忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「GO TO JAIL」なのは誰か。

2011年06月23日 | 過去記事

「群集心理」を書いたフランスの心理学者、ギュスターヴ・ル・ボンはその著書の中で「選挙上の群衆」から選出される候補者が備えていなければならない要因として「人格的威厳」を挙げている。また、それが無い候補者は「資産による威厳」しかない、とも断じている。産業革命以後の世界は「技量も天才も成功の要素ではない」とのことだ。さすがは20世紀の心理学に影響を与えた人物である。平成の日本の群集心理にもそのまま通じている。

また「人格的威厳」とはいえ、これは本当に人格者である必要などはない。必要な「威厳」とは、少々、強引にでも己の意見を押し通すことが出来る「強さ」のようなものだ。日本の政治家が本能的に、二言目には「ぶれてない!」とか言うのもこの所為で、強引でワンマン、良くも悪くもリーダーというよりはボスの称号が似合う政治家が頭の中に何人か浮かぶことだろう。

そして「資産による威厳」も、どうやらそのままの意味ではなさそうだ。これも本物、つまり「資産を築いた資産家」である必要はなく、ちょうどいいのは「親が持ってた」というレベルの、いわゆる「お金持ち」であれば問題ない。「裕福な家庭で育ったものですから」と人前で話せるレベルのアレがちょうどいい。これも記憶に新しいところだ。

また、ギュスターヴ・ル・ボンは「とくに労働者や農民からなる選挙人が、その代表者として同輩の一人をめったに選ばないのは、自分たちと同じ階級から出る候補者には少しも威厳を感じないからである」と書く。これもなるほど、だ。

要するに妬みだ。安モンの職場で声がでかいだけ、相手にするのが邪魔臭いだけ、という人間が、結果的にその職場の中でイニシアチブを取ってしまうのと同じようなものだ。つまり、腹が減っていない群集というモノは、ちゃんと心の底で「軽蔑」することが出来る候補者を選んでしまうわけだ。それは摩擦やら軋轢を避けた結果として、あるいは、どうにでもなりそうな馬鹿を面白がって使う感覚である。


ホリエモンが東京高検に出頭した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110620/crm11062018020025-n1.htm
<GO TO JAIL」に企業憤慨 堀江Tシャツ「イメージ良くない」>



そういえばホリエモンは選挙に出たことがある。それは2005年の郵政選挙、自民党からだ。本人は「無所属だ」と言いながら、出馬会見は自民党本部で行う、という意味不明だった。選挙区は「広島6区」で対立候補は亀井静香だった。自民党も公明党も候補を立てず、彼は実質、いわゆる「刺客」として扱われたが、結果は惨敗。メディアも「小泉劇場」を次から次へと報じ、ホリエモンの選挙応援には竹中やら武部やら、当時の自民党の大物幹部が駆けつけてもダメだった。自民公明が圧勝の雰囲気の中、ホリエモンだけは形振り構わず「比例は公明党に!」と連呼する始末。戦い方も負け方も無様なものだった。

ホリエモンは「金で買えないものありますか?」と言って、金で買えないモノをたくさん持っている人らから唖然とされたが、亀井静香に及ばぬ「3万票と少し」を買うことは出来なかった。そしてまた、今回、金で買えなかったのか金がなかったのか知らないが、出頭して収監されるというのもどうにもできなかった。やれたのはモヒカンと馬鹿みたいなTシャツを着ることだけだった。

カネボウの担当者は<ブラックジョークのつもりかもしれないが大変遺憾だ。『JAIL』という言葉と一緒に書かれ、イメージも悪い>と憤り、SMBC日興証券の広報担当者は<なんらかのアピールのつもりなのかもしれないが『なぜ』という感じだ>と困惑しているが、相手はホリエモンであるから、それはブラックジョークでもアピールでもなく、単に「オレが捕まるなら、他にも捕まるのがいるだろう」と言いたいだけ、だ。未だに自分のやったことへの理解が出来ていないわけだ。

結果的に、最終的に勝てばいいと、そのために少々、ルールを逸脱しただけじゃないかと、オレは頭を使ったんだと、人脈を使ったんだと、未だに世の中を「負け組」としかみれていないのである。選挙で負け、商売で負け、駆け引きで負け、パワーゲームに負け、これほど負け続けていながら、まだ、彼はモヒカンにして人前で話す余裕がある。

これを「粘り強い」と評する声もあろう。現在の管直人をして「簡単に辞めない総理」と評する妙な声も小さいながらあるように、だ。少し前に流行った「鈍感力」とか言いたい人もあろう。毎度毎度「閉店セール」と看板を飾って商売する雑貨店のようなもので、客が「本当に閉めるの?」と問うと「ええ、いつかは閉めますw」と応える商魂逞しきバッタ屋を評価する人もいることだろう。しかし、だ。

2005年、ホリエモンは亀井静香に勝てなかった。そしてそれは、ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」による「資産の威厳」が「人格的威厳」に負けただけ、と言ってみることもできよう。「金で買えないものありますか?」という人間が人格者なわけはないし、ホリエモンは群集に好まれる「資産の威厳」の条件、すなわち「親が持っていた」わけでもなく、結果的には「自分で築いた資産」であったから負けたのであり、群集はホリエモンの「天才と技量」に嫉妬した―――とみているのは、おそらくホリエモン本人だけだろう(笑)。だからモヒカンで笑っていられるのである。

対する亀井静香はどうか。ホリエモンと比して「人格者」とする人が多いのも想像できる。そして、やはり、ここにギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」はあてはまることになる。

先ず、個人的主観から言わせてもらうと、人道的、且つ、人権擁護の観点からなる「死刑廃止論者」に本当の人格者などいない(笑)。被害者の人権どころか人命までを奪う加害者の人権に配慮する、というのは、どこまでいっても根本的に論理が瓦解しているからだ。

ま、それはともかく、ならば、亀井静香は群集が求める「ゴリ押しの強さ」があるか否かとなれば、これまた、いささかの疑問も残る。その要因は言うまでもなく、国民新党が連立政権となってからのお粗末さであるが、2005年当時の亀井静香はともかく「郵政民営化反対」という信念を貫いた。群集、当時の広島6区の有権者は、これをホリエモンと並べてみることが出来た。「単純比較」することができたわけだ。だからテレビ屋が担ぐ「変なの」を落として、不利な条件を受け入れて尚、堂々と信念を曲げぬ亀井静香を当選させた。

亀井は群集が好む「インチキ人格者」ではなく、市井の人々が普通に「真似できない」と思った「本当の人格者」だと判断された。少なくともその当時は、だ。

また、ホリエモンとは「自分で資産を築いた資産家」なのかもしれないが、多くの群衆からすれば「親が持ってただけ」と同様、尊敬し難い人物でもあったかもしれない。しかしながら、それは群衆が好む「インチキ金持ち」ではないと判断された。それはやはり、その手段に原因があった。ホリエモンはその手段のためにいま、東京高検に出頭したわけだ。

日本人は「手段」に拘る民族だ。「手段」を問う民族なのである。だからもし、ホリエモンが鳩山由紀夫のような「資産家」であれば、時流の勢いもあった2005年、優先反対の総大将であった亀井静香を破っていたかもしれない。メディアで「恵まれた環境で株取引しましたから」と言えるホリエモンならば、ギュスターヴ・ル・ボンの説通り、ある意味では「本当の人格者」かもしれない亀井を討った可能性は否定できない。テレビも自民党の過去の大物もそれを予測していたはずだ。だからこそ、亀井静香がいる広島6区の「刺客」として立った。小泉連立政権は圧勝したが、あのときは敵の本陣でこそ勝たねばならなかったはずだ。

つまり、ホリエモンは妬まれたわけでもなく、馬鹿にされたわけでもなく、単に嫌われたのだとわかる。面白がって「やらせてみようぜ」という群集心理から当選したタレントやスポーツ選手は数多いるが、ホリエモンは群衆から「面白くない」「なんかむかつく」と判断されて切られたのである。

ということで、実のところ日本の有権者も捨てたものではないのだが、難儀なのが今の現総理だ。民主党の代表というのは「群集」が選ぶわけではなく、在日外国人を含む正体不明のサポーター票も含まれ、さらには素性の怪しげな民主党議員多数が選ぶわけだから、ギュスターヴ・ル・ボンが「群集心理」の中で危惧した「選挙上における群集の一般性質」すら超越する危険が潜んでいる。その結果が、例えば菅直人だ。

菅直人も、もちろん、その前の総理も危険な群集心理からなる「面白くない」もクリアしている。そのお陰で日本は2年ほど、笑えないレベルにある。もし、ホリエモンが当選して「北朝鮮と国交正常化する」と言い出し、ズルで儲けるしか能のない頭で「金で拉致問題解決して何か悪いですか?」とか言いながら、やっぱり軽く金正日に騙されて、1兆円ほどの血税をドブに捨てたと想像するよりも恐ろしい現実が続いている。

菅直人は「顔が見たくないなら法案を早く通せ」と機嫌良く馬鹿を言っている。議会制民主主義を根本から愚弄する暴言である。「ケーセッキ(犬の子)」という侮蔑語がある国からやってきた帰化人が、日本人の娘を犬の子に、日本人の女性を犬の妻に、その兄は黒人にして馬鹿にしているCMを日本で流しながら「粘り腰、土俵際の粘りが凄い」と管直人を持ち上げている。


国民投票で脱原発のイタリアは原発マフィアではなく「グリーン・マフィア」が大忙しだ。クリーンでグリーンなポピュリズムにうっとりしている間にイタリア国民は「生殺与奪の権利」をフランスに持って行かれる。イタリアのグリーン・マフィアは「ウィンド作戦」とかで風力利権を貪る。もちろん、日本では朝鮮人コンビが「ソーラー作戦」を展開させる。流行の「脱原発」に迎合しただけの管直人と、根っから「金儲けリアリスト」の孫正義が日本でタッグを組む。支持率を上げたい、人気を回復したい、総理大臣を辞めたくない菅直人と、補助金と全量買い取り制度で儲けを出したい、エネルギービジネスで未来永劫、日本の国でイニシアチブを取りたい孫正義の利害は完全に一致している。孫はそのためなら「韓国の原発は安全だが日本の原発は危険」という無茶も言う。

これはエネルギー問題でもなければ脱原発も原発推進も関係ない。我々は思い出さねばならない。人権を言う連中がいちばん、人権侵害を平然と行うこと、平和を言う連中がいちばん、平和を脅かすということ。大震災と原発事故が反日と売国に利用されているということ。平成23年6月、いま、日本は本当の危機の直前にある。

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