラトリアム法案」で金融株が下がれば「脆弱。銀行を営む資格がない。」と言うぶっ飛び死刑廃止論者を諭すこともできず、主権に関する重大法案も「愛のテーマ」と斬り捨てる。外国人地方参政権も「日本は仏教の国」だから懐を深くしろと説教を垂れる始末だ。
「3」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 3
しかし、なぜだか支持率は8割近い「圧倒的支持」である。八ヶ場ダムを造るのか止めるのかと同じく、世論調査ではその他の公約も含めて「賛成を反対が上回る」数字が出るという不思議な政権となっている。マスコミは「マニフェスト選挙」だと揶揄したが、その結果、308議席を確保し「圧倒的支持」を受けたはずの「民主党マニフェスト」は支持されていないのだ。また、前政権政党ならば一発でぶっ飛ぶような問題発言や、失言を通り越してもはや暴言ではないかと思うほどの発言もマスコミはスルー。あの「田母神論文」での騒ぎを彷彿とさせる徹底的、且つ、意図的な過熱報道と報道規制を繰り返し、それはもう、露骨過ぎて批判するのも怖くなるほどであった。
あのゴミのような「村山談話」をして、「友愛外交」などと不気味な文言を好んで使う友愛総理が踏襲することは当然ながら、「行動を伴わせる」という、いったい何をどうするつもりなのか空恐ろしくなるようなことも外相の口から飛び出し、友愛総理は初の外国訪問の地・韓国に夫婦そろって出かけて行ってキムチを喰い、マッコリで乾杯して怪しげな約束を勝手にしてくる。お陰で少し批判的だった朝日新聞の信頼も回復したようだ。ちゃんと社説で褒めてくれている。民主支持者は大いに喜べ。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<日本と韓国―歴史を直視して、前へ>
友愛外交のデビューを「上々の滑り出し」と評価されている。
「4」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 4
理由はもちろん、「村山談話」だ。
<鳩山首相が強調したのが、戦後50年にあたる1995年に出した「村山談話」だ。「談話を(日本の)政府・国民がたいへん重要だと理解することがまず非常に重要だ」とした。談話重視は当然のことだし、それを隣国で発したことを評価したい。>
保守政党であった自民党を内部から喰い尽した「悪魔の談話」である。この腐った談話に引きずられて自民党のアイデンティティは、日米安保を認め、自衛隊を認めた社会党のアイデンティティと共に瓦解した。政治的なイデオロギー(観念形態)だけではなく、日本を日本国として「独立」させる「手段」すら放り出して、政権与党であるがためにはなんでも差し出すという癖がついた。下野した辛苦を思い出したくもないという理由が正当化され、怪しげなカルト宗教による組織票すら欲しがる「現実主義」が大手を振り、ついには「田母神論文」で「現役の航空幕僚長を即断で切る」という最悪の愚を犯して麻生内閣は泥の中に沈んでしまった。その諸悪の根源が「村山談話」である。
朝日新聞が後生大事にするはずだ。その「亡国の談話」を前面にぶら下げて反日国を歩く友愛総理が褒められないはずもない。自民党と社会党の「腐った妥協」であり「亡国の折衷案」と思しきゴミのような談話を誇らしげに掲げる友愛総理は「故人献金」の問題も、そろそろ朝日新聞が許してくれるかもしれないと期待してよい。
この後もこの薄気味の悪い社説は不気味な文章を続けるのだが、およそ文章でメシを喰っているとは思えぬ一文を書いてしまう。これだ。
<来年は日本が朝鮮半島を植民地として併合してから100年である。>
無理矢理に「併合」まで入れ込むから阿呆みたいになっている。こんな日本語はない。
「5」へ
■2009/10/10 (土) 「ぬ」の話 5
辞書を引くまでもない。「植民地」とは「従属関係」である。経済であれ武力であれ「支配されること」を前提としている。比して「併合」とは国際法に基づき「合意の上」というのが前提である。そして、日本が1910年に韓国を併合した際、国際社会のどこからも反対されなかったことはもはや常識であろう。腐れ売国左派は意図的に「委任統治」や「植民地統治」、あるいはこのように「併合」などという峻別を避ける傾向があるが、これは日本人を馬鹿にしているのだ。「どうせ、同じようなものだ」と馬鹿にしているのである。
また、私はこれを在日韓国人というスタンスからも批判してみたい。つまり、韓国を馬鹿にしているのである。朝日新聞は韓国のことを「従属関係を合意した」と書いているのだ。自ら首輪を持って「つないでくれ」と頼んだと言い捨てるに等しい無礼な文章なのである。朝日新聞には謝罪と賠償を求めたい。私の心は深く傷ついた。私の人権侵害である。
ま、でも、許してやろう。理由はこうだ。
「ぬす人はよそより入ると思うかや 耳目の門に閉ざしよくせよ」
「いろは歌」の「ぬ」だ。意味は、盗人は外から来るばかりではない。それよりも自分の耳や目から入ってくる妙な情報に心を惑わされぬよう、戸締まりは己の心にせよ、ということだ。だから我が家は朝日新聞を取らない。拡張員が来て「結構です」の一言で帰らぬ場合は問答無用で警備会社を呼びなさいと妻にも言ってある。たまには来い(笑。