ちょっとおいとまいたしておりました。
年末は何であんなに忙しいのでしょう?
話を続けましょう。
うーん、表札なのですが、なんと読むのでしょう? インターホンで聞けばよかった? カメラ持たすと小心者になる私なのでした。
柳生***と書いてあります。剣術の道場か何かだったのでしょうか?
3文字をつぶすことによって、道場名が表札に変わる、ちょっとした発見です。
柳生……、と書くと、小島美ゆきというエッチなお姉さんが出ていた実写版「ハレンチ学園」を思い出します(笑)。
その近くにあった柳生さん。こちらにお住まいなのでしょう。立派なお屋敷でした。
隣の駐車場に申し訳なさそうに立っていた柳です。
そういえば、子規の句には柳の出てくるのも少なくなかったっけ?
非常に見にくいのですが、角物件。こちらは角に玄関を設けているようです。
下に蛍光灯を持っていったら点くかな?
なにげに撮ったのですが、1枚目下に降りる階段がない!?
一種のバルコニー化してるのでしょうか。
廃アパートのようですね。場所は日暮里、こんなアパートに住んでみたいものです。
鶏頭の十四五本もありぬべし
というのは、子規晩年の代表作。戦後(だったかな)二回にわたって物議を醸した句。
子規庵はもちろん撮影禁止だったけど、庭ならいいだろうと思い撮ってきました。
鶏頭、これだけじゃ済まないのですよ、それが……。
子規庵出口。
文豪が住んでいたとは思えない、何とも味気ない作りになってます。
で、ここにまで、庭の鶏頭が伸びてきているのです。
子規はほとんど自部屋から動けない状態にあって(もちろん外出もできない)
こんな思いで、病床にいたのでしょうか、子規の生き霊(死んでるって)というか、
そういう生への執着がこのはみ出し鶏頭に見られますね。
以前から言ってますけど、ぼくは波形トタンが大好き。いろんな奇抜な形の建築を可能にするからです。
堅牢な鉄筋建築に繋がる形で波形トタン建築、そうしてキリコ物件、いいなあ。
異常に厳重に守られた家です。
ここまでしなくとも……、ブロック塀の方がいいのに……。
家と家との境界です。この、通行人を選ぶ(笑)扉のついた狭いスペースは、どちらのお宅のものなのでしょう?
几帳面にセメントを塗り、ここに消火栓を設けてあるのもなかなかプロフェッショナルの仕事ですな。
猫、鳩、泥棒など絶対近づけない塀。
これが、子規のエッセイにも出てくる芋坂の団子屋さんこと、羽二重団子屋さんです。
羽二重団子屋さんにて。
元は角石だったのでしょうか、この石臼。
駐禁の看板が逃げ出さないように、鎖でつながれているという徹底ぶりです。
子規庵から日暮里の駅にむかう途中で見かけたラブホ。
ごく普通の人家が続く中で、ラブホが結構ある。
その昔は、待合だったのでしょうか?
「こつこつ道場」……、これはラブホじゃなかったですね(笑)
最後の写真は、日暮里の駅前ですが、「HOTEL SUNNY」とあります。
ラブホじゃなくって普通のビジネスホテルであることを祈ります。
店舗型のテレクラ!
しかも、有名なリンリンハウスにして、この八十年代的な「テレクラ」のロゴ!
利用したことはないけど、古いもの好きにはたまりません。
パチンコ屋。関係ないけど、堂々と「~パチンコ」と名乗る店ってあるのでしょうか?
さて、日暮里から上野に向かいます。
上野駅前の「門」。
最初何のことやら分からず、異様なので写真を撮りました。
場所が上野だけに、夜になるとここでシャッターが降りるようです。
上野から浅草へ。
これは浅草駅の駅ビル(松屋といって食料品の名店街となってにぎわっているところ)の道を隔ててすぐ、
なんです。ちょっと行けば人のにぎわう雷門だし、信じられない建物でした。
ゆがんだ土地に無理やり沿わすようにシャッターを取り付けたものだから、
かなりゆがんだ建物となっています。
おまけですが、
子規庵に行った記念に芋坂の団子を二本購入。子規は、食事の後に、餡三本と焼き一本を食べたそうです。
餡はまあまあの味。焼きはみたらし団子じゃなくって醤油の味そのままの団子でした。
ともに、内税¥270。(高すぎる~)。
浅草の松屋には、銀座の木村屋の出店があるので、あんパンを購入。
写真は小倉。オリジナルの、漉し餡で桜の花の乗ったものは売り切れでした。
友だちが、チーズケーキ風の餡のと、うぐいす餡のがおいしいといっていたのですが、
うぐいす餡のものは、製造されていないようでした。写真は撮らなかったけどチーズケーキ餡のものも三個購入。